SCENE 52:照合

『——まもなく、当艦は裏宇宙浮上レーンアウトを実行します。それに伴い軽い衝撃と重力制御による軽度の酩酊感が発生する恐れがあります。作業中の方は一時中断し、衝撃に備えてください。繰り返します——』


 ティアナの流した艦内放送は、艦内全域に向けて放送されていた。

 それは当然、医療室にも流されている。


「……だってさ。もうすぐ帰れるよ」


 タンテは、医療筐体メディカルポッドで眠るアイリに向かって優しく話しかけた。


 アイリが眠りについて以降、タンテとマニは交代交代で医療室に通っていた。いつアイリが目覚めてもいいように。


 無論、医療筐体は、患者が目を覚ますと各所に通知が入るようになっているため、見張っている必要はない。


 だが、2人はそうしたかった。

 何も出来ない無力な自分達にとって、出来ることをしたかった。


 本格的な治療を、一秒でも早く受けさせたいタンテ達にとって、裏宇宙浮上は——ヒューゴへの帰還は、望ましいものだった。


「大丈夫だからね、アイリ」


 タンテは再度優しく問いかけると、医療筐体をそっと撫でた。



 *



「…………」


 コウイチは自室の布団に包まりながら、通路に流れる艦内放送をぼんやりと聞いていた。


 裏宇宙浮上をする。

 つまり、ヒューゴに帰れる。

 この旅が、終わる。


(どうでもいい……何もかも)


 コウイチは耳を塞ぐように、布団を頭から被り直した。


 このままヒューゴ近辺に浮上すれば、まず軌道上警察オービットポリスの尋問だろう。そこを超えたら、ようやくヒューゴに降りれるだろう。


 その後、諸々が落ち着けばローバス・イオタの学生達——現在マグナヴィアに搭乗する学生達1072名は、別々の宇宙技術士養成学校に再編されるだろう。


 文字通りローバス・イオタは大破した上、残骸は3光年の彼方だ。

 見つけたとして、コスト的にも再建は不可能だろう。


 だから、再編される。

 皆、バラバラになるだろう。


(俺は……牢屋行きかな)


 他の生徒達と違い、生き延びるためとは関係なしに、コウイチは拡張人型骨格を——兵器を私的に使用し——結果、人を傷つけた。


 単なる力比べ。

 鬱憤ばらし。


 それだけのために、アイリを傷付けた。

 ただ生き延びるためにマグナヴィアに乗り込んだ生徒達の行為とは、本質的に異なる。


 罪は免れ得ないかもしれないが、それは今のコウイチにとって幸福だった。

 もし牢屋に入れられてしまえば、レイストフのことも、アイリのことも、見なくて済む。考えなくて済む。


 一度前科が付いてしまえば、上流階級の2人とは、接点を持つことができなろう。

 コウイチ自身の生活もかなり厳しいものとなるが、それでも良かった。


「…………」


 一瞬、コウイチの脳裏に銀髪の少女がよぎったが、目を逸らすように布団を被り直した。

 

(もう……どうでもいい……)


 ヒューゴに帰還し、この船から——マグナヴィアから出たかった。

 早く、ここからいなくなりたかった。



 *



 マグナヴィア艦橋室。

 裏宇宙浮上に備えた生徒会のメンバーは、緊張した面持ちでを待った。誰もが口をつぐみ、それを待った。


 そして——ポーン、と通知音が鳴った。

 裏宇宙浮上プログラムが作動した音であり、浮上までの秒読みカウントが始まったことを示していた。


秒読み開始カウントスタート裏宇宙浮上レーンアウトまで残り、180秒」

裏宇宙航行機関レーンドライブエンジン、正常作動を確認」


 クロエ、ティアナが続けて呟いた。


「艦内の重力制御、問題なしオールグリーン

「マグナヴィア、浮上座標アウトポイントへ移動開始。相対速度、0.24で固定」


 そこに続いたダミアン、ラフィーの報告に、ルーカスが静かに頷く。

 クロエの読み上げる秒読みカウントを背景に、レイストフに最終確認を取る。


「レイストフ様、宜しいですね?」


 ルーカスが確認を取ったのは、裏宇宙航行時において、潜航ダイブ浮上アウト時には、艦長の最終確認が必要だからである。しかしそれはあくまで通例であり、正式な艦長である訳ではないレイストフに確認をとる必要はない。


 だがあえて尋ねたのは、ルーカスの不安の現れだった。

 裏宇宙に突入した時は、もはやそれ以外に道はなかった中で、失敗の可能性など考える余裕もなかった。しかし、今回はそうではない。失敗を恐れる時間も余裕も、たっぷりとあった。


 そんな意味合いのこもった確認であったが、レイストフははっきりと頷いた。


「やるしかないだろう。腹を括れ」

「……はい」


 レイストフの言葉に、ルーカスは静かに頷いた。

 そんな2人のやり取りとは別に秒読みカウントは進み、後数十秒もない。


浮上座標アウトポイントまで、残り30秒」


 クロエの声が響き、全員の顔に、緊張が走った。

 そのまま、クロエが最後の秒読みに入る。


 一秒ずつ、時が進んでいく。

 システムが唸りをあげ、その時を待っている。


「5……4……3……2……1……」


 レイストフは鋭く叫んだ。


「——裏宇宙浮上レーンアウト!」



 *



 静寂が広がる宇宙空間。

 その一点に突如、青い光点が生まれた。


 光点は生命の鼓動のように不規則に瞬いていたかと思うと、ある時、点から線へ、面へと急激に広がった。


 やがて一つの底無しの穴となった中から、青白い光に包まれた巨大な物体が迫り出した。


 曲線を描く生物的な円筒型のフォルムに、濃紺の装甲、魚のヒレを思わせる四対の感知尾翼センサーテイル


 航宙艦マグナヴィア号。

 全長1100メートルもの雄大な身体を、マグナヴィアはゆっくりと通常空間に現した。



 *



 マグナヴィア艦橋室。

 先ほどまで船内を包んでいた轟音と衝撃が止み、生徒会のメンバーが制御盤コンソールに取り付く。


「船体確認。外殻アウター装甲、内殻インナー装甲、共に異常なし」

裏宇宙航行レーンドライブプログラムから通常空間航行ノーマルドライブプログラムへ移行……移行完了」

循環反応炉サイクルリアクター、出力下方修正。通常空間航行ノーマルドライブ用出力で固定」


 次々と報告が上がる中、ルーカスが皆の求めていた報告を上げる。


星海図スターマップと照合中——現在地の座標、出ました」

「…………」


 作業をしていたメンバーも、レイストフもルーカスの報告に耳をそばだてた。

 その場にいる全員の視線と注意が、ルーカスに向けられる。


 静かになった艦橋室で、時折鳴る電子音が際立って聞こえる。

 やけに長く思えた沈黙の後、ついにルーカスが口を開いた。


「現在地座標は——ルイテン星系、第三惑星宙域です」


 その形式ばった報告に、皆一瞬反応が遅れたが、こわばった脳味噌が少しずつ情報を処理していく。ルイテン星系第三惑星とはつまり、惑星ヒューゴである。


 ——帰ってきたのだ。自分達の故郷に。


 そう認識が追いついた時、艦橋室で喜びが爆発した。


「い——やったぁぁぁぁぁッ!!」

「うおおおおおおッ!!」


 ダミアンとラフィーが飛び上がって喜び、抱き合った。


「帰って……きた……?」

「ええ……ええ……!」


 目に涙を浮かべたクロエとティアナが、自然と手を取り合った。


 そんなメンバーの様子に、ルーカスとも頬を緩めていた。

 レイストフは疲労感を滲ませながらも、ルーカスに指示を出した。


「ルーカス、艦内放送を」

「あ……承知しました」


 ルーカスは感情を隠すように咳払いすると、艦内放送をかけ始めた。

 艦内の生徒達は、裏宇宙浮上の結果を、自分達が帰ってきたのかをいち早く知りたいはずだ。


 ルーカスが作業している姿を見て、落ち着きを取り戻したのかティアナがある提案をレイストフにした。


「会長、皆、故郷の姿が見たいはずです。外部映像を艦内のモニターに流しても?」

「……ああ。そうしてくれ」


 レイストフは静かに頷き、ティアナは笑みを浮かべながら作業に取り掛かった。


「ラフィー、軌道上警察オービットポリスに通信を。海賊に間違われても、敵わんからな」

「りょーかいだ」


 ダミアンと喜び合っていたラフィーも、興奮冷めやらぬ様子だが、レイストフの指示に従い、作業を始めた。


「クロエとダミアンは、引き続き艦内状況の監視を頼む。異常があったらすぐに報告を」

「了解しました」

「わかった!」


 クロエとダミアンにも指示を出し、レイストフは艦長席に腰を深く置き直した。

 天井を仰ぎ見て、心の中で1人呟く。


(考え過ぎ、か……)


 ローバス・イオタを襲った襲撃者達。

 漂流した先に現れた謎の怪物インセクト

 艦内に搭載された人型兵器。


 あらゆる謎が解消されないままで、帰ってきた。帰れてしまった。


 そのことに、レイストフは逆説的な不安を感じていた。

 帰れてしまったことへのが働くのではないかという、そんな不安。


 それに引き摺られるように、目下最大の懸案事項が脳裏に浮かんだ。


(アイリ……)


 レイストフは、未だ昏睡状態にある幼馴染の少女のことを想った。

 アイリは脳にダメージを負い、医療筐体メディカルポッドの中で眠り続けている。


 ——コウイチのせいで、アイリは傷ついた。


(コウイチ……お前がいるから……)


 レイストフのコウイチへ噴き上がりかけた怒りは、ティアナの報告によって遮られた。


「ヒューゴの望遠映像、出ますわ!」


 見ると、艦橋室のメインモニターには、外部カメラの映像が映し出された。しかしまだ解像度が荒く、黒いモザイク模様が映るのみだ。艦内の全モニターにも同じ映像が流れている。


「解像度を上げます」


 クロエが制御盤を操作すると、ガビガビだったモザイク模様は徐々に解像度を上げていった。


 皆笑顔を浮かべ、脳裏には美しいヒューゴの姿を思い描いていた。

 青と緑に包まれた、故郷の星。

 自分達の、帰るべき場所。


 だが、解像度が最大になった直後、全員が言葉を失った。


 モニターに映ったのは、赤茶色の大地を黒々とした雲が覆う、変わり果てた故郷ヒューゴの姿だった。

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