三題噺『バレンタイン・小説・風邪薬』
白長依留
三題噺『バレンタイン・小説・風邪薬』
バレンタインというイベントがある。
行われる事といえば、女子が男子にチョコを配るただそれだけ。だが、そのチョコにも山よりも高く、海よりも深い思いが詰められている……たまに腐海な思いになる場合があるが、それはそれで幸せになって欲しい。
三崎幸太は高校一年の普通科高校に通う男子生徒だ。
身長一八○cmの引き締まった体をしている。めぐまれた体躯と運動神経から、多くの運動部から誘いを受けたが、全て断っていた。
彼が所属するのは文芸部。
それも、ガチの文芸部だ。形だけの部活ではなく、この学校の長い歴史の中で何人ものプロを産みだしている由緒正しき部活だった。
絵画、小説、書道……活動は多岐にわたる。
「幸太くんは、今度の公募に出すんだよね? どう、順調?」
「あ、ああ。ぼちぼちってところかな。推敲の時間も考えても、間に合うとは思う」
「おーすごい。一年生で長編小説を書き上げるだけじゃ無くて公募にまで出せるなんて。これは新たなプロが生まれる予感」
幸太に話しかけてきたのは、二年生の遠阪静理。落ち着いた雰囲気の奥ゆかしい和風美人という言葉が似合う先輩だった。
文芸部において長編小説を書いている者は少ない。絵画の様にキャンバスを置くスペースが必要ではなく、彫刻にも同じ事が言える。他の活動内容は、特に部室に顔を出す必要はないのだ。
だから、正確には文芸部の中で長編小説を書いている者が少ないのではなく、部室で書いている者が少ないのだった。
「遠阪先輩のほうはどうなんですか? 締めきり、来月ですよね? ○○大賞は」
「ふふふのふー。私のほうは残すところ推敲だけだよ」
「早い! やっぱり筆の速さは重要ですよね。オレって結構遅筆だから、一年掛けて一作しか書けないですし」
「初心者が書ききるだけでもすごいんだってば。それに、来週はちょっと色々あるからね」
来週……バレンタインである。いつも義理チョコは貰えているが、本命チョコを貰っている人を見ると、時たま羨ましくもある。中学の時はチョコの持ち込みが禁止されていたが、皆隠れてチョコを渡していた。義理だと言いながら、本当は渡したく無さそうに不機嫌になりながらも、チョコを渡されたこともある。
高校に進学してからは、自由な校風もあいまってバレンタインは学校行事に近い立ち位置になっていた。少子高齢化対策で国からも圧力がかかり、成人年齢が下がったこともあり、寧ろ学校側からプッシュされているイベントになっていた。
――遠阪先輩はだれにチョコを渡すのだろうか。それとも誰にも渡さないのだろうか。
幸太と遠阪静理の出会いは単純だった。まるで漫画である展開の様に、遠阪静理がプリントアウトした小説が空を舞っていた。その現場に偶然居合わせた幸太は、小説の欠片を集める手伝いをした。それが出会い。
文化部のある部室には一応プリンターはある。だがそれは家庭用の小型プリンターで長編小説をプリントアウトするには不向きだった。実績もあり、遠阪静理の実力もあり、職員室のオフィスプリンターを使わせてもらった帰りの出来事だったという。
集めた小説を振られたページ番号に合わせて整理するまで幸太は手伝った。とくに用事もなかった日なので、手伝って帰るだけだった。
欠片が一つの作品に戻っていくとき、少しだけ眼に入った文章に幸太は遠阪静理の世界に引きずり込まれることとなった。手伝っていたはずなのに、いつのまにか集めた小説を読みふけっていた。
気付けば日が落ちていた。はっと我に返った幸太が顔を上げると、にまにまとした笑顔で遠阪静理が幸太を見ていた。
「満足した? ぷ、ぷぷぷ」
我慢出来ないように吹き出した遠阪静理。幸太は自分が何をしていたのか、その時になってやっと理解し、眼を合わせる事も恥ずかしくなり俯いてしまう。しかし、俯いた視線の先には幸太を虜にした小説が……続きを読みたい衝動に駆られるが、それをなんとか押さえ込んだ。
「読んでくれる人がいるって、いいもんだね。こんなに嬉しくなるなんて思わなかったな」
「す、すいません。勝手に読んでしまって。手伝うつもりが邪魔しちゃって……」
「そんなことないよ。ねえ、そんなに小説が好きなら、うちの部にくる? それとも、もう他の部に入っちゃった?」
バスケ部への入部届は、まだ担当の先生が残っていたから事情を説明して撤回させてもらった。とても残念そうな顔をしていたが、文芸部のことを伝えると、素直に諦めてくれた。
この時は幸太はしらなかったのだ、文化部はこの高校でどれだけ異質な存在なのか。
遠阪静理――彼女は入学からこれまで毎年二作品を公募に送り、いずれも最終選考まで残っている実力者だった。公募にこだわらなければ、すでにプロになっていてもおかしくない人材。そんな人材が、文化部にはぞろぞろと揃っている。プロを輩出しない年はここ十年で存在していないという。
朝起きた幸太は、ベッドから転がりおちる。視界がぼやけ、体が寒い。完全に風邪だと思った幸太は、這いずるようにリビングに向かい、風邪薬を飲んでソファに深く腰掛けた。
「ちょっと、あんた大丈夫? 頑丈だけが取り柄のあんたが、風邪ひくなんて珍しいわね」
出勤前の母親が心配しているのか不安になる声をかけてくる。
「平気だよ。父さんはもう会社に行ったの?」
「なに馬鹿なこといってるのよ、もうお昼よ。学校には連絡済みだから、ゆっくり休みなさいな」
どうやら母親は出勤前ではなく、午前のシフトから帰って来たところだったようだ。
「動けるなら、一応病院に行きなさいよ。すぐそこなんだから」
「わかったよ。すぐ、行ってくる」
「インフルエンザですね」
「え?」
医者から告げられた死の宣告。『今年のバレンタインは終了しました』というアナウンスが頭の中で流れた気がした。それと同時に、今までと違って、どれだけバレンタインを楽しみにしていたのか、幸太は自覚することとなった。そして、何故楽しみにしているかの理由も含めて。
体の熱が上がったかの様だった。
体の熱は下がった。調子も良い。だけれど、感染期間なため登校することができない。
今日はバレンタイン。
夜、このまま今日という日が終わるという悲しみにも似た感情を覚えたとき、スマホが震えた。
遠阪静理からのメールだった。
添付されているのは……掌編の小説。
幸太は先輩らしいバレンタインだと心躍らせて、開封した。
三題噺『バレンタイン・小説・風邪薬』 白長依留 @debalgal
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