【第34話】不運な巡り合わせ

『──渡鳥メイ。彼女がかの渡鳥財閥の令嬢であることは知っているな?』


 DDはソファから立ち上がると、執務室の展望窓の外を覗きながら訊ねた。


 件の少女の情報を映した表示窓ディスプレイに目を通しながら波止場が頷くのを見ると、その先を続ける。


『渡鳥財閥は、九十九創一つくもそういち氏と共に「新世界プロジェクト」の立ち上げを行ったスポンサーの一つだ。氏と財閥は現世界より懇意の仲であり、エルピスコードの断片を預かるに相応しい立場にある。

 そんな氏の友人が所有しているエルピスコードこそが、〝幸運〟の機能を持つEP


 ──《#神がかり的な幸運メイクオウル》だ』 

 

 その機能は、まさに波止場が持つエルピスコードと真逆の性質を持っている。

 

 使用者に降りかかる災いを祓い、

 無作為の〝幸運〟をもたらす常時発動パッシブ型のEP。


 世界を構築するネットワークそのものが使用者にとって都合のいいように捻じ曲がってくれるという、およそ考え得る限りでは無敵のスペックを誇るチートアプリだった。


『本来であれば、それは財閥の長が責任を持って保管すべき代物だ。だが何を思ったのか、それはいま娘である渡鳥メイの手に渡っている』


「……何か問題なの?」


『あれは対応者の自覚に欠ける。幼稚な欲望を満たすためだけに自らの幸運を振りかざし、他人の〝ユメ〟などというくだらない空想に執着している。再三に渡る協力の要請にも応じず、こちらの感知が及ばない拡張空間に引きこもっているような、子供だ。


 だから君には、正々堂々と彼女とゲームをし、その上で彼女の傲慢を剥ぎ取って欲しい。そうすれば、君の過去についても教えよう。悪い条件ではないと思うが?』


 ひとしきり話し終えたDDは、仮面の内で一息をつく。

 

 それを聞いてまず反応を示したのは、それまでつまらなそうな顔で話を聞いていた和装のバニーガールだった。


「ふむ。あなたは随分と私の契約者様を買っているようですが……恥ずかしながらこの波止場様は、先ほどその渡鳥様にゲームで負けたばかり。事情通のあなたであればそれを知らないはずはないと思いますが、どうしてこんなポンコツ様を使おうと?」


 酷い言われ様だが、DDの提案には波止場も思うところがあった。


 ……この男は、不足だらけの子供に一体なにを期待しているのだろうか?


「ツキウサギさんの言う通りだ。悪いけど、協力はできない。世界を救うためにゲームをしてくれだなんて、どう考えても俺には無理だ」


『記憶を取り戻したいのではなかったのか? 過去を知りたくはないのか』

「……少し前まではね。今は、関わりたくないとすら思ってる」

『原因はあの少女か。まったく、間の悪い』


 事実もう少し早くこの話を聞いていれば、多少は話し合いの余地もあったかもしれない。


「それに、あの子が欲しがってるのは他人のユメなんでしょ? だとしたら今の俺じゃ彼女から幸運を奪うどころか、マッチングすらできないと思うよ」


『不足があればこちらで補おう。彼女の幸運に対抗し得るだけのEPも、彼女の興味を惹くだけのユメも。必要があれば幾らでも用意する手立てはある』


「……どうしてそこまで?」


『私は君の対応者としての価値に期待しているのだ。普通の人間ではあの少女と同じ視点に立つことすら叶わない。だが同じエルピスコードを持つ者同士であれば、あるいは……そういう極少の可能性に賭けるしかない状況にあるのだよ。もはやこの世界の命運は』


 展望窓から六號の景色を望む彼の後ろ姿は、独り世界の危機に立ち向かおうとする賢者のようにも見えた。

 この世界を救おうとするその心意気だけは、きっと本物なのだろう。


 だとすればそもそもとして、両者の間には決定的な温度差がある。


(……やっぱり断ろう。俺には荷が重すぎる。それをどうにか解ってもらわないと──)


 沈黙に耐えかね波止場も席を立とうとしたのと同時──コツン、と部屋の片隅で物音がした。執務室のキャビネットから、何かが床に転げ落ちた音だった。


「あっ」


 波止場はその床に落ちた綿毛のような物体に心当たりがあった。それは彼が与り知らぬ間について来ていた、綿毛型ドローンだったのだ。


 きっと櫃辻が自分の身を案じて飛ばした物に違いないとすぐ合点がいった。

 あそこに転がっていていい物では、きっとない。


『……波止場皐月。君の言い分は解った。だが、誰にでも事情が変わることはある』


 先ほどまでは花瓶の裏に潜み、なんらかのアクシデントによって主との接続を切られたその綿毛型ドローンは、DDに摘まみ上げられてなお電池が切れたように微動だにしない。


 綿毛の茎にぶら下がった単眼のレンズを見れば、この秘密の会合を覗き見していた第三者の存在に誰だって思い当たる。

 

 DDは深く溜息をついて、波止場を振り返った。


『残念だ。これで君の友人も、無関係ではいられなくなったな』


「……最悪だ」


 DDの声音に再び峻険しゅんけんな空気を感じ取った直後、波止場の視界の端に通知のアイコンが灯った。

 

 それは『櫃辻ちゃんねる♪』の配信開始を告げる通知だった。


「──櫃辻ちゃん? このタイミングで……?」

「んはは。このタイミングだからこそ、かもしれませんよ?」


 その呟きに際し、いち早くDDは表示窓ディスプレイを開いていた。


 今ここで見聞きした世界の秘密を公にでもされたら大事だ。そう思ってのことだったが、その心配は杞憂に終わる。


 波止場もまた遅れて配信画面を開き、そこに映った意外な人物の姿に彼は瞠目する。


 視聴者の目に代わって空撮映像を届けるその配信画面には、今まさにパンドラゲームに興じている最中の櫃辻と、もう一人──


 渡鳥メイの姿が映し出されていたのだった。

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