【第33話】櫃辻のステージ

 河に架かる連絡橋の袂までやって来ると、騒々しくも派手やかな六號第四区の街並みが遠くに見えてきた。

 

 四車線ある幅広の橋上をスクーターで駆けながら、櫃辻は街の上空に悠々と浮かぶクジラのような飛行船の姿をふと見上げる。

 

 ──『まずは手始めに、渡鳥メイの幸運を奪い獲ってもらいたい』

 

 その声は、視界の端に投影した表示窓ディスプレイから聞こえてきたものだった。そして今その画面には、瀟洒しょうしゃな執務室で密談を交わす波止場たちの姿が映し出されている。


 リビングにて波止場がDDについて行くと決心したあのとき、櫃辻は綿毛のドローンを一機、彼のあとに尾けさせておいたのだ。それは街の上空を遊泳する飛行船に見事潜入を果たし、こうしてスパイの如く見聞きした情報をリアルタイムで送り届けてくれている。


 多少映像や音に乱れはあるものの、

 井ノ森が制作した配信用アプリ《#おはよう子羊ストレイ・ノーマッド》の有効範囲は、まだギリギリのところであの飛行船を射程内に収めていた。


 空を往く飛行船に対し、地上を走ることしかできないスクーターでは追いつきようもなかったが、それでも波止場が連れ去られるのをただ黙って見送ることもできなかった。


 最悪、彼らの本部があるという管理塔サーバーに乗り込むことも考えていたのだが、どうにもあの飛行船はどこに向かうでもなく、街の上空をゆったりと旋回し始めている。


(……ポッポ君を連れ去るのが目的じゃない? じゃあ、なんで……)


 そう疑問に思ったそのとき、

 櫃辻は信じられない秘密を盗み聞いてしまったのだ。

 

 それも──


〝まもなくこの世界が終了する〟


 ──という、最大級の激バズニュースを。


「ノモリン、さっきの話……本当なのかな? この世界が、終わるって……」


『……事実かどうかはさておき。連中がそれを前提とした話し合いをしてるのは確かね』


 井ノ森は今、新世界運営委員会による検閲のせいでクラッシュさせられたローカルネットの復旧に忙しくしながらも、ドローンがシェアする映像を自室で見守っていた。


 彼女には「波止場を追いかけても無駄だ」と止められたものだが、こうして通話を繋いだまま動向を見守ってくれている辺り、櫃辻は頼れる親友の存在に嬉しくなる。


「ポッポ君、なんか隠しごとしてるなぁって雰囲気あったけど……まさかこんな超ド級の爆弾一人で抱えてたなんてね。ホント遠慮しぃだなぁ、ポッポ君は」


『ヒツジ。これは予感だけど、あれはあんたの手には負えない疫病神よ。あいつだけじゃなくて、周りにも不幸をばら撒くタイプの。それでも、助けてやるつもり?』

「だって約束したからね。ポッポ君のこと〝なんとかする〟って」


『……それは、ゲームのルールでそう縛られただけでしょ?』


「あはは。まぁ、それもあるんだろうけど……」


 櫃辻とて、伊達にパンドラゲームをやってきたわけじゃない。

 

 それが何を奪い、何を他者に強制するのか。

 それを知らない彼女ではなかった。


 だから自分が波止場を〝なんとかしたい〟と想うのは、きっとツキウサギにそう刷り込まれたからなのだろうな、とも理解していた。


 でも、だからって全部が嘘じゃないはずだ。


「でも、櫃辻さ。別にポッポ君と出逢ったことを不幸だなんて思ってないよ。それなのにあんな顔して出ていかれたらさ、櫃辻の方がショックだよ」


 櫃辻は右手の人差し指に焼き付いたペアリングに目をやった。

 あの日彼と激闘を交わしたゲームの記憶が、交わした言葉の数々が、すぐにでも脳裏に浮かんでくる。


「知ってる? ポッポ君ってさ、何か嫌なことがあるとすぐ『最悪だぁ』って、落ち込んじゃうんだよ。それを見てるとさ、逆にポッポ君が『最高だぁ!』ってテンション上げてるとこ見たくなっちゃうよね」

『ならない』


 つれないなぁ、と櫃辻は笑う。

 この二人ならきっと仲良くできるのに。


「ま、だからさ。櫃辻は証明したいわけだよ。この世界にはどうしようもない最悪なんてないんだ、って──」


 櫃辻はスクーターを走らせながら回路図形ダイアグラムに触れると、もう一人の相棒を呼び出した。


「むーとん、櫃辻の希望聞いてくれる? 

 

 ──〝ポッポ君を助けたい〟んだけど」

 

 するとその毛玉ウサギの妖精は、

 ポン、と綿花が咲くように櫃辻の肩上に現れた。


 彼女は眠たそうに瞼を閉じたまま、しかしいつものように主の願いに耳を傾ける。


「……ん、むにゃ……ミライの彼氏こーほ、たすける。おっけー?」


「うん、おっけーおっけー。きっと今ポッポ君たちが話してる〝お宝〟をさ、櫃辻が横取りなんかしちゃったりしたら。けっこー悪くない展開が待ってそうだよね」


『ヒツジ、あんたまさか──』


 通話越しに、井ノ森がハッと息を呑むのが解った。

 流石はノモリン、以心伝心だ。

 

 そう思って櫃辻が微笑んだそのとき──


 ヘッドライトが橋上に佇む人影を捉えた。


「……んなぁっ⁉」


 櫃辻は慌ててハンドルを切って、

 車道のど真ん中に立った人影を寸でのところで躱す。


 甲高いブレーキ音がいななき、舗装された道路の面をタイヤの跡が引っ掻いた。櫃辻はスクーターの車体を滑った勢いのままひるがえして、その人影と向かい合う形で制止する。


 人工の灯りに薄ぼんやりと照らされた橋の上にあって、その少女はまるでスポットライトに照らされたプリマドンナのように華やいで見えた。


 ゴシック風の軽やかな装いに、羽根飾りを編み込んだ亜麻色のウェーブ髪。

 妖しい笑みを湛えてなお愛らしい容貌は、無自覚に見る者を惑わす天性の魅了チャームを秘めている。

 

 そして少女の傍らに控えるのは、

 二刀の鞘を腰に携えた騎士風のバニーガールだった。


「──ね、言ったでしょうニト。やっぱりお昼に見た彼女がそうだったのよ」

「だからといって、何もこんな危険な場所で待たれなくても」

「大丈夫よ。だって今だけは、ここは通行禁止も同然ですもの」


 そういえば、

 と櫃辻は辺りに車の往来がないことに気付く。


 六號でも最も賑わう繁華街へと至る導線が、こうも閑散としていたことが今までにあっただろうか? それこそ、通行禁止の案内を見逃しただろうか、と自分の認識の方を疑いたくなるくらいの静まり様に、櫃辻はぶるりと身体を震わせた。

 

 寒気のせいではなく、

 ひとえに興奮のあまり。


「……ん、むにゃ。ミライの希望、合いました──〝お宝〟とうらい」


「お嬢様、合いました。彼女こそが今夜のメインディッシュです」


 騎士と妖精。

 二体の《NAV.bit》がその出逢いを祝福する。


 それは同時に、希望を賭けたゲームの始まりを意味する開催の合図。


「ええ。それじゃあ、始めましょうか。あなたとわたくしだけのゲームの時間を」

 

 渡鳥自らの誘いを受けて、櫃辻は心に震えるものを感じながらスクーターを降りる。


 今この瞬間だけは、なんとかしなきゃならない少年の存在も、この世界の命運も、総ては櫃辻の頭からは消え失せていた。


 ここからは──櫃辻のステージだ。


 櫃辻は手元にEPを取り出しながらも、一人のエンターテイナーとしてこう応えた。


「──あはっ、イイね♪ 

 そのキメ台詞、配信回してからもう一回お願いできるかな?」

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