【6章】新世界運営委員会

【第32話】エルピスコード

 人とこの世界──拡張都市パンドラは互いに共生関係にある。

 

 ネットワークにより組み上げられた巨大な〝頭脳〟が人々の住まう世界を想像し、人々はネットワークに接続された自らの〝頭脳〟を活発に活動させることで、パンドラという機械仕掛けの〝頭脳〟を半永久的に駆動させ得る『ニューロンエンジン』へと換わる。

 

 それは即ち、

 人と世界は死せる刻も病める刻も一緒という、切っても切れない縁で結ばれていることを意味する。


 世界の中心、六號第一区に悠然と聳え立つ管理塔サーバー──世界樹の如きその威容が天井へと捧ぐ極彩色の光の束こそは、まさに人と世界を繋ぐネットワークの脈動そのものだった。

 

 夜のとばりが下りて間もない六號の夜景に煌々と浮かび立つ幻想塔の妖光を眺め、和装のバニーガールは「ほほー」と感嘆の声を漏らした。


「いい眺めじゃないですか。さぞやデートスポットとしても映えるでしょうねー」


 はめ殺しの展望窓から望む夜景は、

 飛行船が漂う速度に任せてゆったりと流れていく。


 六號上空──

 新世界運営委員会が保有する観測型飛行船、その執務室にて。

 

 ソファに座り黙したまま向かい合っているのは、波止場と仮面の男の二人だった。


『……』

「……」


 剣呑けんのんな雰囲気をせめて和ませようと呟いたツキウサギの意図は、どうやら彼らの耳には届いていない様子で。


 しかしそれを契機とばかりに、まずは仮面の男が沈黙を破った。


『先に断っておくが、我々は君の敵ではない』

「……あんな強引な手で人を攫っておいて、よく言うよ」

『効果的な手段に頼ったまでだ。穏便に済むのならそれに越したことはない』


 空間に抉じ開けられたポータルを潜り、白装束の集団を伴ってリビングに突如現れたこの男は、暴力こそ振るわなかったものの、狡猾な手段で波止場の説得を試みた。



〝我々と来てもらおう。

 今ならばまだ、君と私の二人だけで済む話にできる〟


〝居候の身で、これ以上彼女たちに迷惑をかけたくはあるまい?〟



 それは実に効果的な脅し文句だった。

 波止場は観念して、同行することに決めた。

 

 無論櫃辻には止められたが、そういう彼女の優しさを思えばこそこれが最善に違いない。



〝悪いね、二人とも。

 どうやら不運を招く疫病神は俺の方だったらしい〟



 ポータルを潜った先は、住宅街の上空に留まった飛行船へと通じていた。そうして標的を首尾よく詰め込んだあと、飛行船は高度を上げて飛び去ったのだった。


「……色々と言いたいことはあるけど。まずはそのお面、取ってくれないかな。今のままじゃヒトとして接すればいいのか、心無い冷たい機械と思えばいいのかも解らない」

『この仮面は、取れない。そういう規則だ』

「寝るときもシャワーを浴びるときもそのまま? それはちょっと同情するね」

『素性は明かせないが、私のことは「DD」と──そういう記号だと思って接してくれれば構わない』


 ──『新世界運営委員会六號支部・看視対策総務支部長・DD』


 仮面の男が首に提げた社員証には、如何にもブラックそうな彼の肩書きがそう記されてあった。

 聞けば聞くほどに胡散臭さが深まる相手だ、と波止場は鼻を鳴らす。


「……で、あんたの目的は何なの? いきなり牢獄にぶちこまれたり尋問されたりするのかと思ったら、そうでもないらしい。俺に何の用があるんだ?」

『一つは認識の確認。もう一つは、取引のためだ』

「……取引?」

『君は、この世界に訪れている危機については承知しているな?』


 あくまで自分のペースで会話の主導権を握ろうとする仮面の男に対し、波止場は憮然と眉をひそめつつも答える。


「……バグのせいでもうすぐ世界が終わるかも、ってくらいには。それは本当なわけ?」

『目下調査中だ。だが、君は見たのだろう? 世界が凍りついた光景を』

「あんたは直接見たわけじゃないのか」

『我々は、ネットワーク上に生じたエラーの詳細からでしかその実態を把握することができない。その異常を正しく認識できるのは、エルピスコードを持つ対応者だけだ』


「その、エルピスコードってのは一体なんなんだ?」


『……フム。とぼけているわけではないようだな。記憶喪失というのは本当らしい』

「……こっちの事情は全部知ってます、って言い方だな。あんたはさっきもそうだった」


 思えば、彼らが櫃辻宅に押し入ってくるタイミングはあまりにも出来すぎていた。まるでこちらのやり取りを総て見聞きしていたかのような、気味の悪さがあった。


「です。きっと波止場様の想像通りだと思いますよ」


 外の景色を見るのに飽きたのだろう。ふっと波止場の後ろにやって来たツキウサギは、ソファの背もたれにひょいと腰掛けながら、DDを見据えつつ主の疑問に答える。


「彼らにはコスモスネットワークを検閲し管理する運営権限がありますからね。情報の収集も隠蔽も仕事のうちです。第一このパンドラにおいてネット接続されてないモノなんてありませんから、盗撮も盗聴だって思いのままでしょうねー」

「……つまり、俺たちの話を盗み聞きしてたわけだ。覗き野郎ってことじゃないか」

「です、波止場様と同類ですね。人類の敵です」


 君は誰の味方なんだ、と波止場は横目にツキウサギを睨み上げる。

 どんなシリアスな状況でも主をからかわずにいられないのだろうか、この和装系バニーは。


『我々とて無闇に権限を振りかざすつもりはない。が、事は手段を選んでいられないほどに急を要するのだよ。だから無礼を承知で君の周囲を監視させてもらった。それほどまでにエルピスコードの存在は、我々にとっても重要なウエイトを占める問題なのだ』

「そんな大問題に関わりたくない。すでにもう色々と大変なんだ」

『君のその、不運な境遇にも関わる話だ。すでに君は深く関わっているんだよ』

「……じゃあ勿体ぶらずに教えてよ。今更秘密にしようってわけでもないんだろ?」


 波止場は目をすがめてただす。

 交渉と言ったからには、彼にはその意思があるはずだ。

 

 DDはしばし黙考に口をつぐんだあと、ややあって意を決した素振りでこう語り始めた。


『まず、エルピスコードとは、パンドラの創造主である九十九創一つくもそういち氏が遺した、 


 ──「世界の設計図」だ。

 

 仮想世界というこの世界を書き描いたプログラムの祖、

世界の設計図グランドソース〟を記したパンドラの起源となるモノがそれであり、その原典は氏自らの手によって幾つかのEPに分割保存され、彼が信頼をおく幾人かに分配されることとなった。


 それは個人がパンドラの権威を独占しないようにと考えた末での決断だったが、結果として彼の死後、管理塔サーバーのシステムの一部はブラックボックスと化し、そのパズルを解き明かすためのピースの行方もしばらく解らなくなってしまった。


 この世界を脅かすバグは、 そのブラックボックスと化したシステムの深奥から発生したものだ。だから我々には世界に散った設計図の断片──即ちエルピスコードを総て回収し、世界の危機を解明する義務がある。 ──解るか?』

 

 そこでDDは言葉を区切って、

 含みのある視線を仮面越しに波止場へと向けた。


『その一部こそが、君の脳に住まう〝不運〟の正体なのだよ』


 井ノ森が《KOSM‐OS》の深奥から暴いたエルピスコード、

 

 ──《#CRACKクラック‐E》。


 その機能は井ノ森曰く──

 使用者を〝不運〟に見舞うという呪いのアプリだ。


 櫃辻が使用していた物や街中で見かけたEPとも違う、既存の規格を超えた未知のEP。華もなければ実用性も皆無で、ヒトの可能性を拡張するどころか〝不運〟というデバフで使用者を貶めるまさに呪いとしか言い様のない、最低最悪の後付け機能だ。


 やたら不運な目にばかり遭うな、とは思っていた。だが、所詮はただの偶然の連続だと言い聞かせてきたし、その度に落胆することはあっても、呪いなんてモノが本当にあるだなんて信じたくはなかった。


 目覚めたばかりの頃なら信じなかっただろう。

 ここが仮想世界と知ったあとでも、まだ笑い飛ばせただろう。

 

 だが、その不運と相反する〝幸運〟という名の奇跡を目の当たりにしたあとでは、全てが現実味を帯びた理屈で殴りかかってくるのだ。


 ……認めるしかない。

 これまでの不運は総て、必然だったのだと。


「なんでそんなモノが、俺の中に……」

『分かたれたエルピスコードの断片には、それぞれに特性がある。


 ──不運を招くもの。

 ──幸運を与えるもの。

 ──生命を司るもの。

 ──全知を得るもの。

 ──権威を示すもの。


 私が識る限りでも、実にそれだけの機能が存在している。

 それらは、エルピスコードが自らを守るための防衛機構として備わっている機能だ』


「……不運でどうやって身を守るっていうんだ」

『そんな呪いのような力など、誰も欲しがらないだろう?』

 

 それはそうだ、と波止場は肩を竦める。


『しかし厄介なことに、使い手の意に反してそれは人を渡り歩く。いたずらに災いを振りまき、使い手が破滅する頃合いを見計らって次の宿主へと乗り移り、そうすることで隠匿を果たしていたわけだ。まあ、それも一種の防衛機能と言えるのかもしれんがな』

「……俺の他にも、この不運に悩まされてきた奴がいたのか……」


 なるほど。これは生まれついての呪いじゃない。そういう特性を持った追加オプションにすぎないというわけだ。

 そうと解れば、希望も見えてくる。


「じゃあ、こんな不運はさっさと取り除いてくれ。エルピスコードだかなんだか知らないけど、欲しいならあんたが好きに持っていけばいい。それで全部解決だ」


『それはできない』


「なんで⁉」


『エルピスコードはEPではあるが、消耗品のそれとは違い、ひとたびインストールされれば《KOSM‐OS》と深く結びつく。我々の技術では、取り除く際に所有者の脳に傷を残しかねないのだよ。不可能ではないが、現段階でそこまでの強硬に及ぶつもりはない。それは、最終手段だ』


 敵ではない。

 そういうポーズをこの会合で取り続けてきたDDだったが、ここにきて初めて波止場にはその言葉が嘘ではなさそうだと思えた。

 少なくとも彼の態度は、犠牲による解決を望むタイプには見えなかったからだ。


「……でも、実際に人から人に移ってるわけでしょ? じゃあ俺はどうやって──」

 

 そこまで言葉にしかけたところで、波止場の脳裏にはたと閃きが走った。彼が振り返った視線の先には、和装のバニーガールの姿がある。

 

 ……そうだ、一つだけあるじゃないか。


 不可能を可能にし、

 他者からユメすら記憶すらも強奪せしめる常識外れの〝法〟が。


「──〝奪った〟のか」


 そんな波止場の気付きにDDは首肯し、彼の理解を補足するように経緯を語る。


『波止場皐月という男は過去にある人物にパンドラゲームを挑み、その〝不運〟を手に入れた。そこにどんな思惑や因縁があったかは知る由もないが、君がそこの《NAV.bit》に希望し、ゲームによってエルピスコードを手に入れたことは間違いないだろう』


「……あんたは俺のことを、俺の過去についてどこまで知ってるんだ?」


 そこでDDは、

 仮面越しにも解るほどの笑みをフッと零した。


『私は六號の管理を預かるだけの立場にある。君が望むのなら、私が知り得る限りの情報を開示しよう。調査の必要があれば、その旨には応じよう。

 ただ、それと引き換えに君には──エルピスコードの回収を手伝ってもらいたい』


「……回収?」


『我々は中立の立場故に《NAV.bit》によるゲームが開催できない。だが所在不明のエルピスコードの捜索も、その徴収も。君ならばそこの《NAV.bit》にこいねがうだけで叶えることもできるだろう。

 無論、口で言うほど簡単でないことは承知している。だからこそ君には、その労働の対価として君が望む情報を与えるつもりだ』

「……なるほどね。それで、取引か」


 ようやく得心がいったと嘆息する波止場の反応を見て、DDもまた頷いた。


 さらにDDは手元に表示窓ディスプレイを展開すると、その画面を波止場に見せるよう反転させる。

 そこに映し出されたのは、 とある少女の写真とプロフィールだった。

 

 双方にとっても因縁浅からぬ少女の手配書を示しながら、DDはその希望を口にした。


『──まずは手始めに、渡鳥メイの〝幸運〟を奪い獲ってもらいたい』

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