【第31話】ノッキング・ノイズ

「…………最悪だ」


 あまりにもあっさりと到達した答えに、波止場はさして驚きを見せなかった。


 いや、実際のところ十分に驚いてはいたのだが、なんとなくそんな予感はあったのだ。〝ユメ〟という一概念を欲する少女と出逢ったあのときから、そういう可能性ももしかしたらあるのではないか、と。


 俺の記憶は喪失したんじゃなくて、


 誰かに奪われたんじゃないか……と。


「あんたのソースには綺麗に欠け落ちたデータが二種類ある。一つはユメね。その詳細は不明だけど……ま、こっちは予想通り。でも、だとしたらもう一つは何?」


「……記憶、か」


「記憶って──《KOSM‐OS》内にフォルダ分けされて保存されてるものなの。 で、あんたの場合は幾つかのフォルダが、その引き出しごと抜き取られた状態になってる。

 直接コードぶっ挿して抜き取られた可能性がないでもないけど、ただでさえ緻密に組み上げられたプログラムの中からこうも綺麗にデータだけを抜き取るなんて神技──《NAV.bit》の仕業以外には考えられない。


 つまり──あんたは過去にも一度ゲームに負けたのよ」


 かつて波止場が求めていた答えを、井ノ森はいともたやすく紐解いていく。

 

 今この瞬間にようやくまともに会話が成り立った相手が、それをあっさりと看破していく様には呆気に取られたが、憑き物が落ちたような感覚には多少なりともほっとする。


「……もっと早くに君と仲直りすべきだったよ」

「勝手に仲間意識持たないで。用があるのは、あんたの頭の中身だけ」


 すげなく答える井ノ森の代わりとばかりに、櫃辻がテンション高めに声を上げた。


「あはっ、さっすが櫃辻が見込んだ未来のパートナーだよ! やっぱ持つべきものは天才怪獣ノモリンと、ツンデレな大親友だ!」


「……っ、と……抱き着かないで、鬱陶うっとーしい……!」


 一歳年下の友人を、妹を猫かわいがりするように撫でまわす櫃辻と、

 後ろから抱き着いてくる姉気分の友人を、さも鬱陶しそうにするばかりで振り払おうともしない井ノ森。


 割って入るには惜しい光景を前に、波止場は自然とツキウサギに話しかけていた。


「……ツキウサギさん、もしかして最初からこのこと知ってたんじゃない?」


「おや、どうしてそう思うんです?」

「君は俺の頭の中に住んでるんだ。だったら、俺より俺のことに詳しくてもおかしくない」

「んはは、買い被りすぎですよ。私はただ、出し惜しみしてただけです」


 やっぱり知ってたのか……


 波止場は和装のバニーガールを睥睨へいげいするが、なおも彼女は悪びれる素振りもなくこう続ける。


「だって記憶を失くしたばかりの波止場様に──『あなたはゲームで負けて記憶を奪われたんです』──って言ったところで、信じたと思いますか?」


「……まぁ、信じなかっただろうね」


「だから何度かゲームをプレイして頂いて、理解の土壌が整った頃に改めて打ち明けるつもりでした──いいえ、波止場様が自らの力でその答えに辿り着いてくれたらなぁ、ってのが本音でしたかね」


 波止場は言葉なく嘆息した。

 全くこのバニーガールは、と。


「まぁ、一体〝誰〟が波止場様の記憶を持ち去ったのかについてまでは、ログに残ってないので私にも確認のしようがありません。それに、先ほどの〝記憶探し〟では件の相手とマッチングすることは叶いませんでした……。

 それは、つまり──」


「……その誰かさんはもう、俺が持ってるモノには用がないってことか……」


「……です。私たち《NAV.bit》は片想いのキューピットにはなれませんからね。だからこそ波止場様には、渡鳥様が持っていたはずの〝鍵〟を手にして欲しかったんですが」

 

 珍しく、ツキウサギはきまり悪そうな苦笑を幼顔に滲ませていた。


 これまでも、彼女なりに波止場の記憶を取り戻そうと真剣だったのかもしれない。

 電脳天使を自称する彼女の表情には、そんな彼女なりの苦悩が見て取れた。


「……」


 そう思うと、不思議とこれまで空虚だった伽藍堂がらんどうふちに、微かに揺らめき立つモノを波止場は自覚する。

 だが、それは未だかすみのようで、そのカタチすらはっきりとはしない。


 ユメも記憶もたかがゲームで奪われて、

 それでもなおお前はこの世界で何を望む?

 

 波止場が静かにそう自問していたときだった。


「──何よ、これ……」


 それは、井ノ森が呟いた声だった。


「うへぇ、なにこれ。気持ちわる……」


 それは悲鳴にも近い、恐怖に呻くような櫃辻の声だった。


「……何その反応? これ以上不安になるようなことはやめてよ……?」


 一体なにが彼女たちをぞっとさせたのか、波止場は二人が凝視する表示窓ディスプレイを覗き込んだ。


 相変わらずそこに記されている文字列は意味不明で、何かを読み解くことなどできないように思えたのだが、しかしここにいる全員が画面上を侵すその異様に息を呑んでいた。


 一言で言うなればそれは──〝バグ〟だった。


 そうとしか形容しがたい、

 表記の揺れ。

 歪み。

 黒く塗り潰された文字列。

 出鱈目な記号。

 

 たかが文字の配列だけでこうも人の認識を掻き乱し、不安にさせるのかと思うほどに。

 画面上に暴き出された波止場の脳内は、不可解なバグによって侵食されていたのだ。


「……井ノ森ちゃん、これは?」


 応えはない。

 井ノ森は取り憑かれたように表示窓ディスプレイを見つめている。


 ややあって彼女から返ってきたのは、真意の解らない奇妙な問いかけであった。


「……あんた、今までに自分が〝不運〟だって思ったことはある?」


「えっ……?」


「災難にやたらと遭遇したり、上手くいかないことが連続したり。そういうまるで呪いのような〝不運〟を自覚したことは、ある?」


 自覚どころか思い当たることが多すぎて、波止場は無自覚に頷いていた。


「でも、なんでそんなこと?」


「……想像通り、あんたにはEPがインストールされてた。それも常駐のシステムアプリとして、あんたの奥深くに。これ、見て。いま解るよう変換するから──」


 井ノ森が表示窓ディスプレイを操作すると、これまで意味不明かつおびただしいバグに侵されていた文字列がパズルのように噛み合い、そこに一つの意味ある言葉を導き出した。


「これが、あんたの中に在るEP──《#CRACKクラック‐E》。

 

 その機能は、使用者の許に〝不運〟を呼び寄せる呪いのアプリ、ってとこね」


 画面上に改めて表示されたEPの名と、その意味を、井ノ森は読み上げた。

 そして最後の一節を口にするとき、彼女は指を鳴らして小さく笑う。


「ほら、やっぱりあった。


 ──エルピスコード」


 無人のリビングから不可解な軋みの気配が起こったのは、その直後だった。


「え、なに……⁉」


 ブゥゥンと空気が泡立って振動するような音に続いて、幾つかの足音が床を踏んだ音と微かな光がリビングの方から漏れてきたのだ。

 

 室内のモニター群がザラザラと明滅し、幾つもの警告文を発したあと、やがてこときれたかのように部屋ごと真っ暗になる。


「──はぁ⁉ 嘘……ッ、クラッシュした⁉ 違う、割り込まれた……ッ⁉」


「落ち着いてノモリン。ただの停電、なわけないよね」


 不審に顔をしかめ、まず部屋を飛び出していったのは櫃辻だった。


 そのあとに続いて波止場たちも部屋を出て、すぐ隣のリビングへと向かう。


 そこには誰もいないはずだった。

 しかしその仮面の男は、不自然に歪曲した空間を背に、白装束の群を率いて悠然とそこに立っていたのだ。


『関わるなと言ったはずだが。全く、困った子供たちだ……』


 ノイズ混じりの声、ノイズに乱れた仮面。

 そして首から提げた社員証。

 

 見間違えるまでもなく、その男は波止場の日常に二度目の介入を果たしにやって来た。


『さて、今度こそ私と来てもらおうか──〝不運〟なる対応者』




* * * * * * * * * 

※次回の更新は4/13(土) 26:00 です。

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