【第29話】不運とユメと記憶とゲームと

「──って、なぁにあっさり負けてんですか、波止場様ッ!」


 アパートメントの七階にある櫃辻宅に、和装系バニーガールの叱咤が響き渡った。


「せっかく相対した極上の獲物を前にしておきながら、大した見せ場もなくモブみたいなしょぉぉーもない負け方して! モブみたいにっ! ええ、モブみたいに!」


「むぐ、ッ……!」


 日も暮れどき、おめおめ戦場から敗走し帰ったあと、早速リビングのソファでくつろぎ始めた主の背に飛びつき、完璧な形でヘッドロックを極めるツキウサギ。

 和装の襟元から零れ落ちんばかりの双丘に圧し包まれる役得を意識する間もなく、波止場の意識は理不尽な圧迫に断絶しかかっていた。


「そうだよ、酷いよポッポ君!」


 そんなじゃれ合いやら折檻やらに便乗する少女がもう一人。


 櫃辻は、顔を真っ赤にしてギブアップを訴える波止場の隣に腰を下ろすと、ずずいっと彼に詰め寄った。


「勝手にいなくなっちゃったかと思えば、あのお嬢様と隠れてゲームやってただなんて!これは立派な浮気行為だよっ! そーゆう面白そうなことにはまず、櫃辻も誘ってくれないと!


 ──イイなぁー、櫃辻も渡鳥のお嬢様とゲームしたかったなぁ」


 はたしてそれは一体どっちに対する嫉妬なのか……


 ゲームのあと、渡鳥はあっさり波止場をガーデンから帰してくれた。

 元よりゲームをするためだけに出逢った二人だ。用事が済めば、あとは解散するだけの関係だった。


 戻った先のカフェでは、いきなりバックヤードから厨房に現れた不法侵入者とスタッフとの間でひと騒動があったものの、そのあと櫃辻とは難なく合流できた。


 彼女はしばらく波止場を探し回っていたとのことで、そのことについては大変申し訳なく思ったが、ひとたびその理由が渡鳥とのゲームだったと知れると、彼女はむしろ「どうして自分も連れて行ってくれなかったのか!」と新たな不満にプンスコ怒り始めたのだ。


 ……あのガーデンでの一幕は、実は白昼夢が見せる幻だったのではないか……


 波止場は二人の少女からの非難を聞き流しながら、そんな風に考えていた。


 渡鳥という少女が絶大なる知名度を誇る人物であることは、櫃辻から改めて聞いて知っていた。


 彼女を本物のお嬢様たらしめる父の威光。

 六號の企業連を傘下に統べる渡鳥財閥が影響力。

 そんな家名を背負ってなお霞まぬ彼女自身が打ち立てた伝説の数々を。


(……神がかり的ラッキーガール──渡鳥メイ、か……)


 本来であれば、小市民との接点など持たぬ財閥のご令嬢。


 しかし二刀流のバニーガールを傍らに従え、パンドラゲームという戦地を渡り歩く幸運の女神様の逸話は、ゲームの都・パンドラではあまりにも有名な話だった。


 ともすれば、そんな無敗の女王に素人同然の波止場が負けたのはもはや必定。

 悔しいなどという思いは微塵もなく、事故に遭ったと思えば簡単に割り切ることができた。

 

 だが、


 主がそうも簡単に折れてしまったことが、ツキウサギには堪らなく不満だった。


「まったく……解ってるんですか? 波止場様はみすみす記憶の手がかりを逃してしまったんですよ? 私の見立てによれば、渡鳥様に勝利することさえできたなら、波止場様の〝記憶探し〟は大いに前進したはずなんです。それを、すがるでもなくあっさり帰ってきてしまうなんて……」


「……そんなこと言われても、負けちゃったものは仕方ないでしょ。勝たなきゃ俺の希望は叶わない。そういうゲームなんだって、ツキウサギさんが言ったんだ」


 ヘッドロックは浅くかけたままで、波止場の背におぶさるような格好になったツキウサギは、未練がましく恨み言を主の耳元に吹きかける。そこで波止場はようやく彼女との密着度合いを意識するに至ったが、肝心の言葉の内容にはなんら響くところがない。


 元より覇気の薄い少年だったが、今の波止場にはその欠片すら失せていた。


「でもさ、一応記憶の手がかりは見つかったわけでしょ? その持ち主が例のラッキーガールだったってのは超驚きだけど……少なくとも、マッチングはできるって解っただけでも一歩も二歩も前進だよ。この調子でバシドシゲームしていけば、きっとポッポ君が忘れちゃった過去にもいつか辿り着けるはず!」


 もやもやとした霧をすぱっと切り払うかのような気持ちのいい櫃辻の激励に、ツキウサギも首肯する。


 やはり初戦の相手が彼女でよかった。


 そう思う一方で、

 次戦の相手にあの人間様を引き合わせたのはまずかったかな、と彼女は後悔してもいた。


 なぜなら……


「……あー、櫃辻ちゃん。それなんだけどさ……俺、やめるよ」


「え? やめる、って?」


「記憶探しだよ」


 何の未練も執着も感じさせない彼の一言に、櫃辻はきょとんとする。


「……別に手がかりを追ったところで俺の記憶が戻るとも限らないし、仮に昔の俺を知ってる誰かに会えたところで、俺はその人のことを憶えてない。過去を突いても出てきたのはなぜか俺を狙ってるヤバげな連中と規格外のお嬢様だ。自分のことだけど、これ以上深入りしても碌なことにならない気がするんだ。だったらいっそもう全部すぱっと忘れて、過去なんか気にしない方が楽なんじゃないかって、さ」


 そう思うわけだよ、と──

 波止場は決定的に何かが欠けた眼で、そう言った。

 

 そんな波止場の異変を櫃辻も感じ取ったのだろう。


「ゲットちゃん、ゲットちゃん──ポッポ君、どうしちゃったわけ? なんかいつにも増してダメそうなオーラ出てない?」

「んはは、櫃辻様もついに気付いちゃいましたか。波止場様のダメさ加減に」


「……俺をディスるのはいいけど、せめて俺の頭挟んで言うのはやめてくれない?」


 彼のネガティブ思考は今に始まったことではなかったが、やはり何かが違うのだ。


 エロキュートなバニーガールに後ろから抱き着かれ、隣には今をときめくアイドルを侍らせておきながら、波止場は童貞臭いリアクションの一つ見せやしない。

 居心地悪そうに身を竦め、年寄りめいた厭世に沈んだ表情で「はぁぁ……」と溜息をつくばかり。


 彼の思春期回路を大きく鈍らせてしまった一つの要因、それは──



「──大方〝ユメ〟でも盗られたんでしょ」



 不意にリビングにやって来た声に、三人ともが振り向いた。


「あ、ノモリン!」


 その人物こそは、つい昨晩波止場に全裸を覗き見られた灰空色髪の少女──

 

 井ノ森ナギだった。

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