【第28話】神がかり的ラッキーガールの憂鬱

 地位も名誉も財産も、この世界では容易にゲームのためのチップと換わる。

 

 誰もが大望欲望を胸に秘め、

《NAV.bit》が魅せる希望成就への近道に夢を見る。


 欲深き大衆からすれば、少女が生まれ落ちた財閥という巣はありとあらゆる希望を詰め込んだ宝物庫のようなものだった。

 なんでも持っているが故に、その財宝をつけ狙う盗人の数は計り知れない。

 

 そして、財閥の長たる渡鳥の父親もこれに打って出るべしと自らも野望を抱いて戦地に赴き、その都度に財閥の力はなおも増大していった。

 

 ときに権力や財力を持つ人々は、ゲームのプレイヤーを腕に信頼のおける代行者に任せることがある。自分で一からスキルを磨くよりは、その腕を磨くことで名を轟かせんとする専門業者プロに頼んだ方がよっぽど堅実だ。

 

 渡鳥メイが父の代行としてその戦場に立ったのは、齢にしてまだ八歳のときだった。

 

 その頃から彼女が身に宿した〝幸運〟の片鱗は、人々を驚嘆させるに値する戦果を挙げていた。身の丈など背伸びしてもなお余りある大人たちを、渡鳥はただの幸運だけで討ち果たしていったのだ。


 知能でも技術でも狡猾さにおいても、当時から徐々にゲームに取り入れられ始めていた〝チート〟の扱いにおいても、少女は明らかに劣っていたし、それでも少女はなに一つ苦労することなくゲームに勝ち続けた。


 賽の目は必ず最高の結果を叩き出し、

 何気ない偶然は少女を勝利へと押し上げ、

 弄した策は総て少女を捕らえることなくすり抜けていく。

 

 自ら意図することなく、切り札は常に少女と共にあった。

 

 それでも彼女の異才を信じ切れない者たちが愚かしくもその伝説に挑み、自らの敗北を以て新たな伝説を語り紡ぐ。


 ──〝神がかり的ラッキーガール〟


 そんな愛らしくも俗物的な名で少女の奇跡を飾ることでしか、敗者の無聊ぶりょうを慰めることはできなかったのかもしれない。

 

 しかし、


 誰も少女が真に秘めたる想いにはついぞ気付かなかった。


 総てを手にしてきたその幸運なる少女は、

 一度だって自分の〝ユメ〟を語ったことはなかったのだから。



 # # #



 平常の静けさを取り戻したガーデンには、すでに来客の姿はなく、水路を流れる川のせせらぎと小鳥たちが囁き交わすさえずりが、いつにも増して大きく聞こえる。


「……ふぅ──」


 ティーカップを傾け、

 従者に注がせた紅茶に唇を湿らせる。

 

 対戦者の去ったガーデンテーブルにて、渡鳥は憂いに帯びた面持ちで吐息にも等しい溜息をついていた。


「ねぇ、ニト。《NAV.bit》の目には、わたくしの欲するモノの在り方が解る。そうでしたわよね?」


「はい、仰る通りです。定形にしろ不定形にしろ、それが主の希望を叶えるに足る要素であれば、私どもにはそのチップの所在と価値が解ります」

 

 二刀ウサギはティータイムに彩りを添えるデザートを主の前に差し出しながら、慇懃いんぎんな態度でそう答える。騎士然とした風体の彼女だが、普段は渡鳥の身の回りの世話をするメイドとしての役割をもこなしていた。


 彼女が淹れてくれる紅茶とお手製のおやつは、渡鳥がなにより至福とするところだ。


 焼き色のついたカップケーキの香りに、渡鳥はさっそく頬を綻ばせつつ、


「じゃあ、彼は確かにわたくしの望むモノを持っていた……そういうことですわよね?」

「はい。あの男の〝ユメ〟は確かに、この私が徴収致しました」


「それが、これよね?」


 と、右手のナイフでテーブルの真ん中に置かれた黄金の匣を指し示した。


《NAV.bit》が契約者の希望を叶えようとするとき、それは敗者からの徴収によって行われるわけだが、その際チップとして賭けられた希望は等しく黄金の匣に梱包され、所有者の体外に具現する。


 それは形あるモノや形のないモノを等しく譲渡可能な一データとして圧縮するための措置であり、ゲーム的な演出の意味合いも込められている。


 だからこうして目の前に具現化した以上は、その匣には渡鳥がゲームで勝ち獲った希望が納められているはずなのだ。

 

 即ち、渡鳥が望んだ〝ユメ〟が。

 

 しかし、テーブルの上で蓋を開いた箱の中身はどう見ても──


「──から、ですわよね」

「……空、ですね」


 空だった。


 渡鳥はこれまでに経験してきた数多のパンドラゲームにおいて、対戦相手が胸に懐いてきた〝ユメ〟という夢想の芽を幾度となく摘み取ってきた。ただの空想にすぎないそれも、はたして二刀ウサギの手によってデータ化され、EPという形で箱の中に具現化した。


 そのEPには、他者のユメを夢として見る《#夢見》の機能が備わっていた。

 

 渡鳥はついぞ見ることの叶わなかったユメという情景を、EPによって再現された夢を見ることで、その体験を一種の観劇のような形で愉しんでいたのだ。人の数だけ在る未来予想図が描き出した理想郷ユメは、そのどれもが甘美なデザートにも等しかった。


 その収集癖こそが、渡鳥がパンドラゲームに懸ける唯一の理由だった。


 だからこそ、

 箱の中身が空っぽだと知ったとき渡鳥は酷く落胆したし、それ以上に狐に抓まれたようなサプライズに、困惑した。


 これは何の冗談かしら、と。


「……理由はどうあれ。これじゃあ、今夜は楽しいユメも見られなさそうですわね」


「申し訳ございません、お嬢様! 渡鳥お嬢様の夢見を冒涜した罪。不祥この二刀ウサギ、とうに死んで詫びる覚悟はできていますええさようなら──!」


「馬鹿、そんなの駄目よ」


 速やかに膝をついて自決のために剣を抜いた二刀ウサギだったが、丁度その刃の反りがテーブルの脚にヒットし、揺らいだ天板からティーポットの中身が彼女の手の甲に降りかかる。


「──あっつ!」


 と、慌てて飛び退いたバニーガールの手からは自決用の得物が離れ、床に落ちている。

 

 そんな一連の流れにも渡鳥は顔色一つ変えることなく、カップケーキの皿とティーカップをそれぞれ両手に退避させ、優雅に椅子の上でくつろいでいる。

 

 総ては幸運、されど必然。


「きっとこの出逢いにも意味はありますわ。だとすれば次にあなたがすべきことは──今夜のメインディッシュをわたくしの許に届けること」

「お嬢様……それは、つまり」


「ええ、狩りに赴きますわよ。


 一つ、どうしても食べてみたいユメを見つけましたの」


 片膝をついたまま二刀ウサギが窺い見た主の横顔は、遥か高天から肥えた獲物を見つけ唾を引く、猛禽もうきん類のような笑みを湛えていた。

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