【第25話】‐ 金貨すくい ‐
波止場がまず思い当たったのは、
いつの間にか傍らに戻ってきているツキウサギのことだった。
思えば、新世界運営委員会が現れるより以前、このバニーガールは〝合った〟と口にしていたのだ。今更なにと〝合った〟のかは、あえて問うまでもない。
「……ツキウサギさん。じゃあ、あの子が──例のマッチング相手?」
「です。波止場様の想像通りです」
やっぱり、と波止場は改めて、テーブルの縁に腰掛けこちらを見据える少女を見返した。
(……じゃあこの子が、俺の記憶の手がかりを……?)
「波止場くん、でしたわね。あなたは何を望んでここにいますの?」
それは奇しくも、波止場が彼女に訊ねようとしていた疑問とも重なる問いだった。
「……記憶だよ」
「記憶?」
と、オウム返しに首を傾げる渡鳥。
「俺には記憶がないんだ。だからその失った記憶の手がかりが掴めないかと思って」
「まあ、記憶喪失⁉ わたくし、記憶喪失ってフィクションでしかあり得ないイベントだとばかり思っていましたわ。それがまさかこんな身近に──!」
何が琴線に触れたのか、手を打ってお喜びなさる渡鳥お嬢様。
もはや記憶喪失という属性がぞんざいに扱われすぎて、一人思い悩んでいる自分が馬鹿らしく思えてくる。
「……でも、だとすれば変ですわね。わたくし、あなたとはこれが初対面のはず。あなたの顔にも名前にも、これっぽっちも心当たりがありませんわ」
新緑のガーデンを背景に、
そもそも心当たりがあるのなら、もっと早くに彼女の方からリアクションがあってもいいはずだ。
だとすれば、この出逢いは何だ?
「相手が望むモノこそがチップになる──ともすれば、自覚がないままに〝それ〟を所有している場合もあります。無意識の記憶か、あるいはそこに至るまでの手段か。 櫃辻様のときのように、本人の裁量によって叶えられる場合もあるでしょう」
「……ツキウサギさんは、何が賭けられてるか知ってるんじゃないの?」
「です。無論、見えてます」
相変わらずの人を食ったような返答に、波止場は
「とはいえ、マッチングの段階で解るのはその可否と価値の程度だけ。私もこの目で見て驚きました。あの方が持っているのは──〝総て〟です。波止場様の記憶と結びつくだけの手がかり然り、記憶探しへの旅路を飛躍させ得る手段然り、
興奮も露わに語る彼女の表情は、およそ人工のアプリが浮かべるものと思えない熱を帯びていた。
思わぬ大物が糸にかかったぞ、と。
「ですので、ええと、言葉にして言い表すのは難しいですが。当人に自覚がなかろうと、要は最終的に希望が達成されればいいんです。そうすれば、おのずと解ります」
「……彼女とのゲームに勝てば、俺の記憶の手がかりも得られる──」
「です。呑み込みが早くなってきたじゃないですか。私のチュートリアルの賜物ですね」
ツキウサギは満足そうに笑うと共に、波止場の二の腕に軽い袖パンチをくれる。
どうにもまた彼女に上手く乗せられてる気がしないでもなかったが、どのみち自分には他に選べる選択肢などないのだ。
やるしか、ない。
「くふ、その通りですわね。互いの《NAV.bit》がこの出逢いを導いてくれたんですもの。そのときになれば、おのずと解りますわよね」
波止場は渡鳥に招かれるがまま、席に着いた。円形のテーブルを挟んで向かいに渡鳥も腰を下ろす。
互いの《NAV.bit》をそれぞれ傍らに侍らせて、まずは会合の第一歩。
「波止場様。ゲームを始めるにあたって、何かリクエストはありますか?」
「そうだな……昨日みたいな大がかりなやつじゃなくて、もっと簡単なやつがいい」
小一時間に渡り街中を駆け回るのはもうこりごりだった。
それに、あまり櫃辻を待たせるのも悪い。今頃彼女は所在の掴めない波止場を探し回っているかもしれないのだ。
「ニト、こちらはいつも通りで構いませんわ。フェアにいきましょう」
仕えるお嬢様に
波止場は無意識に居住まいを正しつつも、素朴な疑問を訊ねてみた。
「……ところで、渡鳥ちゃんの希望って?」
「わたくしの希望は──〝ユメ〟ですわ。それだけがわたくしの唯一の望み」
簡潔にして二文字。微笑みながらも渡鳥が口にしたその言葉の甘さとは裏腹に、彼女の瞳の奥には冥々と
(……ユメ、ね。またそれか……)
「「──整いました」」
僅かな沈黙の
波止場から見て右にツキウサギ、左に二刀ウサギが立っている。
《NAV.bit》にはありとあらゆるゲームを再現する機能がある。それは街一つを貸し切った壮大なゲームでもいいし、駒一つで遊べるような手軽なボードゲームでもいい。
必要に応じてゲーム盤を用意し、ルールを制定し、
それこそが唯一パンドラゲームを開催する権限を持った彼女たちの責務であり、また、人間が彼女たちを従える真価と言えるだろう。
二刀ウサギはおもむろに刀剣の一つを鞘から抜くと、その切っ先で軽くテーブルを叩いた。
するとそれは音叉を響かせるように、天板に音と波紋を呼んで──波打ったテーブルの表面から、黄金の意匠が眩い〝水瓶〟が浮かび上がった。
「それではこれより、パンドラゲーム──
──『金貨すくい』のルール説明を行います」
凛と引き締まる声音で、二刀ウサギはそのゲームの名を口にした。
その対面、ツキウサギは「捻りがない」と不服そうに呟きつつも、
水瓶と天秤とが揃ったのを見て、二刀ウサギは粛々と説明を始める。
「この水瓶には、数にして丁度一〇〇枚の金貨が沈められています。そこでプレイヤーが行うアクションは二つ──
一つ、自分の手番に水瓶から金貨を片手に握り込める分だけ掬い上げる。
二つ、水瓶から掬い上げた分の金貨を天秤へと運び、自分の側の秤に載せる。
──以上二つのアクションを交互に繰り返し、手番が五回巡るか、天秤の秤が片方の側に傾き切った時点で、より多くの得点を獲得していたプレイヤーの勝利となります」
まるで元からそうであったかのようにテーブルの天板に縁より下を埋めたその水瓶は、綺麗に澄んだまろやかな水で満たされていて、テーブル一体型のバードバス、と言われれば納得できてしまいそうなほどに馴染んでいる。
そう深くはない水瓶の底を覗いてみれば、
水中にあってなお眩い輝きを照り返す一〇〇枚の金貨がそこには沈められていた。
──〝金貨を掬って、その総量を秤に載せて競う〟
なるほどそれなら簡単だし、走り回ったりする必要もない。そう得心する一方で、はたしてそれがゲームとして成立するのだろうか? という疑問も浮かぶ。
そして主がそんな野暮な疑問を挟む前に、ですが──と、ツキウサギは説明を勝手に引き継いだ。
「──ですが、この金貨は一見等価値に見えて、その実〝正の質量〟を持った金貨と〝負の質量〟を持った金貨の二種類が存在します。見ててくださいね──」
ツキウサギは濡れないよう和装の袖を捲ってから、金貨を二枚、水瓶の底から掬い取った。そしてその内の一方の金貨を、天秤の秤に一枚落とす。
するとどうだろう。
「あら、不思議」
天秤とは重さを量る計測器だ。金貨を右の秤に載せれば当然、それは金貨の重みに従って右に沈み、もう一方の空の秤は宙に吊り上げられる。それが道理だ。
だが、いま波止場たちの目の前ではそれとはまったく逆のことが起きていたのだ。
金貨を載せた方の秤が宙に吊り上がり、何も載せていない秤が沈んでいる。
「──これが〝負の質量〟です」
二人の反応に気を良くしたツキウサギは、すでに金貨が載った秤の方にもう一枚追加で金貨を落としてみせる。
二枚の金貨を載せた秤は、今度は上がるのではなく、ギギ、と下に沈んだ。
片方にだけ金貨を載せた天秤は、そこでようやく釣り合いがとれたのだ。
いま追加した一枚こそが、〝正の質量〟を持つ金貨だった。
「一度に獲得できる金貨の枚数に上限はありませんが、その中に紛い物が紛れているかどうかは秤に載せてみるまで解りません。そしてそのプラスもマイナスも、その時点でプレイヤーの得点として加算されます」
「……本物と紛い物の割合は?」
「フィフティ・フィフティ──総ては均等だ」
波止場の質問に答えたのは二刀ウサギだった。
台詞を取られた、とツキウサギはむすっとした面持ちで、デモンストレーションに使った二枚の金貨を水瓶に放り投げる。
無造作に見えるその仕草の最中にもツキウサギは、袖下に金貨を隠した上で、真贋を悟られないようシャッフルしている。流石は公正公平を謳うだけのことはあって、主が目で追う隙すら与えない徹底ぶり。こういうところは至極真面目なのだ、彼女は。
金貨はゆらゆらと水瓶の底に沈んでいき、やがて真贋混在する金貨の山に加わった。
「他に質問がなければ、このままゲーム開始の
しばらく水瓶を覗き込んでいた波止場を見咎めるように二刀ウサギがそう言うと、
ありませんわ、と渡鳥がかぶりを振り、 波止場もそれに倣って先を促した。
「──くふ。過去を失くしてなおわたくしの前に現れたその大望。波止場くんが一体なにを見せてくれるのか、今から楽しみですわね」
それは当然、波止場のゲームセンスだとか、駆け引きの間に挿し挟まるドラマだとか、そういうものを期待しての言葉だと思っていた。
「……渡鳥ちゃんの希望に叶うかは解らないけど。まぁ、お手柔らかに頼むよ」
両プレイヤーによる「Ready」の宣誓。そして《NAV.bit》による開催の合図。
それらは事務的に進んでいき、波止場の先攻で『金貨すくい』はまもなく開幕する。
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