【5章】ユメ狩り

【第23話】秘密の楽園

「──あれ、ポッポ君は──?」

 

 瞬きほどの一瞬。

 気付けばついさっきまで傍にいたはずの波止場の姿がない。

 

 昼下がりのカフェ前の街路では、忽然と姿を消したとある少女の行方をおもんぱかるざわめきだけが残されている有様で、そもそもの発端となった白装束の集団──新世界運営委員会の一団を率いて地上に降り立った仮面の男については、未だ櫃辻の前に佇立していた。


『……フン。やはり捨て置けんな、あの少女の持つ〝幸運〟は。毎度こうも都合よく世界を味方につけられては、こちらも手の打ちようがない』


 季節外れのハロウィンナイトからはぐれた仮装集団、といった風に所在なさげに狼狽える幽鬼たちとは違って、仮面の男は事の子細を察した素振りで小さくかぶりを振った。


『あの男の姿も見えないとなると、これはいよいよ確定と見える。二人の痕跡を尾けておけ。これ以上ここに留まる意味はない』


「──あのっ! 仮面の人!」

 

 部下らしき白装束たちに指示を出しつつきびすを返す仮面の男に対し、櫃辻はあろうことか自ら歩み寄って行って、声をかけていた。


「なんでポッポ君のこと捕まえようとしてるの? ポッポ君のこと、何か知ってるの?」

『……ポッポ君? ──あぁ、彼か』


 腑に落ちた様子で櫃辻に向き直った仮面の男は、逆にこう訊ねてくる。


『君は彼のことをどこまで知っている? 彼から何を聞いた?』

「えっ? いや、何も……これからちょっとずつ知っていけたらイイかな、って」

『……そうか。聞いていないのであればそれでいい』


 正体隠匿用のホログラムに覆われたノイズ混じりのかおは、今度こそ櫃辻に背を向けて、街路の中空にふっと現れた〝歪み〟へと向かっていく。


 それは、遠く離れた場所との行き来を可能とする『ポータル』の歪みだった。


『これ以上あの男には関わるな。彼の〝不運〟に巻き込まれたくなければな』


 去り際にそう言い残すと、白装束の集団はポータルを潜って街路から姿を消した。

 轟々と重低音を鳴らす飛行船が高層ビルの峠を抜けて飛んで往くのを見上げながら、


「……関わるな、かぁ。──あはっ。やっぱイイね、ポッポ君は」


 これから訪れるであろう波乱の予感に、櫃辻は一人ぶるりと歓喜に震えるのだった。



 # # #



「──さぁ、どうぞ入って。ここならばもう安全ですわ」

 

 亜麻色髪の少女は、ゴシック風の衣装を飾るレースを軽やかに翻しながら、開け放った扉の奥へと波止場を誘った。


 そこは慎ましくも圧巻な新緑に彩られた──ガーデンだった。

 

 木々や花々の彩りと小路を流れる川のせせらぎ。人工の園でさも自然かのように振る舞うのは、ホログラムで象られた小鳥や蝶、魚たちだ。ふと周囲を見渡すと、ここが鳥かごめいたドーム状の壁に覆われていることに気付く。遮光窓の外には青空が広がっていて、そこから零れ落ちてくる陽の光は肌に触れてなお心地よい。


 天上の鳥かご──波止場にはここがそのような場所に思えた。


「その顔、気に入ってくれたようでなによりですわ。わたくし、ニト以外の誰かを自宅に招いたのは初めてですの。だからちょっと、緊張しちゃいますわね」

「……自宅、ね……」


 どこからツッコんでいいものか。

 視線を巡らせた先には、明らかに温室の通用口とは趣の異なる観音開きの扉があった。その扉の向こうには彼女の居住スペースとなる母屋に繋がっているとのことで、つまりここは客人を招くための玄関であり庭なのだろう。


 しかし、波止場が反応に困ったのには他に理由がある。


「……俺、カフェの店内に入ったはずだよな。それがまた……どういうカラクリだ?」


 世界が静止し、動ける者だけが居残ったあのあと。

 波止場の袖を引いて少女が逃げ込んだのは、なんとカフェの厨房だったのだ。


 客もスタッフも瞬き一つしない置物と化した店内に、スタスタと我が物顔で入っていった亜麻色髪の少女に肝を冷やしつつも、淑女然とした足取りで進むその後ろ姿を呼び止めるのもはばかられる。

 そんな折、少女が厨房の奥──『スタッフオンリー』と書かれた扉の前で立ち止まり、「ここですわ」と声高々に言い放ったときには、波止場も頭を捻った。

 

 だが、はたして彼女が開け放った扉の向こうには、敷地面積を遥かに無視した荘厳なるガーデンだ。

 しかも彼女はここに住んでいるという。もうわけが解らない。


「ここはパンドラの内部に創り上げた──『拡張空間』ですわ。コスモスネットワークを巨大な大樹とするならば、この拡張空間はその枝葉に実った果実。サーバー内に外界とは異なる独立した空間を拡張する技術、これはその応用ですの。

 これほどの規模の拡張空間を個人で保有してる人間なんて、そうはいませんのよ?」


 多分、世界でも五人くらい──と、少女は五指を広げて気さくに笑う。

 

 少女の出で立ちや佇まいには、年相応のフランクさがありつつもなお気品があり、彼女が誇らしげにフフンと口の端を吊り上げて見せても一切の嫌味を感じない。


 少なくとも悪い子ではなさそうだ。

 波止場は彼女の印象をそう結論付けた。


にもかくにも、ここなら新世界運営委員会にも探知されずに済みますわ」

 

 くだんの怪しげな連中の名が挙がったのを機に、波止場は庭の通路を歩きながら訊ねる。


「あの連中は、一体なんなの?」

「ご存じありませんの?」

「このパンドラを陰ながら運営してる裏方組織……とだけは聞いてる。なんでもあのバカデカい塔を管理してるとか」

「それだけ知っていれば十分ですわ。彼らは非営利の中立組織。管理塔サーバーの安定を維持することでパンドラを永劫存続させることに終始する、無害で有益な人たち」


 ここパンドラが仮想世界として成り立っているのは、仮想現実を幻視する〝脳〟としての機能と、人と世界とを紐付ける〝神経回路〟としての機能を管理塔サーバーが有しているからに他ならない。

 

 一基のサーバーに委ねられた新世界の在り方は、半永久的なエネルギーを自家発電にてまかなう手段があったとて不安定な入れ物には違いなく、また、外部からの援助を完全に断つことで独立したが故、内部からのメンテナンスは必要不可欠な条件だった。

 

 熱帯魚を浮かべた水槽のコンディションを絶えず見守り、異常が起こる前に対処することを徳とする世界の監視者──それが、新世界運営委員会の存在意義だった。


「そんな連中が、なんで俺なんかを……違反がどうのって言ってたけど」

「それはきっと、あなたが〝対応者〟だから。だと思いますわ」

「対応者……?」

「あなたも見たでしょう? この世界が凍りついてしまう瞬間を。あれはこの世界を構築する管理塔サーバーに支障が起きたために発生したノイズ。本来であればその影響はネットワークに繋がれた総てのモノに降りかかるはずですの。

 でも、例外としてそのノイズに〝対応〟できる存在がいる──それを、彼らは対応者と呼んでいますの。

 彼らはこの世界の安定を望む立場でありながら、その異常を正確に認知する術がない。だからこそ、世界の危機と向き合うことができる対応者を欲していますのよ」


「……随分と詳しいね」

「わたくしのお父様はパンドラ開発に携わった一人ですもの。それにこの件に関しては、わたくしも無関係とは言えませんし」

「……君も、この世界が終わることを知ってるわけだ。俺と同じで」


 波止場の問いに頷きつつ少女は振り返ると、改めて歓迎の礼を取って立ち止まった。


「挨拶が遅れましたわね。わたくしは、渡鳥ととりメイ。六號きっての名家、渡鳥財閥が長──渡鳥十三じゅうぞうの嫡女と言えば通りはいいかしら?」


 渡鳥と名乗ったその少女。

 膝上丈のスカートの裾に手を添え、うやうやしく一礼をしてみせるその姿は通りに恥じない〝お嬢様〟としての品格を備えていた。

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