【第22話】ストレンジャー・ビューティー

『我々に同行願おう』

 

 それが合図となったのか、

 傍で控えていた白装束の集団が一斉に動き出した。


「……!」


 歩くのでも、走るのでもなく、

 白装束の集団はつま先で滑るような動きで波止場たちを瞬く間に取り囲む。

 その動きは幽鬼を彷彿とさせ、波止場はその異様にギョッとする。


「──ポッポ君、ポッポ君! よく解んないけどさ、悪いことしたなら自首しよ! 櫃辻、ポッポ君が罪償って出所してくるまで待ってあげるからさ!」


「記憶にない罪で捕まるつもりはないよ──てか、もしかしてそれか……原因?」


 ふと思い当たって、波止場はツキウサギに問いかける。


「ツキウサギさん、この人たちを呼び出したのは君か? さっき『合った』って言ってたけど、この人たちがマッチングの相手ってわけ?」


「違いますよ。彼らには《NAV.bit》を所持できない規則がありますので」

「何だそれ。じゃあ、何が合ったんだ……⁉」


『抵抗はしてくれるな。我々とて手荒な手段は使いたくないのだ。我々はただ──』


 波止場と仮面の男、互いに異なる焦燥を帯びた声が重なったそのとき。

 混迷極める騒動の渦中に、華のある声が躍り出た。



「──くふふ。これは一体、どういう巡り合わせですの?」



 街路に蔓延していた雑音が、まるで示し合わせたかのようにぴたりと止んだ。

 誰もが彼女の登場に息を呑み、目を奪われる。しかしそんなノイズなどは意にも介していない素振りで、自然と開かれた路を軽やかな足取りで歩いてくる少女の姿があった。


「ニトの予感を辿ってきてみれば、もう逢うこともないと思ってたカオナシさんたちが、わたくしが逢いにきた〝おやつ〟に群がってる。これは、悪いこと? それとも──」


 ただすようでいてその答えを知ってるかのような口ぶりは、小鳥のさえずりのように愉しげで。静かながらも澄み渡って聞こえる声音は、軽やかな鈴の音を聴いているかのようだった。


渡鳥ととりメイ。対応者がもう一人、とは』

「神がかり的ラッキーガール──うっそ、本当に来ちゃった……!」

 

 相争う両者とあえて三角形を作るように立ったその少女に対し、仮面の男と櫃辻はそれぞれの認識を愕然と口にする。

 新世界運営委員会なる者たちが現れたときとはまた違った空気の変わりように、恐らく波止場だけがその正体を掴みかねていた。


(……何だ、あの子。もしかして有名人、なのか……? それにしても──)


 可愛らしくも美麗な少女だった。

 

 シルクのブラウスを肩紐付きのスカートでキュッと締めたゴシックな装いに、羽根飾りを編み込んだ亜麻色の長髪は、華奢な少女のシルエットを包み込むベールのように優雅に波打っていて、やや幼く見える顔立ちには幼齢の女神を思わせる天上の美の片鱗を覗かせている。


 適度に露わになったつややかな肌は繊細な色香を放っていて、その一挙手一投足には人を惹き付けてやまない魔力がある。


 気付けば波止場は、

 息をするのも忘れてその浮世離れした美少女に目を奪われていた。


「カオナシさん。あなたのやり方は気に入りませんわ。ここは夢と希望が叶う街──欲しいモノがあるのなら、それ相応の作法があるんじゃなくて?」


『……間の悪い。しかし──』


 その一方で仮面の男は、

 大衆の目をも眩ます彼女の容貌に惑うことなく冷然と告げる。


『探し物自ら姿を見せてくれるとは好都合だ。あの少女を捕らえろ。最優先で、だ』


 号令一下、数名の白装束が少女を捕らえんと地を滑り、幽鬼のように群がった。

 

 ……が、少女の方は微かにも感情を動かすことなく、のちにやってくる好機を確信し、一歩後ろに下がって道を開けるのだ。そしてそこに現れたのは──


「──!」


 一閃、それが二陣。


 不意に一つの人影が、空間を裂いて少女の矢面に立ったその刹那。二人の白装束が街路の地べたに転がっている。またしても溜飲の気配が、そこかしこで起こった。

 

 あっという間に白装束たちを斬り伏せてみせたのは、一人のバニーガールだった。


 それも二刀の刀剣を左右に構えた、騎士風のバニーガールだ。


「……なに、一時的にネットワーク上から意識リンクを断ち斬っただけだ。人間様に傷を付けるような真似は致しません。が──」


 騎士風のバニーガールは、琥珀色と紅玉色の双眸をすがめて告げる。


「お嬢様に指一本でも触れようものなら、その指は二度と返ってこないものと知れ」


 二刀の刀身をチラつかせて威圧するバニーガールに、残った白装束たちは後退る。

 無理もない。一見すると平和な日常に、あの〝真剣〟は余りにも場違いすぎた。


 背丈はすらりと高く、騎士風のバニー衣装は洗練された肉体を煽情的に、かつ戦場に立って違和感のないよう引き締めている。

 金色の髪の冠を飾るウサ耳は、腰に携えた二対の鞘と並行になるよう後ろにシュッと伸び、整った顔立ちに浮かべる凛とした表情は、戦場を駆ける戦乙女を彷彿とさせる。

 バニーガールでさえなければ、黄金のこしらえが映える二振りの刀剣すらも彼女の勇姿の代名詞となりえたかもしれない。


 シリアスとシュールさが混在するこの状況。やはり冷静な反応を見せたのは仮面の男で、


『公正公平を謳う審判者が我々に楯突くとは……あれは最悪壊して構わん。請求書は私の宛名で出しておけ』


「向こうはああ言ってますが、どうしますか? ご命令いただければ露払いくらいは──」


 新世界運営委員会。そして幼女神と戦乙女。それらの登場でカオスと化したカフェ前の街路にて、波止場は初めて櫃辻と出逢ったときのことを思い出していた。

  

 なんでいつもこう大事になるんだ、と。


「……櫃辻ちゃん。逃げるなら今しかないよね、多分」

「そう、だね。こんなバズ確定演出見逃しちゃうのは勿体ないけど、ポッポ君が捕まっちゃうのはよくないからね。うん、逃げよう」


 そうと決まれば決断は早かった。

 白装束の集団の意識は今、最優先らしき標的の方へと向いている。波止場は櫃辻と顔を見合わせると、コソコソとその場からの退散を試みた。


「わざわざ払う必要なんてありませんわ。きっともうじき、勝手に


 と、少女が含みを持たせた笑みを浮かべた次の瞬間──



〝────、────〟



 音が消えた。カフェのテラスに流れていたBGMが、路上の騒動を前になんだなんだと沸いていた雑踏の声が、飛行船の内外に響くエンジンの駆動音が……

 

 匂いも風も、五感を刺激する自然の気配が消えている。

 

 この異常な景色には見憶えがあった。

 記憶に新しい負の情景。忘れるわけがない。


「……また、これか……」

 

 波止場が周囲を見渡すと──世界が静止していた。

 

 少女に群がる幽鬼たち、予期せぬ襲撃イベントに実は怯えていた櫃辻の顔、逃げようとしていたこちらを仮面越しに見据える仮面の男、そして、目に映る総ての背景。

 

 世界と共に呼吸を止めた人々の中で、またも取り残された自分に波止場は頭を抱えた。


「……くそ。昨日のあれは、偶然じゃなかったってわけだ……」


「です。やはり波止場様は、こっち側に立つ素養があるようで。それよりも──」


 そのあとに続いたのは、

 聞こえるはずのない第三者の声だった。


「──ね、言ったでしょうニト。払うまでもない、って」


 コツ、コツ、と白装束の囲いから、

 テーマパークのゲートでも潜るような気楽さで抜け出てくる少女の姿があった。


「くふふ、みんなして間抜けな姿。どれだけ欲しくて手を伸ばしたって、こんな偶然一つで全部手から零れ落ちちゃうんですもの。本当にツイてない人たち」


 真空の如く静まり返った世界にわざと足音を刻むように、ブーツを履いた脚をぽーんと腰の高さほどまで上げて──トン、とそれでもまだ軽い足音と共に一歩。


「さて、問題はこの止まった世界から彼をどうやって連れ出すか、だけど……その前にわたくしが逢いにきた彼は一体どんなお間抜けな姿で固まって──」


 ──と、少女はこちらを覗き込む格好のまま、


「んんー?」と首を傾げた。


 その彼女の仕草はフクロウが首を傾げるのにも似ていて、しかし彼女がそんな愛嬌のある仕草をしていること自体に、波止場もやはり「んん?」と首を傾げていた。


「君、どうして動けるんだ?」

「あなた、どうして動いてますの?」


 見つめ合う二人、同じ疑問が重なった。

 

 しかし疑問に答えを得ぬまま言葉を失う波止場とは対照的に、少女にはすでにそれが〝吉兆〟だと理解できていた。

 

 少女は亜麻色の髪を揺らしながら、弓なりの笑みを浮かべ波止場の許へとやって来る。


「──くふ。わたくしはやっぱりツイていますわ。まさかこんなところで、こんなタイミングで。よりにもよってわたくしの〝ユメ〟を叶えてくれる殿方が、まさかこちら側の景色に立てる人間だったなんて──素敵」


「……君は、何を言って……」


「何を呆けてますの? ほら、行きますわよ! お邪魔虫が動き出しちゃう前に」


 そう言って少女は、波止場の袖を引いて意気揚々と歩き出した。


 それは連れ立って散歩でもするような気楽なエスコートでありながら、有無を言わせない拘束力があって。波止場のアタマには、少女の手を振り払うという選択肢がどうしてだか思い浮かばなかった。

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