【第21話】ルッキング・ノイズ

「──ポッポ君、やっぱ呪われてるんじゃないかなぁ」


 会計を終えカフェを出たところで、櫃辻はしみじみと縁起でもないことを呟いた。


「……まさか、大袈裟だよ。あのウエイトレスさんまだ入ったばかりの新人で、俺が注文したプリンを別のテーブルに運んじゃったせいで慌てて、ミスを取り返そうと焦ったところでうっかり転んじゃった──って自分でそう言ってたし。偶々だよ」


「だってほら、昨日も頼んでた着替えがなんか配送トラブって、結局慌てて乾かす羽目になったでしょ? いつもなら三分でパッと届くのに」

「そのあと波止場様は、すっぽんぽんでリビングをうろつく変質者と化したんですよね」

「タオルはちゃんと巻いてた」

「ポッポ君、意外とイイ身体してるよね。櫃辻、結構ドキドキしたよ」

「井ノ森様はそんな波止場様のことを害獣でも見るような目で見てましたけどねー」


 留守番に飽きたらしいツキウサギは、そのまま二人に同行することにしたようだ。

 両手に花という見方もできるが、この二人相手ではそれも荷が重い。


「やっぱ呪われてるよ。昨日のかくれんぼでもポッポ君、不運連発してたし」

「……呪い、かぁ……。バーチャルで呪われるだなんて、欠陥じゃないか……」


「でも、あり得ない話じゃないよ。世の中には〝神がかり的に運がイイ人〟もいるくらいだし、その逆があってもおかしくはないんじゃないかな」


「……何それ? 神がかり的……そんな人がいるの?」


「ガチャを回せばSSR、カードを引けば上から五枚がロイヤルフラッシュ、ゲームをやれば全戦全勝。雨は避けて通り、一石三鳥は当たり前。何をやってもやらなくても全部上手くいく。そういう人がね、この六號にはいるんだよ」


 櫃辻はまるで都市伝説でも語るかのように、喜々と声を弾ませてそう言った。


「へぇ、それは羨ましい。そんな人がいるならぜひともご利益にあやかりたいもんだ」

「もし二人が出逢ったら、不運と幸運が化学反応を起こしてきっと大変なことになるね」

「大変なことって?」

「それはもう、世界がひっくり返っちゃうようなことが」


 櫃辻が大真面目な顔でそんなことを言うものだから、波止場は思わず笑ってしまう。


 ……世界ならもう大変なことになっちゃってるよ、と。


『──あのことは他言無用、ですよ。波止場様』


 不意に脳裏に響いたのはツキウサギの声だった。

内緒話ウィスパーモードモード》によるVCボイスチャットだ。


『人間様のほとんどはあのフリーズ現象自体を認知すらしていません。パンドラを脅かすバグは元より、この世界に終わりが迫っているなどと知られたら──』

『……解ってるよ。もしも俺がそんなこと口走ったら、たちまち変人扱いだ』

『です。それもありますが、無為に不安をばら撒く必要もないでしょう。ここは総ての夢と希望が叶う街。知らない方が幸せ、ということもありますので』


 解ってる。

 波止場は隣をふよふよと追従する彼女に、頭の中で頷きを返した。

 

 この世界が人の手によって創られた人工の箱庭であることを、皆は知っている。

 だが、その世界がまもなく終了するかもしれないということは誰も知らないのだ。

 

 知っているのは波止場と、ツキウサギ。

 あとはパンドラの運営に携わる一部の人間だけ──あのフリーズ現象を目撃した夜に、ツキウサギからはそう聞かされていた。


 音も、時間も、生命も。

 自分たち以外の総てが凍てついてしまったかのように見えた、静止世界。

 止まり続けることによって叶えられる世界の終わり。

 無限にも思えたあの負の体験は、波止場の記憶に深く刻み込まれていた。

 

 あの夜から、

 いつ砕け散るかも知れない薄氷の上に立っているような悪寒がずっと在る。


『……確かに、知らない方がよかったよ。世界の終わりなんて碌でもない。こっちはただでさえ記憶喪失で困ってるっていうのに……最悪だ』


 巨大な影に頭から、ぬう、と包み込まれるような感覚に陥った。

 

 だが、それが気分だけの問題でないことに気付くと、波止場は不意の暗転に顔を上げた。


「……ん、何だ?」


 影の主を辿って空を見上げれば、

 そこに巨体を浮かべていたのは一隻の飛行船だった。


 轟々とエンジン音を轟かせながら、飛行船がカフェの上空に停留していたのだ。


「──波止場様」


 そして付近の誰もがその飛行船を見上げる中、ツキウサギの声が直接耳に届いた。


「合いました。ですが、これは……?」

「えっ? 合ったってツキウサギさん、まさか記憶の手がかりが──」


 見つかったの? 

 

 と、珍しく歯切れの悪い彼女にそう訊ねようとした、その直後──



『──見つけたぞ、対応者──』



 突如聞こえたノイズ混じりの機械音声。肉声にフィルターをかけたようなその声に振り向けば、そこには白装束に身を包んだ異容の集団が立っていた。


 レインコートにも似たフード付きのコートでその容姿を隠し、その顔すらも不可思議な仮面で覆い隠している。そんな如何にも怪しげな連中がカフェ前の街路に、いつの間にか出現していたのだ。周囲の人々もその不審者を見てざわめき始めている。


(……何だ、あいつら? 明らかにマトモじゃない……)


 中でも異様に映ったのが、集団の先頭に立つ仮面の男だった。

 

 長身痩躯に短く刈り込んだ頭髪。真っ白な長衣には他の者より位の高さを思わせる意匠が施されており、素顔の窺えないホログラムの仮面を被っている。そして首にぶら下がった社員証がなんともその異様さを際立たせていた。先ほどの声の主は、恐らく彼だ。


 そしてそんな奇妙な出で立ちの集団を前に、櫃辻がその正体を耳打ちしてくる。


「あの人たち──新世界運営委員会だよ。表舞台には一切姿を現さずにパンドラの運営を行ってる中立組織。全員AIだって噂もあったけど、リアルで見たの初めてだ」


 ──新世界運営委員会。


 それは確か、このパンドラを支えるコスモスネットワークの管理者を指す総称のはずで。


「しかもなんか、ポッポ君の方見てない?」

 

 その中心人物と思われる仮面の男の関心は確かに、波止場だけに向けられていた。


『随分と事を複雑にしてくれたものだ。君のおかげでこちらはこの件に無駄な時間と労力を割く羽目になった。これだから、世界への誠意リスペクトが欠けた者は困る』


 仮面の男は、手元の表示窓ディスプレイを見て呆れた声を出す。

 AIではない。

 生ある人間の反応だ。

 

 そしてさらに彼が告げた謂れなき罪状に、波止場は困惑のあまり唖然となった。


『さて、波止場皐月。

 君には最重要機密情報取り扱いに伴う、違反行為の疑いがある』


「……は?」


『我々に同行願おう』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る