【第18話】チート・デザイナー


「……これは──俺……⁉」

 

 波止場が瞠目するのも無理はなかった。

 なにせいま彼の目には、波止場自身が映っていたのだから。

 

 左の目には楽しげな表情の櫃辻が、

 右の目には驚いた顔の自分自身。

 

 見えている景色が左右それぞれで違っていたのだ。

 

 それこそは、今しがた投与インストールしたばかりのEPの機能だった。


「──《#うたた寝羊飼いシェパード・ラン》──視覚を拡張して他人の〝目〟を盗み見る、感覚拡張センシビリティ系のEPだよ。

 使うときは視界がダブらないように左目を閉じて、右目に集中。あとはチャンネルを変えるみたいに右目で〝視点〟を合わせるイメージで──」

 

 櫃辻は波止場の後ろに回ると、片手で波止場の左目を目隠しする。彼女の視線を介し、猫背のせいで低くなった自分の後頭部が見えた。背中にむにっと圧し掛かる柔らかな立体物の感触に気付く。慌てて背筋をピンと正すと、後頭部の位置がやや高くなった。


「あはっ、ポッポ君は解りやすいなぁ。ほら、集中集中」


(……やりづらい……)


 ひんやりとした人肌の感触を左の瞼に感じながら、波止場は他人の視界をザッピングするのに意識を傾けた。


 大通りの景色を見渡す通行人、路上の売店でホットドックを客に手渡す店主、受け取る客、推しのチームを応援するサポーター、コート上でボールを追いかける選手──


 チリッ、チリッ、

 というノイズが連続し、他人の視界が次々に現れる。


 一度選手の視点を捉えると、波止場はまるで自分がコートに立ってプレイしているような錯覚に陥った。

 赤のゼッケン、緑のゼッケンと視点は切り替わり、その度にその選手に最も近い視点から試合に没頭するこの臨場感は、なるほど確かに観戦にぴったりかもしれない。

 ゴールを自分の手でぶち込む瞬間は、外野からは到底味わえない体験だろう。


「……へえ。これは確かに、凄いな……」

「でしょ、それもノモリンが作ったんだよ。どの企業からも出てない特注品!」


 櫃辻はまるで自分のことのように誇らしげに、フフンと鼻を鳴らす。

 そこに登場した人物の名前に気を重くしながらも、波止場は今更ながらに腑に落ちた気分だった。


「……櫃辻ちゃん。多分だけど、俺とのかくれんぼのときも使ってたよね、これ」


「え、なんで解ったの?」

「ゲームのときに感じたのと似た感覚がしたんだ。チリッ、チリッ、ってさ」


「へぇー、それは初耳。確かに視界ジャックしてポッポ君のこと見つけたりはしてたけど……ノモリンには内緒ね。これってまだ試作らしくって、人前で使うなって言われてたんだよね。

 ──実際、近くに人が多いとチャンネル合わせるだけでも一苦労だし、誰の視点覗いてるかまでは解んないから、櫃辻もここぞってときにだけ使ってたんだけど」


「……試作、って……。

 まぁ、俺からあの子に喋ることはないけどさ……」


「櫃辻とノモリンで試したときにはノイズなんて感じなかったんだけどなぁ。ポッポ君ってけっこー敏感体質なんだね」

 

 波止場にしていた目隠しを解くと、櫃辻は興味深そうに彼の目を覗き込む。

 櫃辻と自分──両方の顔が重なるように正面にあって、かと思えばまたも別の視点が現れたりするものだから、頭がバグりそうになる。


 ぐるぐる、ぐるぐる、と。


「……それで、どうやって止めるの、これ──ずっと視点変わってて、吐きそうだ……」


「うわっ、大丈夫ポッポ君⁉ 右目だけなんかぐわんぐわんしてるけどッ!」


 ついにはめまいを起こしてその場に膝をつく波止場。その右目だけが絶え間ない視点の変更に耐えかね荒ぶっていた。まるでホラーである。


 波止場は櫃辻に教わり〝視界ジャック〟を止めると、未だ込み上げてくる嘔吐感をなんとか押し留めながら、《KOSM‐OS》のアプリ一覧からそれが削除されるのを見届けたところで、ようやくほっと一安心する。

 

 EPは使い切りの物がほとんどらしく、その機能をオフにした時点で自動的に排気アンインストールされたようだった。

 

 初めてのEPでまさかトラウマを植え付けられることになるとは、なんたる不運。


「うーん、自動切換えオートザッピングモードなんて機能なかったはずなんだけど……さっきのノイズと併せて、一応ノモリンにも相談してみた方がいいかなぁ」


「……ノモリン、か……。

 俺あの子に嫌われてるから、それでバチが当たったのかも……」

「あはっ。ポッポ君、まだ昨日のこと気にしてるの? ノモリンシャイなとこあるけど、あれでけっこー物分かりイイ方だから。大丈夫だと思うよ?」

「ファーストコンタクトミスってから、まだ一度も口聞いてくれてないんだけど……」

「でもほら、なんやかんやでポッポ君と一緒に住むことは許してくれたし」

「……許してくれたのかなぁ、あれ……」


 櫃辻宅には波止場とは別にもう一人、井ノ森ナギという同居人が住んでいた。


 灰空色の長髪とアンダーリムの眼鏡が特徴のクール系美少女で、年齢は波止場と櫃辻の一個下。

 櫃辻よりも一回り小柄でスレンダーな彼女だが、眼鏡越しにすっと細められた眼光には臆病な野生動物なら一発で失神しかねない威圧感があり、気弱なポッポ君などは彼女に睨まれる度にぶるりと震えあがって萎縮してしまうほどだった。

 

 風呂場での一件が、そんな同居人との今後に致命的な軋轢を残したことは言うまでもなく、波止場は未だ『第一印象:覗きクソ野郎』の称号を払拭できないでいた。



〝あんたが負けた結果がこれなら、あたしは何も言わない〟

〝でも、あの変質者のことはあたしには関係ない。見えても、無視する〟

〝それ以上のことは契約外。それ以上は、期待しないで〟



 居候の可否を巡って、櫃辻と井ノ森との間で交わされたやり取りもそんな感じだった。問答無用で警察に突き出されなかっただけ、まだマシと言えるのかもしれない。


 そんな井ノ森は普段、自室に引きこもってEPの制作に励んでいるらしい。

 

 基本的にEPはアプリ開発の延長的発想で企業によって製作され、市場に流されるのが一般的だ。一口にEPといってもその種類は多岐に渡り、メーカーごとにその需要を食い合っているわけだが、その隙間を縫って一部ユーザーのコアな需要に応えることで生計を立てる、『デザイナー』なる存在も重宝されていた。


 中でも井ノ森は、その界隈では名の知れたEPデザイナーとのことで。

 

 各企業からのオファーを都度蹴って個人勢を貫き、趣味全開のピーキーなEP製作ばかりに傾倒する偏屈な職人気質かたぎ──

 それが、井ノ森ナギという少女の人間性だった。


 彼女たちが同棲するに至った経緯は詳しく聞いていないが、ゲームの最中、櫃辻の目となり武器となり華となり舞台を彩った数々のEP──そのどれもが井ノ森による特注品オーダーメイドだというのだから、櫃辻が彼女の腕をどれだけ信頼しているのかがよく解る。


 そしてそれはきっと井ノ森の方も同じなのだろう。


 そういう第三者の目には映らない絆が、二人の間にはあるように波止場には思えた。


「……てか、仲良しの友達と住んでるならもっと早くに教えて欲しかったよ、俺は……」

「あ、それ。ノモリンにも言われたよ。先に一言相談しろ、って」

「それは全面的にノモリンちゃんが正しい」

「えぇー、だってあのときはポッポ君のこと〝なんとかしないと〟って、そのことばっか考えてたし、ノモリンならきっと配信観て察してくれてると思ったんだけどなぁ」


 何が駄目だったのだろうか、と櫃辻は腕を組んで唸り──

 まぁいいや、と顔を上げる。


「ま、そんな心配しなくてもすぐ仲良くなれると思うよ?」

「……そうだといいけど」

「そうなるよ。だって二人とも、櫃辻が見込んだ未来のパートナーだからね」


 ウインクと一緒に、ぷにっ、と波止場の頬を突く櫃辻。

 その思わせぶりな仕草も表情も、どれをとっても反則級に決まっていて、波止場はしばし見惚れてしまっていた。


 どうしてこんな前向きでイイ子が自分なんかに惚れ込んでしまったのか……


 それだけがどうしても解らない。

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