【第17話】ゲーム・シティ

 電子の海と溶け合ったヒトの頭蓋の、さらにその深奥。


 上下逆さまになるのも構わず和装の電脳天使がふわふわと漂っているのは、電気的に模倣された仮想頭脳──波止場の《KOSM‐OS》内部である。


「……ふーむ。やはり波止場様の過去に繋がる情報はなに一つ残されてませんね。ログのバックアップも見当たらないし、記憶痕跡が不自然なまでに綺麗に切り取られてる。考えられる理由は一つしかありませんが……私の記憶もそっちに引っ張られた、か?」


 生体情報端末でもある《KOSM‐OS》は、膨大な量の電子情報で緻密に組み上げられたパズルのようなものだ。ヒトはその難解なパズルを解き明かすことにロマンを見出し、多大な労力と時間を費やしてきたそうだが、一度解かれたパズルほどつまらないものはない、とツキウサギは思う。

 

 少なくともここでは、ひとときの退屈を紛らわすことにも限度がある。


「波止場様の恥ずかしいエピソードの一つでも見つかれば、と思ったんですが……」


 主の居ぬ間の探しごっこにも飽きが見え始めた頃、無重力に身を預け逆さまに漂っていたツキウサギは、遠く《KOSM‐OS》の深奥を見やって険しい顔になる。


 そこには壁がある。

 あるいは扉、あるいは蓋か。

 とかく閉ざされた空間だ。

 

 そこから滲み出した黒い歪みが、

 チリ、チリ、と不可解な軋みを上げていた。

 

 電脳天使を形作る電子の細胞一つ一つが、あれはよくないモノですよ、とざわざわ警鐘を鳴らしている。

 わざわざ言われなくても、見れば解る。

 

 ──あれは、面白くなるモノだ。退屈を殺すモノ。

 

 オッドアイの瞳から漏れた金とあかの眼光をふっと消し、ツキウサギは肩を竦めた。


「んはは。どうやら私の想像以上に〝最悪〟なことに巻き込まれてるようですねー、うちのバッドラック様は。それだというのに──」


 度々外から聞こえてくる楽しそうな声に、ウサ耳型のアンテナがピクリと反応する。



「お留守番系バニーガールちゃんを放置して、自分は呑気にイチャコラデートとは……


 波止場様の恩知らず! 薄情者──っ!」



 両の拳を突き上げ、ムキーッ! と無重力の中で地団太を踏むツキウサギ。そこにはさっきまでの超越者染みた雰囲気などは微塵も残ってはいなかった。



 # # #



 ホログラムの装飾と軽快なポップス、そして雑踏の賑わい。

 次に櫃辻が案内してくれたのは、六號第四区のメインストリートだった。

 

 摩天楼が見下ろす大通りは、波止場にとってもすでに見知った場所ではあったものの、昨日即席の闘技場と化していたその場所は今、全く別の見世物によって熱気と活気に沸いていた。


「──おい、そっち飛んでいったぞ──ッ!」


「へ……おわぁッ!」


 怒声にも似たよく通る大声が響いた直後、波止場の眼前に時速一五〇キロ超のスピードでメロンサイズの〝球〟が飛来した。

 

 顔面直撃コースかと思われたそのボールは、彼にぶつかる直前に投影式のフェンスに阻まれて、宙にバウンドする。


 その刹那、

 波止場の頭上を颯爽と飛び越えた男の影がある。


 コート上に舞い戻ったボールを宙で鷲掴みにしたその勇壮なる姿は、〝壁〟に足をついた勢いで空高く跳ね上がると共に、雄叫びを上げた。


「いいパスボールだ! 

 このまま追い風に乗るぞ、てめぇらッ!」

 

 そのあとに「応!」と、あるいは「否!」と続いたのは──それぞれ赤と緑のゼッケンを身に着けた、空駆けるバスケプレイヤーの集団だった。


「……人が空飛び跳ねてバスケしてるよ……」


 大通りをバッタのように跳び回るそのバスケ集団は、踵から放出された各チームカラーの光跡を、明確な仕切りのないコート上に描きながら、地上やビルの壁面でボールをドリブルし、パスをし、奪い合いながら宙に投影された両陣営のゴールを争っていた。


「このメインストリートは『Vスポーツ』の聖地なんだよ。ストリートファイトにストリートバスケ。ここならいつでも生で試合観戦できちゃう。ね、面白いでしょ!」


 思わぬデッドボール未遂に心底びっくりさせられた身としては、素直に面白いとは言い難く。悪戯っぽく笑う櫃辻を横目に、波止場は呆れ顔で肩を落とす。


「……EPを使ったスポーツ、ってとこか。櫃辻ちゃんのとは毛色が違って見えるけど」

「あれは身体機能拡張アビリティ系ってやつだね。感覚拡張センシビリティ系と並ぶVスポーツの花形」

 

 如何に仮想世界といえども、誰も彼もがスーパーマンではあっという間に無法地帯と化してしまう。それに元来の肉体を捨てたとはいえ、歴々と遺伝子に刻み込まれた限界という名のリミッターはパンドラの住人の〝脳〟にも深く染みついており、人はEPという拡張機能を追加することでようやく、そのリアルの枷から解き放たれることができるのだ。


 その最も解りやすい例が、脳のリミッターを外しフィジカル面を強化する身体機能拡張アビリティ系のEPだ。


 競技で、球技で、格闘技で──人間離れしたアクションで華麗に豪快に人々を魅了する。

 今まさにコートを縦横無尽に駆け回る彼らの源が、それだった。


 そしてもう一つが、人の〝センス〟の可動域を超常の域まで拡げる感覚拡張センシビリティ系──


「そうだ。せっかくだしポッポ君も使ってみる? 丁度スポーツ観戦にぴったりのEPがあるんだよ。確かまだ一個ストックが残ってたはず──」

 

 と、櫃辻は手元にディスク型の表示窓ディスプレイを開いた。


《KOSM‐OS》には、物質をデータ化してストックしておける拡張ポケットがある。俗に『インベントリ』と呼ばれる機能で、櫃辻は普段よく使う日用品やらEPやらをまとめてそこに放り込んでいた。先ほど繁華街で買い込んだ手荷物も一緒に入れてある。


 馴染みに馴染んだ動作でインベントリを開いた櫃辻は、そこからキューブ状に圧縮されたデータの塊を一つ摘まみ上げると、それを波止場の許へと指で弾いて渡した。


 キューブは彼の手元で開封され、板ガム型注射器みたいな形状の小型機器が展開される。


「ほらこれ、使ってみて。投与インストールの仕方は解る?」

「首にこう、プシュッと?」


 正解、と頷く櫃辻に見守られながらも、波止場は以前彼女がそうしていたのを思い出しつつ、EPの先端を首の回路図形ダイアグラムへと挿し込んだ。


「──!」


 プシュッ、という音が耳に馴染むのと共に、それはじわりと波止場の神経回路に沁み込んでいく。初めて得た感覚のはずだが、身体は自然とその熱を受け入れている。EPから投与された〝それ〟が、耳元から脳へ、そして右目へと流れていくのが解った。


 右目にチリッ、とした違和感。

 見ている景色に異変が起きたのはそのときだ。


「……これは──俺……⁉」

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