【第15話】バッドラックは休まらない

 六號第七区の街並みは、これまでに見上げてきた都市景観とは一風変わって、比較的低階層のビルや家屋が中心となった住宅街となっていた。

 

 閑散としているわけではないが、都市部の喧騒と比べるとやや落ち着いた雰囲気がある。櫃辻の自宅は、そんな住宅街ではそう珍しくはない外観のアパートメント、その七階にあった。


 非常階段を上って最上階──七階のフロアに到達したのと同時、先ほどまで故障していたはずのエレベーターにランプが灯ったのが見えた。


「あれ、もう直ってる。せっかく慣れない階段使ってきたのにぃ……ツイてないねー」

「櫃辻ちゃんは悪くない。エレベーターが壊れたのも直ったのも、俺のせいだよ」

「ポッポ君、ツイてないもんねー。その口もさっき噛んで怪我しちゃったんでしょ?」

「……うん、まぁ。事故みたいなもんだよ」


 そんな会話を交わしながら、

 櫃辻のあとについて廊下の突き当たりまでやって来る。


「とうちゃーっく! ここが櫃辻の家、そして今日からポッポ君の家だよ」


 そう言って櫃辻がカードキーをかざすと、ガチャ、と扉の鍵が開かれた。

 開け放たれた扉の前で立ったままでいると、どうぞどうぞ、と櫃辻が背中を押してくる。


「……お邪魔します」

 

 ぎこちなく波止場がそう呟くと、

「おかえりー」と櫃辻の陽気な声があとに続いた。


 玄関に入ってすぐ、広々とした空間に出る。今にも映画の主役たちが集って作戦会議でも始めそうな、ガレージ的な趣のあるリビングだった。

 家具も小物も、雑多で統一感がなく、これまでに見てきた櫃辻のイメージ通りの物もあれば、そうでない物もあった。


「……今更なんだけど、櫃辻ちゃんって一人暮らし?」

「ううん、今はノモリンと一緒に住んでる。──あ、ノモリンってのは櫃辻の大親友で、いつも部屋に籠ってEPばっか作ってるんだけど、これがまた天才でね──」


 初耳だった。


 同居人がいると知っていれば、もう少し躊躇したし、遠慮したはずだ。

 本当に今更ながら、波止場は自分の迂闊さに呆れてしまう。


「……その人は、俺が来ること知ってるの?」


 ううん、と櫃辻が首を横に振るのを見て、波止場は呆れて物も言えなくなった。


「大丈夫、大丈夫。ノモリンには今から櫃辻が話してくるからさ、ポッポ君は先にシャワー浴びてきなよ。そんなびしょ濡れの格好のままじゃ、櫃辻の彼氏って紹介できないし」


「……頼むから、普通に紹介してくれ。──てか着替え持ってないよ、俺」

「それならこっちでイイ感じに頼んどくよ。『アメゾン』で注文したら三分で届くから」


 パンドラのインフラ事情には疎い波止場ではあったが、ここが仮想世界であると知った今では、ネット通販って便利だなぁ、と流せるくらいの順応性は育っていた。


 それでも、同居人への挨拶もまだなのに勝手にシャワーを借りるのはどうか……と至極真っ当な逡巡に固まる波止場に対して、櫃辻は風呂場の場所だけ教えると、表示窓ディスプレイに通販サイトを開きながら奥の部屋へと向かってしまった。


「……至れり尽くせり、と言えば聞こえはいいけど……」

 

 足下を見れば、カーペットに水の染みを拡げてしまっていることに気付く。河から上がったあと多少水気を絞ったとはいえ、こんな有様ではどこのドブネズミを拾ってきたんだ、と櫃辻が同居人に叱責されかねないのも事実。

 

 そしてそんな事情を抜きに本音を言えば、


 一刻も早くシャワーを浴びてスッキリしたかった。


(……それに、今日はもうこれ以上なにも考えたくない……)


 切にそう思い、波止場は櫃辻に教えてもらった風呂場の前までやって来ると、なんの警戒もなくドアの取っ手に手を、伸ばした。


「ノモリーン、ただいまー!

 起きてるー? 遅くなってごめんね──!」


 目の前のドアが開いたのはそのときだ。


 風呂場のドアは自動扉だった。恐らく取っ手に触れたら自動で開く仕組みになっていたのだろう。ドアは勝手に横にスライドした。

 

 目の前には洗濯機と洗面台が置かれた脱衣所があり、浴室の扉は開かれていた。浴室から漏れた湿気を含んだ湯気には、仄かにシャンプーの香りが混じっていた。


 取っ手を掴み損ねた指先が、宙を彷徨う。



「──ヒツジ?」


 

 その視線の先に、先客がいた。

 

 今まさにシャワーから上がったばかりといったその少女は、バスタオルを頭に被せるようにして髪の水気を取っている最中だ。こちらにお尻を向けるように立っているせいで、脱衣所にやってきた波止場の存在には気付いていない。


 少女は全裸だった。


「おかえり──てか、遅い。遅くなるならメッセくらい送りなさいよ。起きたらなんか配信終わってるし。ゲーム、どうだったの? あたしの新作、使ったんでしょ?」


 少女の口調はややキツいものではあったが、その声音はしとしとと降る雨音のように落ち着いていて、耳なじみがいい。


 櫃辻よりも一回り小柄で、灰色がかった空色の長髪は線の細い身体のラインに沿って流れている。程よく上気した肌には水の球が浮いていた。


 水の玉が下着を身に着けていない少女のお尻を、つぅー、と撫でるように落ちていく。

 対して、

 波止場の頬を伝い落ちるのは冷や汗だ。


(……やばいやばいやばいやばい、なんでお風呂に素っ裸の女の子がいるんだ……⁉)

 

 波止場は脱衣所の前で立ち止まったまま、無防備な少女の裸体を眺めている。わざとじゃない。さっきからドアを閉めようと手を伸ばしているが、スライド式のドアは溝にすっぽり収まっていて、取っ手が見当たらない。


 そういえばこれ自動扉だったな、と気付く。


(……後ろだ。後ろに下がれ。何も見なかったことにして、ドアを閉めるんだ!)

 

 自動扉のセンサーから離れるように、波止場は一歩身を引いた。 


「おや、波止場様。シャワー浴びないんですか? せっかく『エロキュートなバニーガールちゃんと全裸でばったり系ドッキリ』を仕掛けようと思ってたんですが──」


「──!」


 隣に立っていたのはツキウサギだった。

 

 彼女は脱衣所を覗き込んで、「ハハー」とにやけた表情で事情を察している。このタイミングで彼女が、よりにもよって実体化して現れたことには悪意を感じずにはいられない。

 

 再び、ギギッ、と錆びたブリキのような緩慢な動作で、波止場は脱衣所の方に目を向けた。


 灰空色の髪の少女と──目が合った。


「…………」


 少女はキュッと眉根を寄せた表情でこちらを睨んでいた。鋭い眼光に思わずたじろぐが、どうやら彼女は目が悪いらしい。

 ぼやっとした視界を晴らすため洗面台にかけてあった眼鏡に手を伸ばすと、首にバスタオルを巻いた格好で眼鏡をかけた。


 クールでいてあどけなさの残る少女のかんばせに、アンダーリムの眼鏡がフィットする。


 視界に見知らぬ男が現れる。



「────、~~~~ッ⁉」



 裸にタオルと眼鏡だけを身に着けたその少女は、シャワーで火照った頬をさらに熱で染め上げると、声にならない悲鳴を発して自らの裸体を抱き込んだ。


 さて、この最悪な状況で少女にかけるべき言葉は何だろう?


「……えーっと、お邪魔してます?」


「解ってるなら出てけッ!」


 返事と共に飛んできたプラスチック製のコップが、スコーン、と小気味いい音を立てて波止場の額にヒットする。

 

 ピンクとブルーの歯ブラシが宙に飛び出したのが見え、遅れて、風呂場の自動扉がピシャリと閉じた。

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