【第14話】とある新世界のメーデー

 この〝街〟が作られたのは、今からおよそ二〇年前。

 人類が──『現世界』と呼ばれる地で暮らしていた頃の話です。

 

 その目的は、人類が失った夢と希望を取り戻すため、という一見すると子供騙しのようにしか思えない話でしたが、当時の人類は戦争や犯罪、自然災害、流行り病といった度重なる災厄に見舞われ、夢を思い描く気力も余裕もないほどに疲弊しきっていました。

 

 そこで我らが創造主は、有志らと手を取り合って──災厄とは無縁の地にシェルターを造り、人類という種が第二の人生を送るための大規模移住計画を立てました。


 ──『新世界プロジェクト』

 

 それは、人類総てを単一のサーバーによって管理された電脳空間へ丸っと移住させるという、仮想現実バーチャルリアリティへの完全移行エクソダスを見事成し遂げました。

 そうして誕生した管理塔サーバーは、無限の拡張性を秘めた理想郷を幻想する〝頭脳〟として、世界の柱となりました。

 

 現世界と肉体を捨て、広大なネットワークに接続された人間様の〝頭脳〟は、新世界という巨大な〝頭脳〟を駆け巡る電気信号の役目を果たし、世界を廻す動力にもなります。


 もはや一蓮托生とも言える自家発電によって半永久的な持続が約束された新世界には、拡張都市パンドラという名前が与えられ、災厄とは無縁の平和な日常が今日こんにちまで続いています。

 それも、仮想現実という現身を宿さぬ電子の海に、新たな生命が宿るほどに。

 

 こうして人類の皆様がかつて思い描くことすら叶わなかった夢も、希望も、総てはこの〝街〟で成ったのです。


 総てはそのためだけに創られた機械仕掛けの仮想世界、それこそが──



「──この世界のあらすじです」



 道路上に静止しとまった車のボンネットに腰掛けたツキウサギは、宙に投影した表示窓ディスプレイを紙芝居のように展開しながら、物語を読むような口調でこの世界の真実を語った。


 そしてその話を聞き終わったとき、波止場は無意識に自分の頭に触れていた。世界と繋がれている、世界と共に仮想現実という名の〝夢〟を見ているというこの、アタマに。


「……仮想世界、って……また、俺をからかってるんだよね?」


「信用ないですねー。言ったじゃないですか、私は波止場様に嘘は吐かないと。からかうときはもっと──」

「エロくやる、でしょ。知ってる。君は多分、嘘を吐かないんだろうなってことも……」


 そもそもの前提として、AIにすぎない彼女が嘘を吐いて主を謀る理由などないはずだ。だとすれば、逆説的に考えると彼女の話は本当ということになってしまうわけで。


「……最悪だ。こっちは記憶喪失ってだけでも参ってるってのに。じゃあ、なにか……俺がいま見てるのは全部仮想現実ってやつで、つまりここにいる俺も、現実じゃない?」


「前半については、です。後半については──いいえ、違います」


 どう言ったものかと思案顔になったツキウサギは、ややあって何か閃いた様子で波止場の許へと飛んでくる。

 無音の世界に、カツン、と下駄の足音が響いた。


「──はむ、っと」


 一瞬、どうしてツキウサギの顔がこんなにも近いところにあるのか解らなかった。熱を帯びた柔らかな感触が、意識するよりも早く波止場の唇と触れ合って、そのまま舌なめずりでもするかのような妖しい動きで、彼女の舌がむっと閉じた主の唇を抉じ開ける。


「……っ!」


 キスをされたのだと気付いたそのときには、バニーガールの姿はすでに波止場からは離れていて、遅れて、口端にビリッとした痛みが襲ってきた。

 手で拭うと、赤い液体が手の甲に付いていた。

 ……血だ。嚙み切られたのだ。


「んはっ。どうです、波止場様? これでもまだこの世界が現実じゃない、と」


「…………夢じゃないことは、なんとか……」


「です。今日波止場様が心に感じた感情も、五感を通して感じた刺激の総ても、そのどれもが嘘じゃないことは波止場様自身が一番よく解ってるはずです。

 

 この世界にログアウトはありません。


 ですので、信じようと信じまいと、波止場様はこの世界で生きていくしかないんです。記憶を失くした波止場様には酷かもしれませんが、いつかその記憶を取り戻したときのために、存分にこの世界を謳歌してみてください」


 ツキウサギの言葉は、しんとも鳴らない無音が支配する世界によく響いて、波止場の耳には唯一真摯に届いていた。

 彼女の言う通り、思い出すだけでも本当に激動の一日だったが、そのどれもが嘘だったとは到底思えなかった……否、思えるはずがない。

 

 なにせこの身体で、

 心で、

 脳で感じる総てがあまりにもリアルにすぎたから。


「……ところで、血止まんないんだけど、これ……」

「んはは。忘れっぽい波止場様には丁度いい刺激でしょう?」


 涙目になりながら次第に痛みを増す傷口を労わる波止場。

 ツキウサギは自分の唇についた血を舐めとりつつ、和装の袖で波止場の口を拭ってくれる。キス、というには刺激が強すぎた気もするが、彼女の荒療治のおかげか先ほどまでよりもずっと落ち着いてきた。


(……そうだよな。どのみち今の俺には、信じる以外に道なんてないんだ……)


 せめて記憶さえ戻ってくれれば判断もつくのだが、生憎と記憶が戻る気配はない。なら、彼女の言うようにこの世界に順応する道を見つけた方が得策だ。

 

 うん、それは、解る。

 

 波止場はこめかみに手を当て、はぁぁ……、と長めの溜息を吐き出した。


「その話が本当だとして……いや、多分本当なんだろうけど。じゃあ、これは? みんなが動かなくなっちゃってるのは、世界がフリーズしてるのは……これも正常?」

 

 そこでツキウサギは言葉に悩む素振りを見せた。

 ややあって、こう口を開く。


「……いいえ。これは〝バグ〟ですね。本来の仕様には存在しない、バグ」


「バグ?」


「です。あそこに見える管理塔サーバー、あれは櫃辻様が仰った通りこの世界の根幹を支える維持装置なのですが、実は只今少々問題を抱えていまして。記録によれば、一年ほど前から原因不明のエラーが多発してるんです。そのせいか、今回のような不具合が度々発生していて、それは日々悪化しています。ですので、もしこのままバグが解消されなければそう遠くない未来、拡張都市パンドラはサービス終了を余儀なくされるでしょう」


 困りましたね、と、彼女は他人事のように「んはは」と笑う。

 

 話の内容から察するにとても笑いごとじゃ済まなそうな雰囲気だが、もしかすると自分の認識の方が間違っているのかもしれない。なにせ自分は記憶喪失だしなぁ、と。


「……一応聞いてみるけど。サービス終了すると、どうなるわけ?」


 波止場の問いに、

 ツキウサギはやはり緊張感のない面持ちでこう告げた。


「──終わるんですよ。


 この世界はもうまもなく、終了します」


 波止場は再びスクーターに跨って、櫃辻の腰に腕を回した。

 それから数秒後、世界に音と動きが戻ってきた。街の喧騒がすぅーと後ろに流れていき、お団子ツインテの毛先が向かい風になびいている。

 櫃辻は言いさした台詞の続きを、波止場に向かって言う。


「だってこの世界はバーチャルな世界なんだから! どう、驚いた?」


「…………うん。今日一、びっくりした」

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