【第13話】十九時五十九分

 波止場は、高層建築物群の切れ間から覗いたあまりにも異様すぎる巨像に、しばし圧倒されていた。

 そこにあったのは──巨大な〝塔〟だった。


「あー、そっか。もしかしてあれも初見ってことになるのかな、ポッポ君は」


 櫃辻は少しだけスクーターの速度を緩めると、横目にその塔を見ながらこう言った。


「あれはね──『管理塔サーバー』だよ」

「……さー、ばー? あれが? あんなデカいのが……?」


「あそこにはね、パンドラを運営してる『新世界運営委員会』って組織の本部があるんだよ。ほら、コスモスネットワークってあるでしょ。そのシステムを管理してるのがその新世界運営委員会で、あの塔自体が超でっかいサーバーになってるんだって」


「……ちょ、ちょっと待って。えぇーと、つまり……何だって?」


 言葉のノックを受けた気分だった。

 右に左に、ノロマな脳みそが駆け回っている。


 まずサーバーとは本来、一種のコンピューターを指す言葉ではなかっただろうか?


 だが、あれは……

 

 六號第四区から約三〇キロ先──その方角には、六號の中央に鎮座する湖上の人工島がある。地図で見たときにはただの円にすぎなかった土地、その総てを土台とし、遠方にあってなおこちらを見下ろすその巨柱は、はたして人工の物なのか……

 

 塔の頂上は遥か高みにある夜空に突き刺さってなお限りが見えず、街一個分は抱え上げられそうなほどに胴の太い円柱形をしている。

 天を突くほどに巨大なその塔の表面には、電子回路のような脈が走っていた。その脈を極彩色のグラデーションが下から上へと、脈動しながら昇っている。

 それはまるで地上から吸い上げた養分を天へと運ぶ、大樹のようにも見えて……


「詳しいことは櫃辻も解んないけど、櫃辻たち人類がパンドラの中でずっと生きていけるようにって、頭のイイ人が創ったんだってさ。なんでも櫃辻たちの〝思考〟をネットワーク経由でエネルギーに変換して、それがあの管理塔サーバーを動かす動力源にもなってるとか。

 だからあの管理塔サーバーは言っちゃえば──なんだよ」

 

 あれほどの威容を前に、櫃辻はまるで観光名所でも紹介するような口ぶりだった。

 

 記憶喪失というやつは、あんな強烈なインパクトを残す存在すらも綺麗さっぱり忘れてしまえるものなのだろうか? 

 どうして俺は、そんなことすら憶えていないんだ。


「……はぁ。目が覚めてからずっと、驚くことばかりだ。こんなこと聞くのもどうかと思って今まで言わなかったけど。この街……パンドラって一体なんなの?」


 波止場の突飛な疑問に対し、

 櫃辻は「あはっ」と身を竦めるように笑って、


「じゃあきっと、これを聞いたらもっと驚くよ。だってこの世界は──」


 と、櫃辻はそこで不自然に言葉を区切った。


「……? 櫃辻ちゃん?」


 櫃辻はハンドルを握ったまま、こちらを肩越しに振り返る姿勢だ。口は言葉の途中で開いたままで、しかし続く台詞はない。


 いつの間にブレーキを踏んだのだろう。二人を乗せたスクーターは道のなかばで止まっている。

 櫃辻はまだ、身じろぎ一つしやしない。

 

 櫃辻はそこで不自然に言葉を区切っている。

 櫃辻はそこで不自然に言葉を区切ったまま、そこで不自然に不自然に不自然に言葉を区切──ったまま、と、言葉をくぎttttttt



 櫃■はそこ──で、不g然に■%を区ギtっている。



「……ッ!」

 

 ──いや、違う。

 止まっているのは櫃辻だけじゃない……なんで気付かなかった!

 

 車道を走る車も、街中を歩く人々も、屋外広告ビルボードに流れる映像も、空を往く飛行船も……目に見えるモノ総ての動きが、音も風も匂いも含めて完全に静止していたのだ。


「……っ、どうなってるんだよ……これ。これは流石に、おかしいでしょ……」

 

 あまりにも現実離れしすぎた光景に、もはや波止場にはこれが現実かどうかの判別すらつかなかった。


 俺はやっぱり夢でも見ているのか? 

 そうでなければこの異常事態に説明がつかない。

 

 だが、そんな波止場の思考放棄を否定するように──


「──おや、不思議ですね。

 波止場様には〝これ〟が認識できてるんですか?」

 

 疑問する声と共に、ツキウサギが波止場の隣に現れたのだ。

 

 ゲームが終わったあとは実体を解いて、波止場の《KOSM‐OS》で待機する幽霊アプリと化していた彼女だが、それがまたこうして生身の身体を伴って出てきたらしい。


 すっかり見慣れた和装系バニーガールの姿に、少なからず波止場は安堵した顔になる。


「……ツキウサギさん、これは……何が起きてるんだ」


「です。──〝静止〟してるんですよ。フリーズしている、と言った方がより近しいでしょうか。まあ、そう心配せずとも時が経てば復旧するはずです。

 とはいえ私にとっても初めてのことですので、保証はできませんけどね」


 その〝静止〟には街中の《NAV.bit》たちも例外なく巻き込まれていたのだが、どういうわけか彼女だけはその縛りから逃れていた。

 彼女と、波止場の二人だけは……


「静止って、そんな馬鹿な……普通じゃない」


 試しに波止場は櫃辻の顔の前で手を振ったり、鼻先を突いてみたりする。やはり反応はなかったが、身体に熱は残っている。どうやら石にされてしまったわけではないようだ。


「動かないからってえっちなことは駄目ですよ、波止場様」

「……っ、しないよ……!」


 波止場は走行途中のスクーターから、道路に降りた。いきなり世界が動き出して置いていかれるんじゃないかと疑ったが、依然として周囲の景色は止まったままだった。


「ツキウサギさん、ここは何なんだ。この街……いや、俺が目覚めたこの世界は──」

「なにってですよ」



「…………は?」



 彼女があまりにもあっけらかんと口にしたものだから、波止場は最初、何か聞き間違えがあったのかと耳を疑った。しかし、彼女はなおも静止した世界を背負うように立って、こう続けるのだ。


 それは本当に、本当に何よりも荒唐無稽な話だった。


「ここは人間の皆様が〝夢〟を見るために創られた、電脳の箱庭。

 いいですか、波止場様。

 

 ここは仮想現実によって拡張された──〝仮想世界〟なんです」

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