【3章】まもなく終了する世界
【第12話】ゲット・ア……
時刻は午後八時頃。
六號の街には夜が訪れていた。
超高層建築物群を彩るネオン系のホログラムは、それ自体がまるでイルミネーションかのように夜の街を飾り立て、昼よりも一層妖しく、騒がしい街並みを演出している。
その、人工物めいた風景の中を、
少年少女二人を乗せたスクーターが走り抜けていく。
「──はっくしゅい……ッ!」
不意に後ろから湧いたくしゃみに、「うわっ」と櫃辻は肩を跳ね上げた。
驚いた拍子に蛇行しかけた愛機をどうにか御しつつ、後部の荷台で寒さに震える少年に声をかける。
「ポッポ君、大丈夫そー? 寒いなら櫃辻の上着貸そっか?」
「…………遠慮しとくよ」
「あ、いま櫃辻がこれ脱いだ姿想像したでしょ。えっちだなぁ、ポッポ君は」
「素肌面積ほぼ一〇〇%の女の子と相乗りするリスクを想像しただけだよ……」
「肌と肌を寄せ合っての密着状態……うんうん、ドキドキしちゃうよねー。わかる」
「おかしいな。認識が噛み合わない」
度々話が飛躍する子だなぁ……と嘆息したところで、波止場はまたも「しゅん!」と肩を震わせる。
河に無謀なダイブを決めたあととなっては無理もないが、今の波止場は濡れ
「……それより櫃辻ちゃん、ホントによかったわけ?」
「ん、なにがー?」
「ほら。櫃辻ちゃんの家にしばらく俺を置いてくれる、って話だよ」
「イイも悪いもそーゆうルールだしね。──ま、任せてよ。ポッポ君のことは約束通
り、櫃辻が〝なんとか〟してあげるからさ」
彼女の返答は先ほど聞いた答えと相違ない。むしろその声音は楽しそうですらあって。
「……俺が聞くのもなんだけど、何でそんな乗り気なの?」
「だって面白そうじゃん、記憶喪失の男のコなんてさ。ポッポ君と一緒にいれば、なんか楽しそうなことがいっぱい起こる気がするんだよねー」
「そのポジティブさ、俺も見習いたいよ」
櫃辻の自宅は河を越えて隣の区にあるらしい。今はそこに向かう道中だった。
波止場は手持無沙汰に後方へと流れていく夜の街並みを漫然と眺めつつ、その合間に思い起こされるのは、さっきまでこの街で行われていた奇妙なゲームのことだった。
(……希望が叶う、か。まさか本当にあんなので……)
パンドラゲーム『ハイド&シープ』は、波止場の勝利に終わった。
決死のダイブで僅か数秒後に迫った危機を回避することに成功した波止場は、ツキウサギが高らかにゲーム終了の宣言をするのを、河に漂ったままで聞いていた。
そしてツキウサギの手によって無事地上に引き揚げられた波止場は、そこで櫃辻と、彼女を取り巻く綿毛型ドローンとに迎え入れられ、改めてゲームの勝者として称えられたのだった。
そして互いに健闘を称え合ったそのあとには、パンドラゲームというお祭りの最後を締め括るメインイベントが執り行われる。
──即ち、〝希望〟の成就だ。
「──ではこれより。波止場様の希望を、櫃辻ミライ様より徴収致します」
それは配信を観る聴衆を意識してのことか、和装のバニーガールは努めて大仰な口調と動作で櫃辻の許へふわり降り立つと、彼女の瞳を深く覗き込んだ。
ツキウサギの双眸が妖しい光を伴ったそのとき、櫃辻の胸元から〝それ〟が具現する。
「──ん、っ」
それは、純然たる黄金の色に包まれた──〝
光沢による照り返しではなく、その物質それ自体が燦然と輝く黄金の匣。
手のひらの上に収まるほどの、しかし少女の胸部に収まっていたにしてはあまりに大きすぎる異物。
そうまでして人々の関心を焚きつけてなお、その匣はただの入れ物にすぎなかったのだ。
「さあ、どうぞ波止場様。開けてみてください。この匣に納められているモノこそが、波止場様が勝ち獲った希望です」
一二の線と六の面で構成された立方体、それを匣たらしめるスライド式の蓋。
ごくり、と知らず知らずのうちに唾を呑みつつ、波止場は緊張の面持ちでその匣を、開いた。
はたして希望と対面を果たした彼は、その中身を見て困惑に顔をしかめ呟いた。
「……指輪、か……これ?」
「です、それは契約の象徴。パンドラゲームで徴収された希望は、最も相応しいカタチとなってこの匣と共に具現します。形ある物であればそれに代わる
効力は──〝波止場様の最悪な状況がなんとかなるまで〟──です」
波止場はその指輪らしき輪っかを摘まみ上げると、
「あはっ。櫃辻の方が、ポッポ君にゲットされちゃったね♪」
右の人差し指に焼き付いたペアリングを掲げ、いじらしくもはにかんだ顔の櫃辻。
そのとき彼女の配信が、波止場に対する怨嗟の声で溢れ返ったのは言うまでもない。
# # #
正味のところ、波止場はその効力を信じたわけではない。
ただ単に、偶々出逢った少女が超イイ奴で、その善意によって自分の希望は叶えられたのだと、そう理解していた。
(……まぁ、それだけでも。パンドラゲームをやった価値はあった……のかな)
波止場は右の人差し指に填めた指輪を想う。
あの黄金の匣は中身を取り出したあと消えてしまったが、その指輪は確かに自分が勝ち獲ったモノとして、この手に残されている。
少なくとも今日自分が体験した総ては、夢や幻なんかではなさそうだった。
「それにこれってさ、チャンスとも言えるよね」
「……チャンス? 何の?」
「櫃辻、ゲームには負けちゃったけど。ポッポ君のこと本気で欲しくなっちゃったんだよね、実は。だから楽しみにしててよ。今度は櫃辻がキミのこと惚れさせちゃうからさ♪」
肩越しに振り向いて思わせぶりなウインクをしてみせる櫃辻に、波止場はどんな反応をすればいいか解らず、視線を街の風景へとスライドさせる。
目を疑うような現実が彼の視界に飛び込んできたのは、そのときだった。
「──何だ、あれ」
「うぅ、露骨な話題逸らし。そんな魅力ないかなぁ、櫃辻……」
櫃辻の彼氏になるより河にダイブを選んじゃうくらいだしなぁ、と一人いじける櫃辻。
波止場は、そうじゃない、という言葉すら吐く息と共に呑み込んで、高層建築物群の切れ間から覗いたあまりにも異様すぎる〝巨像〟に、しばし圧倒されていた。
そこにあったのは──巨大な〝塔〟だった。
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