【第3話】夢も、希望も

「それで? 波止場様はこれからどうするつもりなんです?」

「どう、って。どうもこうも……どうしよう?」


KOSM‐OSコスモス》という文明の利器を手にしたまではよかったが、そこに搭載されていたどのアプリを開いてみても、肝心の〝波止場の過去〟に繋がる情報はなに一つ残されていなかった。


 アドレス帳には連絡先一つ載っていなかったし、SNSのアカウントは削除されてしまったのかアクセス不可。自宅の住所は地図アプリにもIDにも記載がなかった。

 

 解ったことと言えばせいぜい自分の名前や年齢(一七歳)といった簡単なプロフィールくらいのもので、今まで自分はどこに住んでいたのか、どうやって生きてきたのか、どんな人間だったのか、家族は、友達はいたのか……肝心なことは解らず仕舞いだった。

 

 そういうわけで波止場は今、六號ろくごうと呼ばれる街で途方に暮れていたところだった。

 

 六號は、枝分かれした河川によって一三区のエリアに区分けされた水上都市メガフロートで、それら〝砕けたコイン〟の中心部──第一区には、河の源流となる貯水湖プールと、円形の人工島が鎮座している。

 地図で見ただけでは解らないが、そこがここ六號の要地であることは間違いない。 


 そしてその中心地からおよそ三〇キロ離れた第四区は、六號の中でも特に都会寄りで、キャットタワーのように肩を組み合った複合型の高層ビル群が特徴の大都市だった。


 そんなダウンタウンの街並みを見晴らせる屋外広場は、商業ビルの七層目にある。

 もうじき日も暮れる時間帯だ。マーケットの賑わいから少し離れ、波止場は展望台からその雑多な街を見下ろした。見れば見るほどに異世界としか思えない風景に、うんざりする。


(……俺は今日からここで生きていかなきゃならないのか……)


 そう思うと、途端に不安が押し寄せる。

 さらには溜息と共に、くぅぅ、と切なそうな音をお腹が奏でるものだから、いよいよ惨めな気分にもなってきた。


「……はぁ。金なし宿なし、記憶もなし……もうんでるでしょ、これ……」


「んはは、すっかり傷心モードですねー。波止場様」

「そりゃそうだよ。目が覚めたらいきなりこんな最悪な状況に追い込まれて、俺が何をしたっていうんだ……こんな状況、どうしたらいいんだよ……」

「どうとだってなりますよ。波止場様が〝希望〟を持つことさえ忘れなければ、ね」


 展望台の柵に寄り掛かって項垂うなだれる波止場の隣に、ひょいとツキウサギはやって来る。柵に腰掛け足をぷらぷらとさせる彼女の表情は、どこか得意げだ。


「いいですか、波止場様。今あなたの目の前にいるエロキュートなバニーガールちゃんは、なにもおやつと引き換えにデートの相手を務めるだけの存在ではないんですよ?」


「……希望コンシェルジュ、だっけ? それって結局なんなの?」


「そうですね。大なり小なり、誰もが心に秘めている夢や願望、そして欲望。私たち希望コンシェルジュ──通称《NAV.bitナビット》は、それらの希望リクエストを叶えるお手伝いをしています。

 早い話が、

 希望すれば〝どんな望みだって叶う〟──と、そういうことです」


「……それはまた、夢みたいな話だ……。どんなって、なんでもいいわけ?」

「です。一夜にして一攫千金を手にすることも、トップスターの座に上り詰めることも、はたまたそれ以上に荒唐無稽こうとうむけいな希望を叶えることだって夢じゃありません。

 ──ま、百聞は一見に如かず。お試し感覚でサクッとリクエストしてみては?」


「……俺みたいな全ロス人間引っかけても、大して毟り取れる物はないと思うけど……」

「私たち《NAV.bit》をそこらの悪徳商法と同じにしないでください」

「上手い話には裏があるもんだ。でなけりゃ俺をからかってるかのどっちかだよ」

「んはー、ネガティブ思考な方ですねー。一つ言っておきますがこのツキウサギ、契約者様に嘘は吐きません。それにからかうならもっとエロくやります!」


 神にでも誓いそうな真面目な顔の下で、豊満な胸をたゆんと張るツキウサギ。


「……はぁ。そこまで言うなら──この最悪な状況を〝なんとか〟してよ。このままだと今日から野宿確定だ」


「んはー、夢がないですねー。それでも思春期真っ盛りの男子ですか。異世界に転生して俺ツエーしたいとか、異世界で可愛い女はべらせてエロエロしたいとか、異世界に転生して新世界の神になりたいとか、そういう欲望にまみれた感じのはないんですか?」

「せめて現世で叶えてくれよ……」

 

 そういうところがいまいち信用できないんだ、と言ってやりたかったが、今は少しでも無駄なカロリー消費は抑えたい。波止場は眼下に広がる繁華街の風景に力なく視線を落としながら、切実な想いでその〝希望〟を改めて口にする。


「今は夢なんかよりも、当面の寝床を確保する方が先決だよ……あと今日のご飯も」


 とはいえ、こんなのはむなしい独り言だ。どんな望みも叶えてくれるバニーガールだなんて、そんな都合のいい話などあるはずもないのだから。

 

 すっかり諦めの面持ちで、野宿ができそうな場所でも探しにいこうと波止場が思い立った、そのときだった。


「──ま、いいでしょう。それも一つの希望のカタチ。ここは私自身の試運転も兼ねて、チュートリアルでも挟むとしましょうか」

「……え?」


 絶望の淵で叶わぬ救いを待つ少年に手を差し伸べる天使が如く、ツキウサギは応えた。


「それが波止場様の希望とあらば、私が〝なんとか〟して差し上げましょう!」


 気付くと、幼くも超越者染みたツキウサギの顔がすぐ目の前にあった。唐突に彼女が波止場の正面に回り込み、その目と鼻の先まで顔を近付けてきたのだ。


 蠱惑的なオッドアイの瞳。

 その双眸そうぼうが、ぽぅっと淡い光を灯したその直後──


「ちょっとくすぐったいですよ」

「……え、なに──を⁉」

 

 バチッ、と視界が瞬き、次の瞬間──

 波止場の意識は真っ白な空間へと放り出されていた。


「──!」


 全身の神経が電子回路となって弾け飛ぶような感覚があった。

 前後不覚の背景に刻み込まれた回路図形ダイアグラムおびただしい数の数列の流動に呑まれ、個と世界とが繋がったような、けれどもそれは恐らく一秒にも満たないゼロコンマの体験で──

 

 次に瞬きをしたときには、先ほどまでと同じ広場の喧騒が視界には広がっていた。


「──ッ、今のは、一体……」


「波止場様のリクエストを登録アップロードしたんですよ。これでマッチングの用意は整いました。あとは〝希望〟が合う相手が現れるかどうか、ですが──」

「……マッチング? 君は何を言って……」


 なに一つ状況が呑み込めず当惑するばかりの波止場をよそに、ツキウサギはふっと地上に降りて、カツン──と下駄のヒールを打ち鳴らす。


 そして、


「ときに波止場様。?」


「……は?」


 回路図形ダイアグラムが浮かぶ街の上空を見上げたところで、彼女は天を指差してニヤリと笑った。


「──希望、合いました──距離二〇メートル、頭上注意です!」

 

 ツキウサギと共に見上げた頭上に、いきなりスクーターが降ってきた。

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