【2章】パンドラゲーム

【第4話】エンカウント・ヒロイン

 繁華街上空に架かる高架道路を飛び越えて、地上よりビル七階分の高さにある広場へと飛んでくる影がある。

 宙で車体をウイリーさせたそのスクーターはまるで前脚を高く掲げた獣のようで、空転したゴム製の蹄が着地地点に見定めた先には、波止場が立っていた。


「──って、なんで空からスクーターが落ちてくるんだ……ッ⁉」

「──人ッ⁉ ちょっ、やばっ──!」


 暴れ馬の如きスクーターの鞍に跨っていたのは、波止場と同年代くらいの少女だった。


 思わぬアクシデントを前に吃驚する波止場と少女。

 しかしそこで、彼は見た。

 

 あわや衝突寸前といったところで、少女は車体の正面に差し込むようにして、爪の先端から種子にも似た〝つけ爪ネイル〟を弾き出したのだ。

 そしてそれは合図と共に──


「──《#気まま羊雲クリック・パフ》! 開花クラック!」


 割れた種子が巨大な〝綿花〟を──ボンッ! と宙に咲かせてみせた。


「……な、綿ぁっ……⁉ ──ぐむッ!」


 まるで手品か魔法でも目の当たりにしたような光景を仰ぐその一方、宙に花開いた綿花のエアバッグを足蹴にしたスクーターは、弾むように宙で一回転。広場に着地する。

 そして二度目の開花が、スクーターの暴走をその柔らか素材で受け止めていた。


「…………ぷはぁ! 間一髪、免停回避!」

 

 息継ぎでもするように綿から顔を出したのは、ベーグルにも似たお団子ツインテをピンクとブロンドのツートンカラーで染め上げた、見るも派手な風貌の少女だった。


「よしよし、バイクは無事、だね。──おーい、そっちの二人も大丈夫そ──?」

 

 少女はバイクの安否を触診で確認したあと、思い出したようにこちらに駆けてくる。


「です、です。人間様の超ファインプレーのおかげで、二人とも超無事です」

「うんうん、それならよかった。……で、その無事なもう一人の方は、どこ行ったの?」

「おや。さっきまで私の隣にいたはずなんですが──」


「──全然大丈夫じゃ……っ、ない……」


 不意に地べたから上がった抗議の声に目を向ければ、綿花製のエアバッグの下敷きになっていた灰色の癖っ毛頭が、もそもそと蠢きながら這い出してきたところだった。


「おや、波止場様。そんなところで何してるんですか? 鳩に埋もれて目を覚ましたとのことでしたが、よもや古巣のぬくもりが恋しくなって」

「……そんな快適そうに見える、これ?」

 

 憤懣やるかたない面持ちで、今やメレンゲ状に萎んだ綿から波止場は脱出する。


「──まったく、酷い目に遭った。最悪だよ。

 ……てか、君も何なの? こっちはマジに死ぬかと思ったよ……」


「あはは、ごめんごめん。丁度収録の帰りにむーとんがマッチングに気付いてさ。つい、ショートカットしてきちゃった。

 ──あっ、あたし櫃辻ひつつじミライね。よっろしくぅ♪」


「つい、で飛び越していい高さじゃないでしょ、これ……」


 前屈みに片合掌しつつ、次にはもう握手を求めてくるお団子ツインテの少女。

 天性のアイドルを思わせる人懐っこい顔つきと、仕草、そして陽の気をてらいなく振りまく朗らかな人柄。思春期男子には眩いばかりの美少女が、そこにはいた。

 

 なにより波止場の目を眩ませたのは、彼女のそのエキセントリックな出で立ちだ。

 

 彼女はワンピースタイプのパーカーを素肌の上に羽織っていて、O字形に切り開かれた素敵峡谷ジッパーの谷間には、大胆にも省面積系のアンダーウェアが覗いている。

 服の裾からじかに伸びた流線形の生足といい、惜しげもなく曝け出した胸元やお腹といい、その健康的で魅惑的なプロポーションは、バニーガールの艶姿ですでに肥えた思春期の目を以てしても些か刺激的で、ここにきてまた波止場は目のやり場に悩むことになっていた。


「さっすがノモリンの新作〝EP〟。まさかこんなすぐに役に立つとはね。──でも、使ったあとの処理がちょい面倒かなー。あとでログ送っとかないと」

 

 櫃辻と名乗った少女は独り言を呟きながら、メレンゲ状の綿花を摘まみ上げる。するとその綿花は原子の海に還るように、青白い粒子となって溶けてなくなってしまった。


 もしやこの少女は魔法使いか何かなのだろうか? 

 スクーターに乗った魔法使いだ。


「それで、キミは? 名前なんてーの?」

「え、名前? えっと、俺は波止場、皐月……多分だけど」

「多分? あはっ、面白いこと言うね。──波止場君、波止場君かぁ、ふ~ん」


 櫃辻は品定めするような眼差しで波止場の周囲をぐるりと一周したあと、


「──それで、むーとん。このポッポ君が今回のマッチング相手、でイイんだよね?」


 首の回路図形ダイアグラムに触れながら、ここにはいない誰かに問いかけた。するとその呼びかけに応えるようにして、表示窓ディスプレイから彼女の隣に、ポン、と現れた小さな姿がある。

 

 それは手のひらサイズの毛玉ウサギ──妖精型ノームの《NAV.bit》だった。


「……ん、むにゃ……あってる。ミライの彼氏こーほ……希望、合いました」


 櫃辻はふんふんと満足げに毛玉に頷きを返すと、一人納得した素振りで言う。


「よし。それじゃあ自己紹介も済んだことだし、早速ヤっちゃう?」

「……え? ヤるって、何を?」


「そんなの決まってるじゃん──ゲームだよ、ゲーム!」


 ピースでもするような仕草で掲げた櫃辻の指先には、どこから取り出したのか板ガム大の小型機器が挟んである。それを彼女は笑みと共にくるりと回すと、その先端を首の回路図形ダイアグラムへと挿し込んだのだ。


「──ん、っ──」


 プシュッ、と炭酸の抜けたような音と共に、櫃辻の首から〝何か〟が注がれ、それに呼応するように彼女の瞳が明滅する。

 直後、彼女の衣装をゲーミングカラーの装飾が飾り立て、巻き角型のヘッドセットが彼女の耳元に、ポゥ、と線を描くように出現した。


「──《#おはよう子羊ストレイ・ノーマッド》──モード、配信開始オンエア!」

 

 さらに続けて櫃辻が両手を左右に掲げると同時、周囲にポン、ポンと弾けるように幾数の〝綿毛〟が群れをなして舞い上がり、広場には幾数枚ものモニターが浮かび上がる。


 そして一呼吸ののち──世界の色と空気が変わった。


「──はろぐっなーい! 子羊のみんな、イイ夢みってる──? 

 未来ときめく女子高生ストリーマー、櫃辻ひつつじミライだよ──っ!」


 舞台に上がった主役の名を自ら謳い上げるように、マイク越しの櫃辻の声が、広場に出現したモニター群をスピーカーに明瞭なサウンドを響かせた。


「いきなりのゲリラ配信でびっくりしちゃったかな──って、いつも見てくれてるみんなはもう慣れっコだよね。──希望、合いました! 今日もみんなが最っ高に楽しい夢を見られるように、櫃辻、夢叶えちゃうから。最後まで応援よっろしくぅ──♪」


 誰もいない虚空に向かって──否、綿毛たちの視線に向かって声高らかに櫃辻は言う。

 するとまもなく、その虚空に集った〝声〟が一斉に広場に溢れた。


『──うぉおお、きちゃ!』『はろすみ!』『はろすみ!』『ヒツジちゃんきちゃ!』『ヒツジちゃああん!』『どうも子羊です』『仕事中だけど夢見にきました』『はじめてリアタイできた!』『今日も衣装がエッッ……』『なんか男いるぞ?』『ひつじちゃんがんばえー』


 ゲリラ的に始まった櫃辻の生配信ライブ

 主役のコールに応えるとめどない歓声レスポンス

 宙に熱狂の声を打ち込んでいるのは無数とも呼べる数の文字列コメントたちで、軽快なBGMが即興の舞台を盛り上げる。

 広場の背景はポップなエフェクトで色めき立ち、見上げたモニターの一つには、状況が呑み込めずに唖然とする間抜け面の少年が映し出されていた。

 

 登録者数三〇〇万人超えの超人気配信コンテンツ──『櫃辻ちゃんねる♪』。

 

 その舞台こそが、いま波止場を取り巻く異常事態の正体だった。


「んはっ、波止場様。私たち配信に映ってますよ? ピースしときましょう、ピース」

「……次から次へと……ついていけてない俺が悪いのかなぁ、これ……」


 そんな波止場の呟きが誰かの耳に届くことはなく。幾多の船員リスナーを乗せた方舟はいしんは、リアルとネットの大海原へとヨーソローと漕ぎ出した。船の操舵を握る船長は当然、櫃辻だ。 


「さぁて、みんなお待ちかね! 早速今日のコラボ相手を紹介しちゃおっかな──


 ──って、あれ? ちょっとちょっと──ッ! どこ行くのさ、ポッポ君! 配信中にコラボ相手がログアウトとか、前代未聞すぎて配信事故だよっ!」


 何か大きな波乱に巻き込まれそうな予感に、波止場はコソコソとフェードアウトを図ったのだが──逃走失敗。

 あっという間にチャンネルのヌシに回り込まれてしまった。


「いや、多分人違いじゃないかな……その『ポッポ君』って人には心当たりがないし」

「鳩ポッポーで、ポッポ君。キミのことだよ! なんか鳩好きそうな服だって着てるし」

「……生憎、鳩にはいい思い出がないよ」

「じゃあ今日作ろう。ほら、これ。コラボの記念にステッカーあげる。コラボ相手にしか配ってない超激レアアイテムだよ。──うん、イイね。超似合ってる!」


 ジャケットの襟元にペタリと貼られたステッカーは、デフォルメされた櫃辻のイラストが3Dとなって踊り出す仕様になっていて、ファンからすれば垂涎物の代物なのだろうが、波止場はいよいよ逃げ場がなくなっていくのを察して愛想笑いを浮かべる。


「……ツキウサギさん、これどういう状況? 君に『なんとかしてくれ』って頼んだら、もっと訳わかんないことに巻き込まれてる気がするんだけど……」

「そうですか? 希望に叶う相手としてはこれ以上ない優良物件だと思いますが」

「どういう理屈だよ、それ。彼女に『今晩泊めてくれ』ってお願いしろとでも?」


 悪くないアイデアですね、とツキウサギ。

 冗談でしょ、と波止場は頭を抱える。

 

 やっぱりこうなるのだ。ろくでもないことになる予感は当たっていた。


「……あれ? もしかしてポッポ君、《NAV.bit》に希望リクエストするの初めてだったりする?」

「すみません、櫃辻様。実はこの波止場様、ただいま絶賛記憶喪失中でして。初めてどころかこれから何をするのかも全然解ってないんですよ」

「記憶喪失……って、マジ⁉ そんなめちゃバズ設定隠し持ってたの、ポッポ君!」


 櫃辻は同情するどころか、むしろ波止場への関心を強くして目を輝かせる始末だ。


(……なんでみんなこうも、他人ひとの記憶喪失に対して反応が能天気系なんだ……)


 波止場は自分の猫背がさらに落ち込んでいくのを自覚しながらも、形式的に訊ねる。


「……はぁ。そろそろちゃんと説明してよ。今から俺に、何をさせようっての」


 ツキウサギは、です、と頷くと、勿体つけた口調でこう語り始めた。


「これから波止場様には、櫃辻様と〝あるゲーム〟をしていただきます」


「……ゲーム?」


「です。簡単に言えば、波止場様がそのゲームで見事勝利することができれば、櫃辻様が波止場様の希望を叶えてくださる──要は〝なんとかしてくれる〟というわけです。

 

 ですが、もしも波止場様が負けてしまったそのときには、ペナルティとして櫃辻様の希望を叶える〝義務〟が発生します。つまりこれから波止場様に行っていただくのは、自らの総てをチップとし、互いの希望を賭けた勝者全獲りゼロサムゲーム。それこそが──」

 

 ツキウサギは告げる。

 ──〝どんな望みも叶う〟という希望に蓋をする、革命的なゲームの名を。


「私たち希望コンシェルジュが叶える希望への特急券──『パンドラゲーム』です!」

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