救世の魔術師【読み切り&予告】

@tell

夕暮れの旅立ち 1

 新創暦 二一六四年


〈ラゴフェード大陸 グリマーニ領南部 城塞都市グランオリバ〉




 柔らかな陽の光が射し込み、暖かな風にカーテンがそよぐ一室。賑やかな小鳥のさえずりで、一人の少女が目を覚ます。


 彼女は深紅の瞳を覆う瞼を擦りながら、よたよたと洗面台へと足を運ぶ。鏡を前に大きなあくびを一つ、寝ぐせで乱れた銀色のショートヘアを丁寧に櫛でとき、顔を洗って歯を磨く。


 そうして次に向かったのはクローゼット、迷うことなく手にした純白のワンピースと黒のフード付きローブ。“如何にも魔術師らしい”その装いに着替え、立て掛けた大杖スタッフを手に取り外へ……と、その前に。


「――セシィ……セシリア、そろそろ起きてくださーい」


 銀髪の少女の呼び掛けで、布団から少しだけ顔を覗かせる女の子は、瑠璃色の瞳をゴシゴシと擦りながら、のそのそと覚束ない足取りで少女の元へと歩み寄る。


「おかぁさん……もう出発ですか?」


「はいはい、お母さんじゃなくてあなたの師匠“フランチェスカ”ですよ……まったく、だから早く寝なさいと言ったじゃないですか」


「んー、フランししょう、あと一時間だけぇ……」


 少女の呆れ顔をよそに、瑠璃色の瞳を持つ女の子は、首元で揃えたボサボサの黄金色の髪を揺らしながらベッドへと戻ってしまう。


「はぁ、じゃあお昼頃には戻って来るので、それまでにしっかり準備をしておいてくださいね」


 寝ぼけ声の返事が一つ、そしてまた気持ちよさそうな寝息を立て始める。


「さて、買い物と出発の手続きだけでも済ませておきますか……」


 銀髪の少女フランチェスカ、もといフランはセシィへ温もりに満ちた視線を向けつつも溜息を一つ、そして外へと踏み出す。



 ◇◇◇◇◇◇



 都市の中心部に位置する大きな市場マーケット


「――はい、じゃあ《蛙の魔物グレーナの油》が二瓶、それから《魔留石》が三つで、七五〇ラルだね」


 強面だが、優し気な口調の店主へフランは金色の硬貨を一枚差し出す。毎度!と受け取り袋に品物を詰め、お釣りと共にフランへ手渡す。


 弾けんばかりの笑顔のオマケ付きだ。


「しっかし、こんなに買っていくなんて珍しいな嬢ちゃん!傷には効いても寝坊にグレーナの油は効かねぇぞ、ハッハッハ!」


 豪快な笑い声を放つ店主へフランは、少し寂し気にここを離れる事を伝える。


「そうか……パレンバーグさんの件か?」


 フランが小さく頷くと、店主も少し寂し気な面持ちで“参ったな”とばかりに自身の禿頭を撫でる。


「パレンバーグさんが此処を去って三年……遂に嬢ちゃんも此処を去っちまうのか、寂しくなるな。何か手がかりは見つかったのか?」


「いえ……でも一先ずこれを元に〈叡智の楽園〉を目指してみようかと」


 フランの手に握られた一枚の手紙。



 研鑽積みし時、叡智の楽園にて再開を待つ――



 それを見た店主はまた、豪快に笑って見せる。


「嬢ちゃんの師匠は相変わらずだな!肝心な所はいっつもはぐらかしちまうんだ」


「はい……本当に困った師匠ですよ……」


「まぁ、辛くなったら何時でも戻って来な。がんばれよ!」


 フランはペコリと頭を下げ、次の目的地へと歩き出す。この都市へ来て早七年、いつもと変わらないはずの景色と賑やかな雰囲気が、長い旅路への出発を直前に控えたフランの目には今日は何故か侘しく映る。


 そんな旅への小さな不安と、大きな期待を抱えながら赴いたのは、外壁に風変わりな彫刻が彫り込まれた大きな建物――

 大きな建物、それに相応しい立派な扉の前にフランが歩み寄ると、扉が独りでに開く。


 しかし、この様な仕掛けは魔術が生活に溶け込んだこの大陸では凡常な光景、勿論フランは素知らぬ顔で建物の中へと踏み入れる。中へ入るとそこには、フランと似通った装いの人物が多数、そうここは大陸で活動する魔術師たちへ仕事の斡旋及び彼等を統率する為の組織。


〈ラゴフェード大陸魔術協会 グリマーニ支部〉


 多くの魔術師が集まる中、フランは脇目を振る事無くカウンターへ……自身と同じ深紅の瞳を持つ、銀髪ロングヘアの女性を訪ねる。


「あら、フランさん。ここへ来るなんて珍しいですね、どうしたんですか?」


「その……旅と旅隊パーティーの手続きに……」


「分かりました。ではコチラの書類に必要事項を記入してくださいね」


 銀髪の女性も先程の店主と同様に少し寂しい表情を一瞬見せるも、パッと最初の笑顔に切り替えフランへ書類を手渡す。

 そうして、渡された書類へすらすらと書き込むフランの顔を覗き込む女性……口元を隠しクスッと笑みを浮かべる。


「師匠の背中に隠れて、フードを被っていた頃が懐かしいですね」


「もう!リディアさんたら、いつの話をしてるんですか?」


「そんな恥ずかしがり屋さんが、今や立派な魔術師……それに可愛らしいお弟子さんまで」


 ササっと書類を書き上げ、朱に染まった頬を隠す様に少し顔を逸らしながら、リディアへ差し出す。


「フフッ、恥ずかしがり屋さんは変わって無いですね。では確認と承認印を貰って来ますので少し待っててくださいね」


 足早に上階へと駆け上がって行くリディアをボーっと見つめるフランへ近づく一人の人物。真っ白な長髪を後ろに束ね、立派な髭を貯えた老齢の者は、そろりとフランへ近づき肩へ手を――


「――ヒィ!」


「久ぶりだね、フランチェスカ君」


 無邪気に目じりへ皺を寄せる人物の顔を見て胸を撫で下ろすと同時に、フランは溜息を一つ。


「驚かさないで下さいよグリマーニ公爵……」


「ハッハッハ、すまんね。久しぶりに視察へ来てみたら君の姿が見えたのでつい」


 腰に手を当てながら見せる屈託の無い笑顔に、怒る気も何処かへ行ってしまうが、それ以前にこの人物はここ〈グリマーニ領〉を統治する人物。気難しい人では無いが、流石にこんなに大勢の前で自分の様な少女に疎まれている姿を見せるのは……とフランなりに気を遣い無いがらも肩を落とす。


「して、今日はどんな要件で此処へ?“君程の魔術師”が呼ばれると言う事は……」


「いえ――」


「――お待たせしました!フランさん……グリマーニ公爵!」


 書類を胸に抱えたまま深々と頭を下げるリディアに公爵は、まぁまぁと肩の力を抜く様に促す。それでも些か緊張気味のリディアに公爵は笑みを浮かべる。


「では、気を取り直して――」


 咳ばらいを一つ、リディアが書類の内容を読み上げ、承認の旨をフランへと伝える。間を空けず“関心”と大きな拍手を響かせた後に、大きく頷きながら頑張りたまえとフランへ激励の言葉を贈る。


「しかし、翼獣や魔動力車マドウリキシャを使わないとは、随分と大胆ですね」


「はい、師匠の教えなんです――」


 自慢げながらも少し儚さを帯びたフランの口調で放たれる師匠の教え。実際にその地域の大地を踏み、住まう人々や生物と触れ合う事で知り得る事もあるだろうと言う、日頃から耳にたこができる程に聞かされた師匠の教諭。


「まぁ、それでも必要な時は、翼獣や文明の力は借りますけど……」


「フフッ、柔軟で凝り固まらない考え……素晴らしいですね」


「まったく、パレンバーグの奴、この様なを一人にしてどこぞをほっつき歩っているのやら」


 拳を掲げ、連れ戻したら拳骨の一発でもくれてやろうと意気込む公爵をなだめつつ、フランは両名へ日頃の感謝と旅立ちの挨拶を告げる。


「ウム、奴を見つけたらまずはワシの所へ連れて来るんだぞ!して、フランチェスカ君、魔術師の掟は忘れておらぬな?」


「はい。世の理崩す事なかれ、故に禁術行使することなかれ……ですね」


「よろしい!ではリディア君、壮行の句を」


「では、オホン……【禁解】フランチェスカ・アーシア様、楽園を目指す旅路の無事と平穏を祈ります。己の在り方を知り得た時、楽園への道は開かれるでしょう……成長したアナタを待っていますよ」


 その言葉と二人が真っすぐに向ける期待の眼差しは、フランの心の隅にあった小さな不安を消し、大きな一つの希望へと姿を変えてくれていた。躍る心に動かされる足は、力強く前へ前へと踏み出される。


 ――が、しかし……。

 お昼を告げる鐘が鳴り響く、それと同時にフランの腹から、ぐぅーと虫の喚きが鳴り渡る。

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