わがまま

つき

短編

ある秋の日、婦人は綺麗な水色のパーカーを通り掛かりのセレクトショップで手に入れた。


滑らかなジャージー素材で、カジュアルすぎず品があり、白いジップが映えた、大人っぽいデザインだ。


腰と首周りにぐるっと薄くダウンが入って、暖かくアクセントにもなっている。

左腕に、小さなブランドマークが付いているとても素敵な一着だった。


婦人にはかなり高額だったが、家に帰って包みを解き、改めてまじまじと見つめると、やはり何かインスピレーションを感じずにはいられなかった。


ケチな夫は、その値段を聞いて妻を叱り飛ばしてきた。

実は、経営しているケーキショップが軌道に乗ったばかりだったのだ。


それでも普段わがままを言わない妻は、この買い物にとても満足だった。


さて、

そんな経緯でその水色のパーカーは婦人のお気に入りの一着となり、一冬の間、何処へ行くにも一緒だった。


やがて、婦人は乳がんが見つかり、あっという間にステージが進み、梅の蕾が綻ぶ頃、帰らぬ人となってしまった。


ここ暫く誰からも忘れられた水色のパーカーは、持ち主の面影を纏ったまま、ハンガーに掛けられ、ぶら下がっている。


心優しかった婦人の残した願いは、未だ新品の様に綺麗だった水色のパーカーを、誰か困っている人に譲ってあげて欲しい、というものだった。


ケチな夫は後ろ髪を引かれながらも、水色のパーカーをクリーニングに出し、沢山のケーキと一緒に教会の夏のバザーに寄付することにした。


それが妻の供養になると思った。


パーカーは、小さな施設の身寄りのいない少女の元にやってくる。


下着も靴下もヨレヨレの物しか与えられていなかった少女は、綺麗な水色のパーカーを一目で気に入った。


照り返す夏の日差しの中、少々季節はずれのパーカーが、毎日少女を包み込んだ。


心を閉ざし、絶望の淵にいた少女は、何故か、会ったことも無い母の匂いのようなものを、その水色のパーカーに感じていた。


そして秋と冬の間も、パーカーが毎日少女の身体と心を温め続けた。


梅の花が咲く頃、無事に高校進学が決まった少女は、勇気を出した。

お気に入りの一張羅の水色のパーカーを着て、ケーキショップのアルバイト面接へ向かったのだ。


出迎えてくれたオーナーは、少女のその古ぼけた身なりに最初は訝しんだが、直ぐに顔色を変えて呟いた。

「その服は…」


そう、そのパーカーは、愛しい妻のあの水色のパーカーであった。


少女の境遇を聞いたオーナーは、少女を雇い、また、形見の水色のパーカーを引き取らせてもらい、代わりに高価な服を彼女にプレゼントした。


少女は良く働き、店のパートさん達にも可愛がられ、看板娘となり、店は地元の人気店となった。

少女は高校卒業後も、そのまま雇ってもらった。


今、夫は妻の遺影に微笑み掛ける。


「君は本当に綺麗な心の持ち主だよ。君のおかげで、救われた女の子がいるんだよ。

勿論、僕も救われた。

あの時、叱ったりしてごめん。君の可愛いわがままだったのだね。」


窓から爽やかな風が入って、水色のパーカーは、遺影の横でくすぐったそうに風に揺れている。


fin


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わがまま つき @tsuki1207

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