第17話(日)

 お出かけしよう、というアズサの一言でショッピングモールにやってきていた。

 ざわざわと忙しない通路。きらびやかな店内装飾と、アイキャッチを意識した広告。いささか過剰に感じられるそれらを珍し気に見ていると、足早に歩く通行人とぶつかりそうになって、ミノルは慌ててアズサのそばに身を寄せた。

 

「そんなに珍しい?」

「あんまり来たことなくて」


 こういう場所に連れて行ってくれるような家族ではなかったし、大きくなってからはそんな暇もないほど部活に打ち込んでいた。必然的に、ミノルは今時の高校生よりもこうした場所に縁がなかった。

 アズサが仕方ないなあとでも言うように、ミノルの手をぎゅっと掴んできた。互いの腕が重なり、その分だけ身体が密着する。ふらりふらりと揺れていたミノルの足取りが、彼女に支えられて途端にしっかりとしたものになる。


 「こっち」


 手を引かれるままに歩いていくと、いつの間にかペットショップの前に来ていた。今日の目的の一つはネコに関する買い物だったので、足を止めることなく店内に入る。釣り竿のようなおもちゃや、巨大なキャットタワーなどを眺めながら、ゆっくりと商品を見て回る。

 

「クッションとかって必要なのかな?」

「どうだろ? ミノルちゃんの服があればそれで満足してそうだけど。それよりも、爪研ぎや爪切りの方が必要じゃない?」

「そうだね」


 二人でしばらく悩んで、ボウルタイプの爪研ぎと、”失敗しない!”と書かれた爪切りを買い物カゴに入れた。消耗品は通販で頼んでいるらしく、ここで買う必要はないとのこと。手際のよさに感心しつつ、よさげなおもちゃも数個選んで、会計の列に並ぶ。アズサが支払いをしている間に、ずしりと重いそれを若い店員から受け取って脇に抱えた。

 お店を出たあと、料理で必要なものはあるかと聞かれたけれど、首を横に振って答える。試してみたいものはいくつかあるけれど、いつ出ていくことになるかもわからない状況で、買ってもらうのも気が引けた。

 二人とも他に買いたいものはなかったので、適当にお店をのぞきながら歩く。ミノルは基本的に身の周りのものは自分で購入しているので、アズサからいろいろと勧められたけれど全て断った。彼女はとても不満そうだった。

 そうして時間を過ごしていると、最上階の薄暗いフロアにたどり着いた。ぐるりと周囲を見回すと、いたる所で巨大なポスターや液晶ディスプレイが壁を覆っているのが目に付く。

 

「ミノルちゃんはどういうジャンルが好き?」


 アズサが表示されている映画のタイトルと開始時間を確認しながらたずねてきた。

 ミノルも同じように見上げるけれど、タイトルだけでは内容がさっぱりわからない。アニメや外国の有名なシリーズなどは理解できるものの、広告をほとんど見ないミノルにとってそれ以外のタイトルは未知のものでしかなかった。


「動きがない映画は眠くなる気がする」

「じゃあアクションがいいのかな」


 静かな森の中で男女が恋愛する映画よりは、ビルが爆破される映画の方が寝る可能性は少ないと思う。もしうとうとしてしまっても、大音量の効果音で叩き起こしてくれそうなのもポイントが高い。

 アズサが適当に映画を選び、券売機で二枚購入する。ちらりと見た画面には、ミノルの予想よりも高い金額が表示されていた。


「映画代ってこんなに高いんだ?」

「じわじわ上がってるみたいでね。私もあまり来ないから、ちょっとびっくりしてる」

 

 しゃこん、と音を立てて吐き出されたチケットを手にして、アズサも想定外だと苦笑した。彼女はついでにポップコーンとジュースも購入し、ミノルに手渡してくる。ふわりと香ばしい匂いがして、瞬間的に、過去一度だけ連れてきてもらった記憶が蘇った。ミノルに対してそっけない態度の両親と、彼らの間に挟まって頭を撫でられている姉の姿をぼんやりと思い出す。彼らにとって、ミノルを連れてきたのはただの気まぐれに過ぎなかっただろう。けれど、あの時見た映画は退屈で大して面白くもなかったのに、ポップコーンの香りとともになぜか今でもミノルの心の中に残り続けていた。

 半券を切ってもらって入場する。二人で荷物をやり取りしながら指定の席に座り、開場を待つ。人はそれなりに入っていたけれど、端っこにあった二人掛けの席を選んだためか周囲は空席だった。


「ポップコーンがないと、映画館に来たって感じがしないんだよね」


 アズサはぽりぽりと無防備な音を立てて、膨張したトウモロコシの実を食べている。彼女に促されるままに、ミノルもそれに手を伸ばす。口に入れた途端、チーズの濃厚な匂いが鼻腔を抜けていくと同時に、また古い記憶が掘り起こされた。ポップコーンを食べたくて、でも両親が買ってくれるわけはなくて、近くのお姉さんを見上げていたらちょっとだけ、と言って食べさせてくれた記憶だ。口の中に広がった味は少し違うけれど、あの塩っ辛くて癖になりそうな味は、あの時の記憶と全く同じだった。

 僅かな光を残して照明が落ちる。予告が始まり、有名なキャラクターや見覚えのある俳優がスクリーン上を忙しなく流れていく。


「ねえ」


 アズサがこちらを見る。

 顔の左側に色鮮やかな光が当たり、くっきりとした陰影を作り出している。スクリーンから放たれたそれらの光は、そうすることが自然であるかのように、彼女の瞳に吸い込まれていく。それはまるで星空のように、ミノルの目の前で美しく輝いていた。


「手、つなご」

 

 ひじ掛けに腕が乗せられた。手のひらが上を向いて、ミノルを誘う。

 ぎゅっ、と胸が締め付けられた気がした。穏やかな表情のままミノルを待っているその人に、自然と応えたいと思った。重ねた手は、少し乾いていた。指先が緩く絡まって、そのことに気持ちが落ち着かなくなる。

 照明が完全に落ちた。スクリーンが広がり、制作会社のロゴが静かに流れ始める。

 アズサを見れば、もう映画に集中しているようだった。眼鏡の影が濃く落ちているその頬は、閉じられたその口元は、真剣さを湛えて前だけを向いていた。

 綺麗だと思った。相変わらず地味で特徴に乏しい顔をしているけれど、それでも彼女はきれいだと、ミノルは思った。

 映画が始まり、主人公が銃を乱射し始めても、ミノルはただ彼女だけを見つめていた。

 

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