ガマガエル似のデブ令息が侯爵令嬢を強奪しようとした話

uribou

第1話

 『高嶺の花は可憐で強い』とは、フェリシア・エイヌライド侯爵令嬢を指した言葉だ。

 フェリシアは小柄で可愛らしい令嬢ではあったが、王立学校の成績は極めて優秀で、それ以上に人をまとめ導くリーダーシップに長けていた。

 年回りの合う王子がいたなら、間違いなく妃として求められただろうという逸材だ。


 『予が一〇歳若ければ、フェリシア嬢を妃にしたのだが』と王が呟き、王妃に頬をつねられたという話が、巷間にまことしやかに伝わっている。

 もちろん真偽は定かではない。


 そんなフェリシアが婚約するとして、王立学校ではかなり話題になった。

 婚約者のいない、とりわけフェリシアと家格的に釣り合う高位貴族の令息達はガッカリした。

 特にどの令息と親しいとかはなく、公平に等距離に広範囲に交友していたフェリシアのお相手は誰だ?


 アントン・ハートマイヤー、という名前を聞いて首をかしげるものは多かった。

 ハートマイヤー公爵家の令息だと知っている者はいたが、足が悪く表舞台に出てこないからだ。

 もちろん王立学校にも通っていない。


 どんな方なのですか? と問われたフェリシアは答えた。


「初恋の人なの」


 頬を染めるフェリシアにそれ以上問う者はいなかった。

 足を悪くした令息を支えるというのはいかにもフェリシアらしいと受け止められ、皆に温かく祝福されたのだった。

 が……。


 事件は起きる。


          ◇


 デイヴはギルグッド伯爵家の令息だ。

 節制できず肥え太った体形は貴族らしくないと、彼を見て眉を顰める者も多い。

 ギルグッド伯爵家は名門ではあるのだが、容姿に恵まれず粘着質の性格で、剣術も座学も及第点ギリギリのデイヴに近付く令嬢はいなかった。


 しかしデイヴは、ダンスの授業で自分を忌避しないフェリシアに、邪な欲望を抱いた。

 あの天使のような令嬢を自分のものにできないか?

 父である伯爵に相談し、その言いがかりにも似た策謀が決行された。


          ◇


 ――――――――――フェリシア視点。


「当家デイヴの婚約者にフェリシア嬢をいただきたい」


 同級生のデイヴ様とその父親であるギルグッド家当主の伯爵が乗り込んできた。

 何の用かと思ったら、わたくしを婚約者として寄越せとのこと。

 あまりのことに目が点になった。

 わたくしは既に愛するアントンの婚約者だというのに。


 デイヴ様は自堕落な印象がある。

 見た目もそうだが、学校の成績でもだ。

 ギルグッド伯爵家は名家なのだから、努力すればいいのになあ。

 なすべきことをなさない姿勢は好きになれない。


「と、申されても、フェリシアは既に婚約済みですのでな」

「実はこのようなものがある」

「何でしょう、拝見いたします」


 書類?

 どうしたのだろう。

 父様が動揺しているように思えるが。


「貴家の印に間違いございませんな?」

「……はい」


 何だろう?

 わたくしが口を挟むのも差し出がましいが……。

 デイヴ様が得意げに言う。


「でゅふふふ。これはね、君がボクのものである証明書なのさあ。見るがいい!」


 勝ち誇ったような言い方が不快だった。

 わたくしはわたくし。

 誰かのものじゃない。

 その書類にはこう書かれていた。


『ギルグッド伯爵家はエイヌライド侯爵家直系の令嬢を一人もらい受ける。この契約書の効力は一度のみ発揮される』


 は?

 エイヌライド侯爵家に娘はわたくししかいない。

 わたくしがギルグッド伯爵家にもらわれて行くということ?

 伯爵が説明してくれる。


「先々々代の貴家の当主侯爵が、賭場で借金を負ったようなのですな。払えず収監されるところを当家で肩代わりしました。そこでこの契約が結ばれたということで」


 もちろんお会いしたことはないが、高祖父様は伝説的な遊び人だったと言われている。

 このような契約が結ばれていてもおかしくはない。

 何より印は我がエイヌライド侯爵家のものに相違ない。


 問題はこの契約に期限が設けられていないことだ。

 高祖父様は一体何をやっているのだろう?

 おかげで子孫が往生する。


「でゅふふふ。ボクはこの契約書の権利を行使することをここに宣言するのさあ!」

「フェリシア嬢ほどの才媛がデイヴの婚約者となってくれるなら、当家にとってこれほどの喜びはありません。いかがですかな?」

「……フェリシアは既に婚約している身です。先方との調整もありますので、即答は致しかねます」


 父様はそう声を絞り出すのが精一杯だった。


「いい返事を期待しておりますぞ」

「楽しみにしているのさあ!」


          ◇


 ――――――――――アントン・ハートマイヤー公爵令息視点。


「あはは、それは大変な目に遭ったね」

「冗談ごとじゃないのよ、もう」


 僕の可愛い婚約者フェリシアが訪れてくれた。

 デイヴ・ギルグッドなる伯爵令息の突撃について、面白おかしく話してくれたんだけど。


 王立学校でフェリシアはモテるんだろうなあ。

 奇麗だし頭もいいし。

 足が悪くて王立学校にも通えない僕の婚約者なんて、もったいない気がする。 

 フェリシアはいいのかなあ?


「まったく。わたくしにはアントンがいるんですからね」

「うーん、事実として間違ってはいないんだけど」

「何か?」

「デイヴという伯爵令息は勇者じゃないか」

「勇者?」


 あれ? フェリシアがポカンとしているぞ?


「だってそうじゃないか。婚約者のいる令嬢にアタックしようと考えないだろう、普通は」

「まあ……アントンの言う通りかもしれませんね」

「愛の勇者じゃないか」

「ええ?」


 フェリシアが噴き出した。

 淑女のフェリシアも素敵だけど、天真爛漫に笑うフェリシアも好きだ。


「フェリシアの言うことを聞いていると、そういう結論になるんだけど」

「ふふっ、愛の勇者、ね。アントンは詩的だわ」

「フェリシアだって、熱烈に求められて嬉しいだろう?」

「嬉しいわけないじゃないの。不躾で不快だわ」


 ポーズじゃないみたいだな。

 本当に嫌がってるみたい。

 フェリシアが人を嫌うって、珍しい気がする。


「フェリシアはそのデイヴという令息のことが嫌いなの?」

「……有り体に言って、好みではないわね」

「ふうん? 足の不自由な僕より、よっぽどいい条件だと思うけど」


 僕が勝ってるところなんて、家が公爵家であることだけじゃないかな。


「あら、アントンは素敵よ? 教養があるし、とっても知恵が回るじゃない。優しいし、顔が凛々しいし」

「恥ずかしいなあ。デイヴの顔は好きじゃないの?」

「ガマカエルに似てるわね」

「フェリシアはカエル好きだったじゃないか」


 小さい頃、背中に入れられたことある。

 楽しい思い出だ。


「嫌いじゃないけど、カエルを婚約者にしたいとは思わないわ」

「ハハッ、それもそうか」

「とにかくわたくしはデイヴ様の話を断りたいの。ねえ、アントンの知恵を貸してよ」

「……」


 フェリシアは本当に嫌がってるみたいだ。

 でも僕なんかに縛り付けていいのか、忸怩たる思いもある。

 デイヴのことは好きじゃないみたいだけど、ギルグッド伯爵家は富裕な旧家だ。

 フェリシアの幸せを考えると……。


「フェリシア自身は、ギルグッド伯爵家との契約は有効だと考えているんだね?」

「父様だって受け入れるしかないと言っていたわ。反故にしてはエイヌライド侯爵家の名誉と信用に関わると」

「……ギルグッド伯爵家に迎えられた方が幸せになれるかもしれない、とは考えなかった?」

「わたくしをもの扱いする男は嫌いなの!」


 フェリシアをもの扱いする?

 本当なら怒るのも当然だが。


「どういうことだい?」

「契約書を、『君がボクのものである証明書なのさ』なんて見せてきたのよ」

「……何だって?」


 少なくともフェリシアやエイヌライド侯爵家が望んだ縁談ではない。

 契約書一つで僕のフェリシアを奴隷扱いするのは許せない。

 僕の我が儘だとはわかってはいる。

 でもフェリシアが誰かのものであるなら、それは僕のものであるべきだ。


「ズボラで努力しない男も嫌い!」

「よくわかった。フェリシアに協力しよう」

「どうにかなる?」

「簡単さ。こうして……」


 策を授けるとフェリシアの目が丸くなる。


「……余計な迷惑をかけることになる。フェリシアの好きなやり方じゃないかもしれないけど」

「アントンはすごいわ! 悪辣ね!」

「それ、褒めてくれてるんだよね?」

「もちろんよ!」


 もう一つ納得いかないなあ。

 まあフェリシアの満開笑顔を見られたからいいや。


「父様に相談してみる!」

「帰りは気を付けてね」


          ◇


 ――――――――――デイヴ・ギルグッド伯爵令息視点。


 父上は言っていた。


『まあフェリシア嬢をデイヴの婚約者に、というのはムリ筋だ。結局は違約金を我がギルグッド家に支払うということで決着するだろう』


 フェリシアたんを嫁にできないのは正直ガッカリだ。

 ハートマイヤー公爵家の病弱令息から救い出せるかと思ったのにな。

 フェリシアたんもボクの嫁になった方が幸せだったろうに。

 ペロペロ可愛がるのに。


『エイヌライド侯爵家とハートマイヤー公爵家両方から睨まれるのも得策でない。しかし契約は有効だ。結構な違約金を取れるはずだから、満足しようじゃないか』


 金があれば女は寄ってくるものだ、と父上は笑った。

 それもそうだな。

 フェリシアたんは惜しいが、もう少し胸が大きい女の子もいいしな。


 ところが意外な展開になった。

 改めて顔合わせということで、エイヌライド侯爵家邸に招待されたのだ。


「ふうむ、予想外なことはあるものだな」

「フェリシアたんがボクのものになるの?」

「どうやらそのようだ。エイヌライド侯爵家は、ハートマイヤー公爵家と諍いでもあったのだろうか?」


 片輪令息よりボクの方がいいと思ったんだ、きっと。

 でゅふふふ、テンション上がるなあ。

 フェリシアたんペロペロ。

 エイヌライド侯爵家邸へ。


          ◇


 ――――――――――フェリシア視点。


 伯爵とデイヴ様がいらした。

 デイヴ様が濁ったもの欲しそうな目でわたくしを見つめている。

 少し口元を引き締めた方がいいと思うけど。


「契約に従って、当家の娘を提供する」

「……よろしいので?」

「もちろんですよ」

「フェリシアたん!」


 フェリシア『たん』?

 まあよろしいですけれども。

 父様がにこやかに笑う。


「ああ、当家から差し出すのはフェリシアではなくて」

「「は?」」

「どうぞ」


 ジャスミン大叔母様が入室してきた。

 呆気に取られた様子の伯爵とデイヴ様。

 

「よろしくねい」

「……失礼ですが、どなた様でしたかな?」

「エイヌライド侯爵家当代から三代前の当主ルーサーが娘、ジャスミンですよ」


 ジャスミン大叔母様御年九二歳は、確かにエイヌライド侯爵家直系の娘には違いない。

 アントンは大叔母様に余計な迷惑をかけることになると懸念を示していたけれど。

 大叔母様はお茶目な方なので、こういう人を食ったやり方は大好物だ。

 ノリノリで協力してくれた。

 

 激昂するデイヴ様。


「ふざけるなあ! ボクが欲しいのはフェリシアたんだっ!」

「契約書には『エイヌライド侯爵家直系の令嬢を一人もらい受ける』としか書かれておりませんのでな」

「よりによって骨董品を寄越すとはっ!」

「あらあら、骨董みたいな契約書を持ち出しておりますのにねえ」

「うっ……」


 デイヴ様の顔が赤くなったり青くなったり忙しい。


「で、どうします? 私を引き取って余生を楽しませてもらえますかの?」

「誰がいるかあ!」

「『この契約書の効力は一度のみ発揮される』とあります。デイヴ君は契約書の権利を行使することを宣言していたが、権利は放棄でよろしいですかな?」

「ぐっ……仕方ない」


 終わった。

 アントンの知略の勝利だ。

 伯爵が笑う。


「ハハハハッ。いやあ、うまいこと躱されてしまいましたな」

「いえいえ、たまたまですよ」

「ちょっとした戯言だったと、お忘れいただくとありがたい」

「もちろんです」

「ち、父上……」

「デイヴ、帰るぞ」


 さすがに伯爵は潔い。

 が……。


「デイヴ様、これを」

「ふ、フェリシアたん?」

「痩せられる食事のレシピです。差し出がましいようですが、デイヴ様は見かけで損しているように思えます」


 アントンは言った。


『やり込めたままで終わってしまっては遺恨を残す。何だかんだでギルグッド伯爵家は影響力あるからね。意趣があってはよろしくない。またデイヴから露骨な嫌がらせないし報復を受ける可能性も低くない。だから……』


 デイヴ様に配慮せよとのことだった。

 色々考えた結果、料理人達と考案したレシピを渡すことにした。


「わたくしはアントン・ハートマイヤーの婚約者です。デイヴ様とは縁がございませんでしたが、今後も友人としてお付き合い願えればと思います」

「フェリシアたん、ありがとう!」

「ふむ……侯爵、できた娘御で実に羨ましい」

「いえいえ、何の何の」

「フェリシア嬢を迎えられないのは残念ですが……」


 ギルグッド伯爵家父子はお帰りになった。

 大成功といっていいだろう。

 アントンありがとう。


「ジャスミン大叔母様、本日は御協力ありがとうございました」

「オホホ、いいのよ。それよりも痩せられる食事に興味があるわ」

「作らせましょう。食べていってくださいな」


          ◇


 ――――――――――アントン視点。


「……という経緯だったわ」


 ギルグッド伯爵家との話し合いは円満に解決したらしい。

 よかった、ちょっと心配してたんだ。


「アントンのおかげよ」

「いや、フェリシアの役に立ててうれしいよ」

「やっぱりわたくしの婚約者はアントンしかいないわ。だってとても頼りになるもの」


 フェリシアに喜んでもらえると嬉しいなあ。


「……も」

「え? 何なの?」

「僕もね、フェリシアが好きなんだと再認識したんだ」


 フェリシアちょっと赤くなったかな?


「どうしたの? 急に」

「フェリシアがデイヴに取られるかもと思ったら、嫌な気分になったんだ。フェリシアは僕の側にいて欲しい」

「嬉しいわ。わたくしずっとアントンの側にいるから」

「ごめんね。松葉杖使って歩くのがやっとの僕で」

「そんなこと。頼りになるアントンなのは変わりないわ」


 こんな僕を認めてくれたのは嬉しい。

 フェリシアの役に立てるのも嬉しい。


「ありがとう」

「何なの? わたくしがお礼を言わなきゃいけないのに」

「いいんだ。僕が言いたかったから」

「アントンったら変なの」


 改めて誓うよ。

 これからもフェリシアの満面の笑みを守ると。

 僕の使命だ。

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