第8話エマと江戸時代

 エマはエマとして生まれる前のことを語り始めた。


「私が生まれた国は日本という島国で、徳川家がその国でいうところの王様だったの」

「へー」

「私は徳川家に忠誠を誓う大名と呼ばれる諸侯の奥様に仕える女中だったの。そんなに大きな領地を持ってはいなかったけれど、私たちの国で例えたら男爵レベルだと思うわ」

「大したことないっすね」

「本当にそう。本当にそうなのに、人間って愚かなのよ」

 

 エマはますます悲しげな目をした。


「私が仕えた奥様はとてもお優しい方でいつもニコニコしておられたわ。だけれども、夫である大名が急に亡くなったことで奥様と側室様の子どもで家督争いが起きたの。子どもはどちらもまだ幼くてね」

「どこの世界にもあるんすねー」

「本当にそうよ。奥様は心をとても痛めていたの。あまりにも周囲の人々が豹変してしまったのも原因でね」

「で、どっちのガキが相続したんすか?」

「側室よ」

「へー」


 エマは悲しげな表情から険しい顔になり、

「ある日突然、奥様のお子が行方不明になったの。いくら探しても全く見つからず」

「側室の奴らうまくやりましたねー」

「それは、……側室の一味が奥様のお子を誘拐したり、手にかけたという意味?」

「ですけど?」

「それは不可能だわ。だって、屋敷の中でも常時、警備の者とか誰かが必ずついていたんだもの。誰かが入ったのなら、絶対に気づかれるわ。賄賂というのもありえないくらい忠誠心が強い人たちで固めていたもの」

「そうですかー。じゃあ、なんでですかねー」


 レオンはエマは人が良いから、そんなように考えられるんだろうと思った。人間なんて簡単に裏切るのだ。


「人間なんて簡単に裏切るって思ってるでしょ。そんな顔してる」

「そんなことを思ったので、そんな顔になりましたよ」

「普通だったら、そうよね。でも、奥様の名前は荻野りん。かのちゃんと同じ名字で、顔がとてもかのちゃんと似ていて、血縁があるのかもって」

「偶然じゃないっすか」

「お子は幼いながらもとても散歩好きだったの。今のかのちゃんみたいに。気がつけば、外を歩こうとする子どもだった。もちろん、警備が厳重だから絶対に外へはいけないけれど」

「もしや、散歩で世界をまたいで、戻ってこれなくなったと?」

「その可能性がないわけじゃないと思うの。だって、私はこの世界に生まれてきたけれど、元の世界に生まれ直す方法を知らないもの」


 レオンは黙ってしまった。

 かのは自分の意志で世界を自由にほっつき回ってるわけではなく、歩いた結果、世界をまたぎ家に戻っていた。つまり、かのは世界のまたぎ方も家への戻り方も知っているわけではないのだ。

 いくらほっつき歩いても戻れない可能性だってあるだろう。


「それで、子どもがいなくなった奥方はどうなったんですか?」

「奥様はもう1人女の子を産んでいてね。その子を残して僧侶になったの。出家って行ってね。私も一緒に僧侶になって、引き続きお仕えしたわ」

「はー。僧侶ですか。女中も大変ですね」

「そうね。でも、穏やかに暮らすことができたから良かったわね」


 エマはようやく穏やかな表情に戻り、しみじみと当時の生活を思い出しているようだった。


 食後のデザートであるりんごを手に取り、

「奥様は食べることが好きな方だったわ。その国ではりんごはなかったけれど、もし奥様が召し上がったらたいそう喜んだでしょうね」


 エマはしみじみと言うと、レオンが、

「話はわかりました。当時の奥方様が食ってたもの食ってみたいですね。なんか明日の朝にでも作ってくださいよ」

「え?」


 レオンはかのの食事があの世界の標準なのかもしれない。それではエマは当時、どんなものを食べていたのか純粋に興味を持ったのだった。


「どうしましょう。多分、無理だと思うわ」

「こっちの世界もあっちの世界もどっちも人間なんすから、なんかはできるでしょうよ。じゃ、頼みましたよ」


 レオンは立ち上がり、食器を下げると洗い、自分の部屋へと戻った。今日は少し疲れたのと少し仕事が残っている。

 エマは困った顔を崩さずにレオンを見送り、


「どうしましょう。味噌もお醤油もおダシもないのに」

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