CHOCOの奇妙な冒険
紙月三角
第1話
バレンタイン。
かつては、女性から男性にチョコレートを送って愛の告白をする日、なんて言われていたが……。コンプライアンスの徹底された現代では、そんなものはすっかり廃れてしまった。
今や「女性から」「男性から」なんて縛りは極めて不適切であり、まして、贈りたくもない相手に対してチョコを送る「義理チョコ」なんてただのハラスメントだ。
今流のバレンタインといえば、誰にチョコを送ってもいいし、送らなくてもいい。自分で食べたって構わない。そんな、ゆるくて自由で、とても自然なイベントへと姿を変えて……。
いや。
それは、あくまでも一般的な通説だろう。
この世界には、そんな「普通のバレンタイン」を越えた特殊な物語があるということを、知る人はまだ少ない。
バレンタインのチョコレートには、不思議な力がある。
その日、誰もが愛する人からチョコレートをもらえるかもしれないと夢見て、浮足立つ。もしもそれを送られれば天にも昇るような気分になるだろうし、何とも思っていなかった相手からチョコをもらえただけでも、その人物のことを強く意識して恋に落ちてしまうことだって普通だ。
もはや、媚薬や魔法のようなものと言っても過言ではない。
そんなチョコレートの力を最大限まで引き出し、特殊能力として自由に行使できる者たちがいる。
人はその能力を――有名な異能力バトル漫画になぞらえて――
……………………………………………………
2月14日、午後2時。
「先輩……喜んでくれるかな……」
不安そうなパティに、ナツノは満面の笑顔で言う。
「絶対大丈夫だよっ! だって、パティが一生懸命選んだチョコだよ⁉ 喜んでくれるに決まってるよっ!」
「そうかな…………うん、そうだよねっ」
パティの手には、さっき駅ビルのスイーツショップで買ったチョコレートの袋がある。
彼女には、実は最近親しくしている学校の先輩がいて、このあと二人きりで会えるように待ち合わせをしている。持っているチョコは、そのときに彼に贈るために買ったものだ。
パティは今日、その先輩にチョコを贈り、そこで愛の告白をするつもりだった。
「ありがとうね、ナツノちゃん……」
涙を浮かべ、頬を紅潮させながら微笑むパティ。それは、「恋する少女」特有の、とても可愛らしい表情だ。
「ううん、私なんて何もしてないよ。ここまでこれたのは全部、パティが頑張ったからじゃん。だから、絶対うまくいく……おめでとう」
その言葉は、嘘じゃなかった。
ナツノはここまで、パティがどれだけ頑張ってきたのかを一番近くで見てきた。引っ込み思案で意気地なしだった彼女が、勇気を振り絞って先輩と待ち合わせの予定をいれた。そしてさっきも、あふれるほどの先輩への強い愛情を込めて、チョコレートを選んでいた。
だから、これから彼女が待ち合わせをしている先輩のもとにいったあと……先輩が、本当に本当に喜んでくれるだろうということ。そして、パティの気持ちに応えてくれるということは、チョコを火にかけたら溶けてしまうことよりも明らかなことだった。
しかし。
「えっ……」
そこで、大事に胸に抱えていたチョコの袋を、パティは地面に落としてしまった。それも、ウッカリや事故ではない。それだけ衝撃的な出来事があったからだ。
彼女の視線は、まっすぐに前に向けられている。
その先には、大勢の男性を引き連れているロングヘアーの少女。そして、その少女の足元で、犬の散歩のように四つんばいになっている一人の男性。
それは、パティが憧れていた先輩だった。
「あらぁ……?」
ショックな表情で先輩を見ているパティに、気づいたらしい。ロングヘアーの少女が、嘲笑混じりの表情で近づいてきた。
「もしかしてアナタ……この男の知り合い? でも、残念だけどもう彼はアナタのことなんか忘れて、すっかりワタシに夢中なのよねぇ。このワタシ……ショコラ・バーゼールの特製バレンタインチョコを、食べちゃったからねぇーっ! おーほっほっほっほーっ!」
残念な高笑いを浮かべる、ショコラと名乗った少女。そんな彼女の足元に四つんばいの先輩が近づき、彼女の靴をなめ始める。瞳には生気がなく虚ろで、意識もない。
「……」
その様子は、「チョコをもらった相手に夢中」というよりは……ほとんど「洗脳状態」や「催眠状態」に近いだろう。しかし、特別な魔力を持つとされるバレンタインチョコの媚薬効果があれば、それは当然のことだ。
つまりナツノたちの前に現れたショコラは、バレンタインチョコの効果を最大限に引き出すことができる者……スイーツ使いだったのだ。
「そ、そんな……そんな……」
憧れの先輩の情けない姿を見せつけられ、震えが止まらないパティ。そんな彼女を更に追い詰めるように、ショコラは、パティが落としたチョコに視線を送る。
「あらぁ……? もしかしてアナタ、そのチョコを贈ろうとしてたってことぉ? そんな、既成品の、安っぽいチョコを……ぷぷぷーっ」
それから、パチンと指を鳴らして合図を送った。
すると……。
「っ⁉ や、やめてっ!」
四つんばいになっていた先輩が突然立ち上がり、パティのチョコを袋ごと踏みつけ始めたのだ。
「ど、どうしてっ⁉ どうしてこんな酷いことをっ……!」
悲鳴のようなパティの叫び声。
「ちょ、ちょっとあんたっ⁉ やめなさい……っていうか、やめさせなさいよっ⁉」
ナツノも、なんとかその先輩を止めようとするが……運動部の先輩の力があまりにも強くて、何の抵抗にもならない。
結局、何度も何度も踏まれたことで完全にチョコが粉々になったところで、ようやくショコラはもう一度指を鳴らして、先輩の行動を止めた。
「あ、あああ……ああ……」
涙を流しながら、無残な姿になったチョコの破片を見ているパティ。
そんな彼女を見下しながら、ショコラは笑っている。
「彼も、そんな貧相なチョコは食べたくなかったことじゃなぁい? 良かったわねぇ? 憧れの相手に変なチョコを贈って傷つけられる前に、脈がないって分かってぇ。おーっほっほっほー!」
それから、彼女はもう興味をなくしたように、大勢の男たちを引き連れて、またどこかに向かって歩きだしてしまった。
「待ちなさいよっ!」
しかしそこで、彼女を引き止める声が響く。
それは、ナツノの声だった。
「……はぁ?」
そんな彼女を全く脅威に思っていないショコラは、変わらずの嘲笑で応える。
「このワタシを呼び止めるなんて、何のつもりぃ? スイーツ能力を持っていない、ただのザコのアンタごときが……」
「許さない……絶対に、許さないから! パティの純粋な想いを踏みにじった罪は、必ず償ってもらうからねっ!」
沸騰寸前のココアのように強烈な熱さの込もった瞳で、ナツノはショコラを睨みつけていた。
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