11-3 義人人形の叫び

 言葉に力を込めて、ヴァンサンは同じことを繰り返して言った。ヴァンサンの言うことも、少しは分かる気もするマルトであった。ダイアリーが機械の義人人形ではなく生身の人間だったら、今頃はもうマルトとダイアリーは恋人同士として結ばれていて、楽しい冬至節を迎えていたのだろうか。


 窓の外からは、ガルーベとタンブランの陽気な音色、そして人々が列を作って輪になったファランドウロを踊るさざめきが相変わらず聞こえてくる。お祭り気分が高揚すると、人は踊り出したくなるのだ。その衝動は止められないから、世界各地で何らかのお祭りが開催され、各地で色々な踊りがある。


 対照的に、黄色い家のアトリエは、足の悪い馭者と体調不良の義人人形のメイドと、二人の個性の強い画家の四人の間に緊張感が膨らみつつある。ヴァンサンの感情は激情となって昂ぶっていて、一時的に押さえ込んで冷静さを取り戻したように見えても、またいつ砲弾のように破裂するか分からない。


 マルトは、画家二名の仲間割れから話が脱線しつつある中で、脱出できる隙を探そうとしていた。もしかしたらポールを言いくるめて味方に付けて、ヴァンサンを取り押さえることができるかもしれない。と、心中で策を巡らせていた。


「マルトご主人さま、あんた、上手い絵と下手な絵の違いは分かるかい?」


 話題はあさっての方向へと、石炭を入れすぎた蒸気機関車のように爆走しているが、なるべく話を引き延ばす中で隙を見いださなければならない。自分の手を椅子の後ろで縛っている縄を解くことができないかどうか、手に力を込めて擦ったり捻ったりしている。少しずつではあるが、緩んできているような気もする。


「上手い絵っていうのは、やっぱり、人物画だったらその人の特徴をしっかり捉えて、そっくりに描いた絵じゃないですかね。僕の肖像画を描いたつもりなのにダイアリーに似ていたら、それは描いた人が下手という評価になってしまうんじゃないかな、と思います」


「まあ予想通りの答えだ。素人の認識としてはそれで正解だよ。素人の世界でなら、どれだけ写実的に描けるかどうかが、絵の上手い下手の基準になる。写実的な絵を描くことができればできるほど上手い、という評価になる。それは間違いではない。絵画史的な観点からいえば、そのための技法として遠近法などといった手法も生み出されたわけだ。だがな、近代になってカメラが発明されて、絵画芸術の流れも大きく変わったのだ。写実的な絵というのは、いくら追求しても、そこにある物をそのままそっくり写実的に描く、以外のことができないので、限界があるのだよ自ずと。どんなに上手に写実的な絵を描いても、それだったら写真でいいじゃないか、となってしまう。そう思わないかね?」


「た、確かに写真があれば人間がわざわざ苦労して描かなくてもいいですよね」


 ヴァンサンの論は、マルトにも部分的には納得できた。


「でも写真だと、構図のようなものは正確に再現できるでしょうけど、色彩に関しては難しいですよね。どうしてもあんな茶色い色合いになってしまって、色鮮やかな世界を正確に再現できているとは言いがたいです」


「今のカメラの技術では、ああいうセピア色のモノクローム写真しか写せない。だが、蒸気機関が発達して義人人形なんてものが生み出されたように、技術革新というのはどんどん日々発展して伸長していくものだ。いつの日か必ず、画家が描く絵のような鮮やかな色彩を再現できるカメラも生み出されるようになる。そうなった時に、機械ではない生身の人間の画家は何を描けば良いと思うかね?」


「それは……」


 答えに窮する。素人にとって絵の上手い下手は写実的に描けるかどうかがほとんど全てといえる。写実的なことが否定されたら、どうすれば良いのか。


「今の、芸術の都ルテティアの画壇においては、絵というのは、写実性を追求していないのだ。写実的でなくてもいいから、どう表現するか、に主眼が置かれているのだ。これならば、カメラには真似のできない、生きた生身の人間の画家が描いた絵に価値が出てくるというものだ。あくまでも人間が描く絵だからこそ尊いのだ」


「分かるような、分からないような。同じ絵だったら、誰が描いたか機械が描いたかなんて、大した重要でない気もしますけど」


「逆に言えば、カメラが撮った写真はあくまでも、そこにあるものをそのまま切り取って写しただけのものでしかない。機械が描いた絵画は価値が無い、ということになったのだ。それがルテティアの画壇の判断だ。そう。私の描いた絵は完全否定されてしまったのだよ。こんな笑える話があるかね」


「え、それって、どういう」


「この私、ヴァンサンは、生身の人間ではなく、義人人形だから機械なのだよ」


 驚きの悲鳴をあげたのは、自身も義人人形であるダイアリーだった。


「義人人形って、わたくしのようなメイドしか存在しないのではありませんか」


 一瞬だけ、その場の四人が沈黙した。屋外のファランドウロの賑わいがある分、かえって室内の静寂が引き立った。


「かつて、物好きなドヴェルグ族のカリエールという工人が、一体だけ気まぐれで製造した男の義人人形。それが私なのだよ」


 ヴァンサンは笑った。自虐の含有率が高い笑みだ。


「だがな、いざ作られてみると、見た目が女ではないから、誰からも好まれない。機械であるのに、なまじ自我があるので扱いにくいということで、ダム王国の教会の聖職者の家に養子に出された。養子といっても、私の見た目と同じくらいの若い夫婦の養子だ。そこでヴァンサンという名前をもらった」


 男の義人人形が存在していた。マルトにとっては全くの予想外の事実だった。ただ口をぽかんと開けてヴァンサンの話を聞くばかりだ。


「実は、夫婦の間に最初にできた男の子は、生まれてすぐに亡くなったという。その子がヴァンサンという名前だったそうだ。私はそのヴァンサンの名前を引き継いだというわけさ。二番目以降の子どもは存命だった。義人人形の私に弟や妹や両親がいるのは、そういうわけだ。その後私は、父親の後に続く形で教会に入り、十字架護持者になった。だが、神の教えだけでは光を受け取ることができない人々がいるという現実を目の当たりにした。それで、そういう人々にも光を届けるには絵しか無いと思い画家を志すようになったのだ。最初のうちは試行錯誤だったので、純粋に絵が未熟だったから認められなかったのだろう。そこは、悔しいけれども私も自認している。だが私は、ここダルレスの街に来て、多くの着想と題材を得て、良き絵を描けるようになった。ポールが来たことによって大きな刺激を受けて、更に絵に磨きがかかったのも事実だ。だが評価に値する良い絵が描けるようになると、私が義人人形であるという問題が表出してきた。機械が描いた絵は写真と同じであり、人間の描いた『生きた』絵とは区別するべきだ、と、即ち、私が義人人形であることそのものが原罪なのだ。私が義人人形である限り、どんなに努力してもいかなる傑作が制作できたとしても、私の絵は評価されることは無いのだよ。こんな悲しい、こんな虚しいことがあるかね?」


「そ、その、僕は画家ではないから画家の気持ちは分からないのかもしれませんが、宗教ですら救うことができない恵まれない庶民に光を届けたい、と言っていましたよね。だったら、絵が売れるかどうかは関係ないのではありませんか?」


「承認欲求だけで言っているのではないのだ。絵というのは、良い絵を描いたとしても、人の目に届かなければ意味が無いのだ。その辺の無名の素人が描いた絵を注目して見る者がいると思うかね。注目を集めて人に見てもらうことが始まりなのだ。また、現実的な問題として、画家として活動を続けて行くにもお金がかかるのだ。この黄色い家の家賃も払わなければならない。絵を描くための絵筆や絵具といった画材も廉価なものではないのだ。いつまでも弟のテオに経済的支援を受けっぱなしというわけにもいくまい。弟も結婚して家庭を持ったばかりなので、できれば負担を軽くしたいという思いはある」


 ダイアリーの傍らに立つポールは、既にヴァンサンの事情を知っているのか、静かに佇むばかりだ。


「私はもう義人人形ではいたくない。仮に水と石炭さえ補給し続ければ故障することはあっても修理すればずっと生き続けられるとしても、義人人形でいたくない。老いの宿命からは逃れられない限られた命の生身の人間であっても、私は人間になりたいのだ。そうすれば、自分の絵で初めて勝負できるのだ」


 人間か義人人形か以前に芸術家として、切実な叫びであった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る