6-4 役立たずのメイド

 昼過ぎになった。雲雀が鳴いているのが開け放っている窓から聞こえる。蝉も鳴いていて元気だ。だがダイアリーは元気を取り戻すことはできなかった。


「申し訳ございません。もうわたくしは、メイドとしてご主人さまのためにお役に立てる目処は無いようでございます。このままではわたくしは、単なる足手まといの邪魔者です。海洋投棄処分を命じてくだされば、わたくしは海へ行ってこの身を沈めて自ら処分いたします」


「何を言っているんだ。そんな命令、するわけないだろう」


「メイドとしてお役に立てなくなった以上、わたくしの存在意義はございません」


「そんな悲しいことを言わないでくれよ、ダイアリー」


 存在意義を論じれば、果たして生身の人間であっても、「存在価値のある人物」がどれくらい居るのだろうか。歌を失った吟遊詩人など、存在する意味はあるのか。


「わたくしども義人人形は、ご存知のことかとは思いますが、叡王国で開発されました。元々蒸気機関の実用化においては最先端である叡王国にて人間のメイドの裏切りに懲りた貴族が、絶対に裏切らないロボットメイドを欲したというのがきっかけです。そういう経緯ですので、わたくしども義人人形はご主人さまに逆らうようなことはありません。もし何らかの不測の事態により、ご主人さまにご迷惑をおかけしてしまうような状況になった時は、緊急停止機能がございます。ご主人さまが緊急停止をお命じになれば、わたくしども義人人形は周囲の安全を確認した上でですが、蒸気の圧力を放出し、燃料の停止を以て、全ての機能を停止します。ですが、この場合、わたくしの体はこの場に残ってしまいます。単に使えなくなったボイラーの後始末をご主人さまい負担させてしまうのは申し訳ないということで、海洋投棄処分という方法があります。自分の残骸も自分で海に捨てて処分することで、ご主人さまのお手を煩わせることはありません。人間に譬えるならば、海へ投身自決をして他者に後始末の迷惑をかけないようにする、といったところでしょうか」


 マルトは腕組みして、ダイアリーの言葉を途中で遮ることなく聞いた。


「ダイアリー。君は、『自分はもう主人の役に立つことができなさそうだから処分してくれ』と言っているんだよね」


 ダイアリーは深く頷いた。その両目の睫毛に水滴が付着しているようにマルトには見えた。あれは彼女の涙なのだろうか。それとも、単に圧力調整のために吐き出した蒸気が外気に冷やされて水滴になっただけなのか。


「一つ。今の君が主人である僕にとって役に立つか立たないかは、僕が判断することだと思うんだ。君はもう役に立たない、と決めつけるのは早計じゃないかな。役に立つか立たないかの判断は、まだ保留ということだ」


「……仰る通りでございます。緊急停止や海洋投棄を決定する権限は、ご主人さまにございます」


「さらにもう一つ。主人である僕が、ダイアリーのことを仮に役に立つ立たないを判断したとする。でもそれって、僕の判断であって、君自身の意思じゃない。君自身はどうしたいんだ? 海へ投身自決をしたいのか。それとも、まだ生き続けたいのか」


「それはわたくし自身の意思で決定することではなく、ご主人さまのご命令で決めることですので」


「ダイアリー自身がどうしたいのかを、今、僕は聞いているんだよ」


「わたくしはご主人さまの義人人形ですので、ご主人さまの意向に従いたいと考えております。わたくし自身の意思ではなく、ご主人さまの意思次第です」


 マルトはダイアリーと出会った日のことを思い出していた。あれはまだ冬が残っている風月 (ヴァントーズ) のことだった。数日後には、数年に一度という大寒波に見舞われて大雪が降って就職活動開始も遅れて大変だったことを今更ながらに懐かしく感じる。


「ダイアリーと僕が初めて出会った時に君は言っていた。『自分はメイドなので誰かご主人さまにお仕えしたいという根元的な願望のようなものがある』って。それってつまり、君自身の意思だよね。ダイアリーにはちゃんと自分の意思があるんだよ」


 ダイアリーは驚いた表情をした。表情で表現できること自体、義人人形というものの性能の優秀さである。


「わたくしに、自分の意思がある。……そのような概念自体考えたこともありませんでした」


「僕のためにベッドを買いたいとか、カルドロン風呂を買ったとかだって、君の意思だろうし」


 ダイアリーは大きく目を見開いている。生身の人間も、人体の持つ機能について全てを知り尽くしているわけではないのと同様に、義人人形も、義人人形の持つ機能の全てを知り尽くしているわけではないのだ。


「極端な例を言えば、今、この瞬間に僕が死んでしまったら、その後、ダイアリーはどうしたい? お葬式をあげるとかそういう話じゃなくて、その後のことだ。僕に殉じて後追い自決でもするかい。それとも、僕ではない誰かを新たな主人と定めて、その人にお仕えするかい?」


 ダイアリーは返事をしなかった。できなかった。考えが迷っているのだ。


「意地悪なことを聞いちゃったね。答えなくてもいいよ」


「いえ、これは、わたくし自身、しっかりと考えて答えを出さなければならない状況に直面しているのだと判断します。あらかじめ、ご主人さまの意向があったならば、後追い自決もいたしましょう。しかし、明確な意思表示が無かった場合は、わたくしは他のご主人さまを探してお仕えするべきなのだと考えます。とはいえ、現状のわたくしの機能不全の状態では、新たなご主人さまを探すこと自体難しいのが現実だとは思われます」


 マルトは満足げに頷いた。


「実のところね、さっきは判断保留と言ったけど、実際にはもう心は決まっているんだ。僕は、ダイアリーが役に立つとか立たないとか、どうでもいいんだ。役に立たないから海に身投げして自決しろとか、そういうことじゃないんだ。ダイアリーと半年くらい一緒に過ごしてきて、君と一緒にいることが何よりも尊いことなんだと気付いた。でも、ダイアリーにとっては、『ご主人さまの役に立ちたい』という気持ちも、メイドとして根元的なもので、君にとっては大切な気持ちなのだろうから、それもちゃんと尊重したいんだ。だから、『役に立つとか立たないとか、そういうことじゃないんだよ』と、否定したくないんだよ」


「ご主人さまが、わたくしのことをとても大事にしてくださっている、というのは重々理解しております。大変ありがたく存じます」


「うん。僕は今回の山火事で、ダイアリーを失うかもしれないと思った。そして自分自身の気持ちに気付いたんだ。僕は……元吟遊詩人の馭者マルトはダイアリーを愛しているんだよ。だから君の主人として命令する」


「はい。何でしょう」



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