きみに送る最期の言葉

よし ひろし

きみに送る最期の言葉

 この世界にの存在などあるのだろうか。


 目に映る木も草も花も、先ほどから周りを飛び回る小さな虫にも、みな名前があるのだろう。

 空に浮かぶ雲にも様々な呼び名がつけられ、目には見えないこの空気、この中に含まれる原子たちにも名前がついている。


 では、いま感じている僕のこの気持ちは、なんという名前なのだろう。

 きみに対するこの想い――

 いくつもの色の絵の具を混ぜわせた結果、真っ黒になってしまうように、いくつもの感情が混じり合い、どす黒くくすんでしまった僕の想い。その名前は何というのだろう?



 きみと初めて出会ったのは、もう十年も前。まだ十二歳だったきみは、純粋でキラキラ輝いていたね。親の再婚で突然できた血の繋がらない妹――七つも年上の僕は、すごく戸惑ってしまったこと今でも覚えているよ。

 に言うと、初めて出会ったあの時、僕は少し迷惑に思っていたよ。当然だろう、男二人の家に、いきなり母親と妹の女二人が入り込んできたのだから。家を出ようとも考えたさ。でも、そんなことをしたらきみたち母子が自分たちが追い出したと心を痛めるのでは、と考え直した。


 出会いから三年、あの事故が起きて僕らは二人だけの家族になってしまったね。

 あの時、僕は誓ったのさ、きみのために生きるって。


 そして七年、きみだけを見つめ生きてきた。少女から大人の女性へと変貌していくきみの姿を一番身近で見つめてきた。

 愛おしい――家族に対するものか、異性に対するものか、自分でもわからない想い。ただ愛おしい、そう想い続けてきた。

 

きみが恋を知るまでは。


 きみに好きな人ができたことはすぐにわかったよ。だっていつも傍で見ていたのだから。

 その時生じた昏い想い。僕の心に生じた黒い翳。

 きみの好きな相手を調べてしまったのは当然じゃないか。そして知る、そいつが屑だと。きみの為にならないと。


 だから、取り除いたよ、きみの前から。


 しばらく落ち込んでいたね、好きな人の姿が消えて。でも、すぐに立ち直り、また次の恋をした。

 でも、またゴミだ。ろくでもない男だったね。

 きみは純粋すぎるから、すぐに騙されてしまう。


 仕方がない、また害虫を駆除しておいたよ。


 三度目の正直――そう言うけど、きみが本当に幸せになれそうな相手と巡り合ったのはその倍の六度目の恋だったね。

 おかげで僕は、五匹も毒虫を始末する羽目になったよ。

 その努力のかいもあって、きみは真の運命の相手に出会ったね。


 そして、きみは無事結婚をし、家を出た。新しい家族の元へと旅立った。


 結婚式の前日、家での最後の別れ。きみは僕を抱きしめ、こういってくれた。

「世界で一番好きだよ、兄さん」

 僕はきみを抱きしめ返すのを堪えるのに必死だったよ。だって、きみの体を強く抱いてしまったら、僕はしてしまうかもしれない、きみを愛していると、一人の女性として誰よりも愛しいと。

 その言葉を聞けば、きみは結婚を取りやめ、僕の元に残ってしまう。きみは優しいから。

 だから僕はきみの体をそっと離し、

「幸せになるんだ、それが僕の一番の望みだよ」

 その言葉をどうにか捻り出したよ。

 本当に必死だったよ。きみをこのまま僕のものにしたいという欲望を押さえるのに。


 この時、僕は気づいてしまった。

 最後にもう一匹、害虫を駆除しなければいけないことに――



 ああ、見えてきた、穴の入口が。

 きみともキャンプに来たことのあるこの山――そこに深い深い洞穴があるんだ。危険だから地元の人も入らない、中は迷路のようになっている、そんな穴さ。

 僕はそこに今まで駆除してきた虫たちを捨てておいたんだ。

 そして今、最後の虫を捨てに行くよ。


 きみの幸せを壊しかねない最悪な害虫――僕自身をこれから始末しに行く。


 僕がいなくなってきみは困惑するだろうね。一応置手紙はしてきたよ、少し海外をぶらついてくると。それらしい工作もしておいた。純粋なきみはきっと信じてくれるだろう。

 

 ああ、ここだ。ほら、骨が散らばっている。

 さあ、薬を飲もうか。こいつらを始末した時にも使った毒薬を。


 ゴクリ――


 死が近づく。

 浮かぶ最期の言葉。今まで言葉にできなかった僕の想い。


 愛している、この世界でただ一人、きみだけを……


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