漫才を見ていると痛感するのだけれど、理想の小説というのは、漫才ネタに近いものなのではないだろうか。漫才はよく「つかみ」からはじまる。そこで観客の笑いを誘い、舞台の方へと視線を引きつけてから、本題へと入る。そして十数秒のうちに、どんな設定でネタをするのかということを提示する。


 これは、論文のアブストラクトも同じだ。論文を読む、読まないという判断は、タイトルの下に付されたアブストラクト――要約によって決めるというのは、よく言われる。研究の背景、分析する問いの内容、研究手法、そして結果をあらかじめ書いてしまう。


 おそらく、自作を読んでもらう上で重要なのは、「この小説はこういうものだ」ということを、すぐに提示することなのかもしれない。


 ――というようなことを考えながら、投稿サイトに掲載する予定の掌篇小説を書いている。外はもう、明け方というにふさわしい色合いをしている。今日はどうやら、寒々しい快晴の日になるのかもしれない。凍えるような空気は大海のような様相をして、わたしの住むアパートや窓の向こうの大学寮を、まるで孤島のように感じさせている。


 わたしの境遇も、孤島と言えるであろう――いくつかの島とだけ連絡している孤島。そして、自分のするべきことのために必要ではないひとの姿が見えない、孤島。


     *     *     *


 鹿野唯しかのゆいと作業通話をする頻度は、彼女の仕事が忙しくなり、わたしも創作に打ち込むようになってから、さらに増えていった。平日の夜も、くたくたになった身体に鞭打ち、眠ってしまわないように、あれこれ話しながら作業をした。


「投稿サイトでコンテストが開催されていて、そこに応募する小説を書いているんだけど、かなり苦労していてね。たくさんの優れた書き手の人たちを見てきているから、その人たちを凌駕りょうがする傑作を生まないといけない」

『当たり前でしょ。もっと苦しみな』

「もちろん、そのつもり」


『洋ちゃん、よく覚悟を決めたなって思う。《嫌ってもらっても構わない》なんて、なかなか考えられるものじゃないから。嫌われるってことは、悪意を持たれることと同義だからね。でも、あーしも同じスタンスでいるよ。ひとに好かれるために〈道化〉のようなことをしたり、〈互恵〉のような関係を維持するために〈贈与〉や〈交換〉をしたりするのは、はっきり言って時間の無駄だからね』


 鹿野はさらりと言う。わたしのした決意というのは、彼女にとっては、もうすでに自明のこととなっているのである。


『荻山唯のアカウントを消したのも、いいよね。提案したのはあーしだけど、よく考えたら、そういうのを運営する時間も削減した方がいい』

「代わりに、宣伝のためだけのアカウントを作ったよ。SNS経由でわたしの作品を知ってくれるひとは、いるにはいるだろうし……というか、この前イベントに出たときに、隣のサークルの人のところへ、という方がいるのを見ていたから。だけど、宣伝のときにしかログインしてない」

『正解』

「でしょ?」


 わたしたちは、今日一の声量で笑った。自分の覚悟が決まってからというもの、気持ちはすっと軽くなり、するべきことはなにかということも整理された。


『投稿サイトに小説を掲載し続けても、プロに読んでもらえる可能性なんて低いから、出版社の文学賞に応募するべきだけど、コンテストとかはいいよね。プロの審査員の方に読んでいただけるし、受賞をすればやる気になるだろうし』

「それに、受賞作をきっかけにして、自分の作品にアクセスしてくれる人もいるだろうし」


『洋ちゃんがむかしから言ってた、自分の小説に触れてもらえるを増やすという実践のひとつだよね。いろんなイベントにでたり、そして、いろんな場所に足を運んだり。もしかしたら、そうした活動が、大きな成功を収めるになるかもしれない』

「だけどそのためには、死に物狂いで努力しないと」

『正解』


 わたしたちは、さっきより長く笑った。思えば、鹿野とわたしが考え方において一致する点がここまで多いのは、初めてのことだ。


 しかしそれでいいのだろうか、という気持ちも生じてくる。鹿野と自分を同一化していくというのは、依存度を深めていくということでもある。わたしは、鹿野とは違う哲学を持たなければならないのではないか。では、その哲学というのは?――いまはまったく、思いつかない。


『あーしはね、自分のしたいこと、しなければならないことに、生半可な気持ちじゃなくて、全力で取り組んでいるひとにしか興味がないし、交友を持たないって決めているし……だから、洋ちゃんがこのまま頽落たいらくしていくのなら、ばっさり関係を切ろうと思っていたくらい』

「いつの間にか、試されていたわけだ」


『作業通話の相手というメリットがあったけど、中途半端に物事に接している人のそばにいると、自分の手がなまるような気がするんだよね。反対に、ひとつのことに打ち込んでいる人が近くにいると、とても刺激になる。わたしがいま仲よくしている同業者の人って、みんな本気で仕事をしてる』

「むかしからの友人たちは?」


『もう連絡先一覧のなかに、ひとりしかいない。洋ちゃんだけ。あとはみんな消した。すっかり連絡を取らなくなった人は、今後も電話もメールもしないだろうし、遊びとか飲み会とかに誘われても、どうせ行かないし。自分の仕事に一生懸命な人もなかにはいるんだろうけど、いまのわたしには必要ない存在かなって』


 鹿野はためらいなく言い切る。しかしわたしは、おそらく、そこまでラディカルなスタンスにまで行き着かないと思う。というのも、親友と呼べる存在――小学生のときからの親友たちとの関係を断絶することに、躊躇ためらいがあるから。彼らとの交遊は、たとえ自分の使命に関与しないとしても、必要なものだと考えているから。


 そして気付く。きっとここに、鹿野とわたしの、分かり合えない「違い」があるのだと。わたしだけの「哲学」の体系があるのだと。

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