五
漫才を見ていると痛感するのだけれど、理想の小説というのは、漫才ネタに近いものなのではないだろうか。漫才はよく「つかみ」からはじまる。そこで観客の笑いを誘い、舞台の方へと視線を引きつけてから、本題へと入る。そして十数秒のうちに、どんな設定でネタをするのかということを提示する。
これは、論文のアブストラクトも同じだ。論文を読む、読まないという判断は、タイトルの下に付されたアブストラクト――要約によって決めるというのは、よく言われる。研究の背景、分析する問いの内容、研究手法、そして結果をあらかじめ書いてしまう。
おそらく、自作を読んでもらう上で重要なのは、「この小説はこういうものだ」ということを、すぐに提示することなのかもしれない。
――というようなことを考えながら、投稿サイトに掲載する予定の掌篇小説を書いている。外はもう、明け方というにふさわしい色合いをしている。今日はどうやら、寒々しい快晴の日になるのかもしれない。凍えるような空気は大海のような様相をして、わたしの住むアパートや窓の向こうの大学寮を、まるで孤島のように感じさせている。
わたしの境遇も、孤島と言えるであろう――いくつかの島とだけ連絡している孤島。そして、自分のするべきことのために必要ではないひとの姿が見えない、孤島。
* * *
「投稿サイトでコンテストが開催されていて、そこに応募する小説を書いているんだけど、かなり苦労していてね。たくさんの優れた書き手の人たちを見てきているから、その人たちを
『当たり前でしょ。もっと苦しみな』
「もちろん、そのつもり」
『洋ちゃん、よく覚悟を決めたなって思う。《嫌ってもらっても構わない》なんて、なかなか考えられるものじゃないから。嫌われるってことは、悪意を持たれることと同義だからね。でも、あーしも同じスタンスでいるよ。ひとに好かれるために〈道化〉のようなことをしたり、〈互恵〉のような関係を維持するために〈贈与〉や〈交換〉をしたりするのは、はっきり言って時間の無駄だからね』
鹿野はさらりと言う。わたしのした決意というのは、彼女にとっては、もうすでに自明のこととなっているのである。
『荻山唯のアカウントを消したのも、いいよね。提案したのはあーしだけど、よく考えたら、そういうのを運営する時間も削減した方がいい』
「代わりに、宣伝のためだけのアカウントを作ったよ。SNS経由でわたしの作品を知ってくれるひとは、いるにはいるだろうし……というか、この前イベントに出たときに、隣のサークルの人のところへ、SNSで存在を知って来たという方がいるのを見ていたから。だけど、宣伝のときにしかログインしてない」
『正解』
「でしょ?」
わたしたちは、今日一の声量で笑った。自分の覚悟が決まってからというもの、気持ちはすっと軽くなり、するべきことはなにかということも整理された。
『投稿サイトに小説を掲載し続けても、プロに読んでもらえる可能性なんて低いから、出版社の文学賞に応募するべきだけど、コンテストとかはいいよね。プロの審査員の方に読んでいただけるし、受賞をすればやる気になるだろうし』
「それに、受賞作をきっかけにして、自分の作品にアクセスしてくれる人もいるだろうし」
『洋ちゃんがむかしから言ってた、自分の小説に触れてもらえる回路を増やすという実践のひとつだよね。いろんなイベントにでたり、そして、いろんな場所に足を運んだり。もしかしたら、そうした活動が、大きな成功を収めるきっかけになるかもしれない』
「だけどそのためには、死に物狂いで努力しないと」
『正解』
わたしたちは、さっきより長く笑った。思えば、鹿野とわたしが考え方において一致する点がここまで多いのは、初めてのことだ。
しかしそれでいいのだろうか、という気持ちも生じてくる。鹿野と自分を同一化していくというのは、依存度を深めていくということでもある。わたしは、鹿野とは違う哲学を持たなければならないのではないか。では、その哲学というのは?――いまはまったく、思いつかない。
『あーしはね、自分のしたいこと、しなければならないことに、生半可な気持ちじゃなくて、全力で取り組んでいるひとにしか興味がないし、交友を持たないって決めているし……だから、洋ちゃんがこのまま
「いつの間にか、試されていたわけだ」
『作業通話の相手というメリットがあったけど、中途半端に物事に接している人の
「むかしからの友人たちは?」
『もう連絡先一覧のなかに、ひとりしかいない。洋ちゃんだけ。あとはみんな消した。すっかり連絡を取らなくなった人は、今後も電話もメールもしないだろうし、遊びとか飲み会とかに誘われても、どうせ行かないし。自分の仕事に一生懸命な人もなかにはいるんだろうけど、いまのわたしには必要ない存在かなって』
鹿野はためらいなく言い切る。しかしわたしは、おそらく、そこまでラディカルなスタンスにまで行き着かないと思う。というのも、親友と呼べる存在――小学生のときからの親友たちとの関係を断絶することに、
そして気付く。きっとここに、鹿野とわたしの、分かり合えない「違い」があるのだと。わたしだけの「哲学」の体系があるのだと。
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