鏡(後編)
@ku-ro-usagi
後編
一瞬で猫みたいに産毛が総立ちして
ぐらりと視界が揺れた途端に
鏡はもう普通の鏡としての役割を果たしていた
自分でも大丈夫かってくらい心臓が早鐘打ってて
部屋にいるMさんにも聞こえるんじゃないかってくらい
ドッドッドッドッとうるさかったけど
とにかく
スーツケースをこれ以上弄られないためにも
私は声を出すしかなかった
「あれー?メイク落とし忘れちゃったかもー?」
と声を出してから
まずユニットバスの中を見回すふりをしてから
部屋を出た
Mさんは明らかに慌てた顔してた
してたならね
まだよかった
まだね
ましなだけだけど
でも
Mさんは平然とした顔でベッドに腰掛けてた
それで色々察した
「あ、これ普通に手慣れてるやつだ」
販売の仕事初めてから知ったんだけど
一番タチの悪い窃盗犯って
平然としてるのね
罪悪感もないしスリルのためでもないから
息するように盗る
例えば
常連面かましながら
例えば
こうやって仲のいい友人を装いながらね
そのどうしようもないクソみたいな悪癖が
今日の3日目だったのは
様子を見てたんだと思う
荷物から目を離す時間
入浴にかかる時間
多分睡眠の深さなんかも
私は眠りが浅くて深い時でも結構起きてしまう
そうだ
Mさんは昨夜
不自然な咳払いと
「起きてる?」
と声を掛けてきたな
「どうしました?」
と返したら
「ごめんね、眠れなくて」
って返ってきたけど
ごめんはこっちだね
「嘘よ!まさかMさんが……!見間違えよ、きっと……!!」
なんて悲劇のヒロイン気取ることもできず
葛藤すらできなくて申し訳ない
むしろ
「Mさんだったんだ」
ってことが分かった
5ヶ月位前から
内部犯と思われる物販品の窃盗が起きてて
2ヶ月前からは
職員の持ち物に窃盗がシフトしてたんだよ
あぁ勿論
そんなに派手にじゃないよ
本人ですら気づかないような勘違いするような物
だけど
意識して周囲に耳を澄ませてると
「ない、トイレに置いて来ちゃったのかな」
「あれ?無くしちゃったかも」
「確かに財布に500円玉あったんだけどな、見間違いかな」
気のせい、失くした、落としたを含めると
決して少なくない
むしろ
明らかに多い
ちなみに最後の500円玉は私
休憩中の飲み物用の小銭入れに確かに入ってたはずなんだけどね
たまたまお釣りでもらった、実はレアな500円玉でさ
売れば高くなるかもなんて思ってたんだよ
思い出したら腹立ってきたな
その500円玉を無くしてからだ
少し意識して人の話や言葉に耳を傾けてたんだ
そしたら
「ない」
って単語が
やたら多くてさ
商品が狙いにくくなったから
私物にシフトしたんだろうね
「手癖悪いのいるなぁ」
なんて呑気に構えてた私
灯台もと暗し
笑える程馬鹿だよね、私
窃盗犯と海外旅行
しかもかなり手慣れて悪質な常習犯
金額じゃないんだよ
こういう人間はまた河岸を変えて続けるだけ
知ってる
両手失くしたら今度は足の指でやるんだ
まさに生き様だね、最低の
残りの3日は疲れた
鏡見るたびに疲れた自分が涙を流していたり
ただ俯いていた
自分の持ち物は守るけれども警戒し過ぎると怪しまれる
気付かれない作り笑いしながらはしゃいでさ
そしたら
とうとう
今までは一度も見た事がなかった
観光地のトイレの手洗い場の鏡の自分が
「気を付けろ」
とまで口パクで教えてくれる有り様だった
私があまりに隙を見せないものだから
Mさんは少しイライラしていた
勿論イライラを表に出すようなことはなかったけれど
ごくたまにバス移動で爪を噛んでいた
そして
私の代わりに他のツアー客に積極的に絡んでいくことが増えた
正直そうなるともうお手上げ
海外だし
自分の持ち物は自分で守ってください
むしろターゲットが自分から外れて喜ぶべきなのか
でも
最後の最後でやられたよ
帰りの飛行機
どうしようもなく疲れて熟睡していた時に
胸ポケットに一瞬だけ差していたボールペン
ふと目が覚めてトイレ行って鏡見たらなかった
もう
トイレの鏡の私は何も言わなかった
ただ疲れた顔の私だった
元々異動がある仕事だけれど
Mさんは異動の時期の度に積極的に異動させてくれと働きかけるタイプだった
私も同時期に異動になり
新しい職場で
パートだけれど私より遥かにベテランの先輩と
まだ入社したばかりの後輩君と同じ部署に配属された
少し打ち解けた頃
先輩に
Mさんの事を知っているかと聞いてみると
「知ってるわよ、お仕事できるし気も利くしいい子だった」
と返ってくる
そう
Mさんの評価は大体そうなんだ
間違っていない
表面的には何も
私は
「そうですか」
とそのまま流そうと思ったけれど
にこりと微笑んだままの先輩の
胸ポケットに差し込まれたボールペンに
ふと視線が留まった
私は
小さく息を吸い込んでから
「こちらでは、内部犯の窃盗などは深刻ではないですか?」
と聞いてみた
先輩は
ちらと眉を上げてから
少し、でもなく私の顔をじっと見つめてきた
私が目を逸らさずにいると
「……そうね」
溜め息と共に
「今は、派手には聞かないわ」
とかぶりを振りながら
素の声は案外低いことを教えてくれた
そう
安物だったけれど
本当はあのボールペン、気に入ってた
廃盤になっちゃっててね
もう手に入らない
ならば
せめて
手に入れたものは
それで満足しないで
最後まで使ってくれていればいいけど
人のものを盗む様な人間の心理なんて
解らないからね
解りたくもないし
知りたくもない
鏡(後編) @ku-ro-usagi
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