第十一章 友達のために

第四十二話

 翌日、いつも遊びに行く時間にお恵は出かけた。怪しまれないようにするためだ。長屋の人にも見られてはならない。止められるのがわかっているからだ。

 お恵はこっそりと家を出た。が、この長屋には恐ろしく間の悪い男がいる。

「やあお恵ちゃん、お出かけかい?」

 見つかったのが三郎太だったのは不幸中の幸いだ、これが悠や栄吉だと無駄に勘が鋭い、とお恵は心の中で喜んだ。三郎太にちょっと悪い気もしたが。

「うん。ちょっと徳屋さんに」

「おっと、松太郎か。聞かなかったことにしとくぜ」

「うん、そうして。いってきまーす」

 ところが三郎太はそんなに甘くない。実は誰よりも気が付く男だというのをお恵は知らないのだ。

「おかしいな。いつもなら『松太郎か』って言えば『そんなんじゃないもん』って慌てて否定するのにな……」

 お恵はいつもどおり徳屋の前を通る。チラリと松太郎を見て行きたいのだ。それが乙女心というものである。

「お恵さん、こんにちは。お出かけですか」

 今日の松太郎はお店に出ているのでお客様用の声掛けである。

「うん」

 そのとき松太郎がすっと寄って来た。

「甚六さんのところじゃないでしょうね」

「甚六さんのところよ。でも甚六さんていうより午ちゃんたちのところに遊びに行くの。だから大丈夫よ」

「くれぐれもおかしな真似はしないように。調べるのは親分さんたちの仕事ですからね」

「わかってる。じゃ、お仕事頑張ってね」

 実は何もわかっていない。ということを自分で分かっている。なにしろ親分さんたちより先に甚六さんたちの無実を確かめに行きたいのだから。

 バタバタしている間に時は流れ、既に皐月である。街道の両側の山にポツンポツンとある梨や林檎が花をつけている。初めて甚六さんちに行った時はまだ山桜が咲いていた。季節が駆け足で過ぎていく。もうすぐ曼陀羅華まんだらけが蕾をつけるのだろう。

 もし、もしも甚六さんが鳴海屋の悪事を知っていて加担していたのなら、午ちゃんたちはどうなってしまうのだろう。

 そんなことをぼんやり考えながら歩いているうちに楢岡の一本松まで来てしまった。ここまで来たら行くしかない。しかも今日は単に遊びに来たのではないか、ためらう要素などどこにもないはずだ。

「こんにちはー」

 誰の返事もない。きっとみんなでケシ畑の方に行っているに違いない。お恵は奥の方に入って行ってもう一度呼んでみた。

「こんにちはー!」

「あっ、お恵ちゃんだ!」

「お師匠様いらっしゃい」

「お恵ちゃん、こっちこっち」

 未だに一番上の卯一郎だけがお恵のことを律義にお師匠様と呼ぶ。

「ごめんね、今日は薬草に咲くお花が見たくて来たの。ケシが綺麗だったから他にも綺麗なお花があるんじゃないかと思って」

「だけど今日は誰も手が離せないんだ。午のヤツが一番忙しいから案内もさせられない」

「うん、わかってる。今は収穫の最盛期でしょ。だからあたし勝手に見て行くからほっといていいよ。見てっていいかな」

「おいらが案内するよ。おいらまだまともな仕事させて貰えないし。その代わり呼ばれたらすぐに行かなきゃならないけどいい?」

 一丁前に一番下の酉五郎が案内を申し出た。

「酉ちゃんが案内してくれるなら午ちゃんとまた違った解説が聞けるかもしれないからお願いするわね」

「まあ、ゆっくりして行けよな。俺たちが休憩の時に一緒にお茶飲もうぜ」

 辰二郎もその辺のところはしっかりしている。

「甚六さんは?」

「帳簿付けてるよ。早く卯兄がつけられるようになってくれって毎日愚痴ってる。じゃ、あとでな」

 早く卯兄が帳簿を付けられるように? ということは帳簿を付けるのは甚六さんから卯一郎さんに引き継がれるわけだ。もし不正をしていたり、わかっていて医者や薬屋以外に卸すとしたら、そんな事卯一郎さんに任せるはずがない。やっぱり甚六さんは白だ。鳴海屋に「潮崎一の薬屋だ」とか言って騙されたんだ。そして騙された甚六さんの指図で子供たちが過重労働してるんだ。

「早く早く。お恵ちゃんこっち」

 ぼんやり考えていたら畑の方で酉五郎が手招きしている。急いで行くと、大きな葉っぱを見せられた。

「これ、お恵ちゃんが大好きな曼陀羅華まんだらけだよ。もうすぐ蕾が付くよ」

「へえ、楽しみね。あたしこれが見たくて通ってるようなものだから」

「朝顔のお化けみたいなのが咲くよ」

 やはり酉五郎の解説は午三郎のそれとは違って面白い。羊四郎に解説させたらまた違う表現をするのだろう。

「こっちにさ、麻があるだろ。それを越えるとケシ……って言ってもほとんどケシ坊主になっちゃったね」

「ケシ坊主もこれだけ並んでると壮観だよ。ねえ、ケシの向こうは何があるの?」

「琵琶。葉っぱを乾燥させて辰兄が粉にしてるけど、今の時期は実が生るから、あとでみんなでおやつにしようよ。いつも辰兄が実を取ってぽいぽい投げるんだ。それを羊兄が上手に受け取るんだぜ。おいらは下手だから落としちゃうけど。あ、そうだ」

 酉五郎が何かを思い出したように駆けだした。

「お恵ちゃんこっち」

「え、何、どうしたの」

 琵琶の前まで来るとその足元に薮のようになった木が生えている。株元から茎が何本も立ち上がり、琵琶の足もとを塞ぐようにしている。

「これ、枸杞くこの木」

「え、これが? 凄い棘だね」

「うん、だからここから先は誰も通れない」

「生垣の代わりだね」

「と思うだろ?」

「え? 違うの?」

「それが通れるんだ」

「ほんと?」

「一カ所だけ枸杞の生えていないところがあるんだ。おいら向こう側に行ってみたいんだけど、父ちゃんが危ないから絶対行くなって言うから行けないんだ、でも見るのは構わない。お恵ちゃんも見たいだろ?」

 そんなの見たいに決まってる!

「こっちだよ。誰かの家があるんだ」

 お恵の返事も聞かずに酉五郎は薬草の中をごそごそと進みだした。

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