第十四話

 今日も柏茶屋は上を下への大騒ぎである。あちこちから小さくはあるものの「悠さんがいらしたわよ」「また太夫のところかしら」「いいわねえ、わたしも悠さんに指名されたいわ」などという黄色い声がちらほらと聞こえてくる。

 だが、それらを完全に無視して悠はまっすぐ蜜柑太夫の部屋へと向かった。

「最近いらっしゃいませんでしたね」

「用がなかったもんでね。平和なのはいいことさ」

「あら、今日も桔梗縞に山吹の花なんて、悠さんにしか着られないような着物……いったいどこで仕入れるんです?」

「木槿山の松原屋さんさ。あたしが絵を描いてあすこに作ってもらうんだ。紫水晶は潮崎の唐物屋さんで買って、柏原で耳飾りに細工して貰ったのさ。腕のいい錺職人がいてね。なかなかいいだろう?」

 蜜柑太夫は肩をすくめて小さなため息を漏らす。まぁ、彼が相手ならいつものことだ。

「相変わらずですね。で、どうなさったんです?」

「婚礼衣装は準備できるかい? 仲人の分も入れて」

「悠さん遂に所帯を持つことにしたんです?」

「まさか。あたしはこう見えても義理堅いんだ。奈津との約束は一生忘れないよ」

「その名前をここで言ってはダメって言ってるじゃないですか、わざとでしょう」

 太夫はわざと膨れてみせる。

「いいじゃないかい。この名を呼べるのはあたしと佐倉様だけなんだ」

「まったくしようのない人ですね。で、衣装はいつまでに準備すればよろしいのですか」

「期限は明日の早朝、場所は履物商の榎屋さんだ」

「わかりました。今晩中に揃えて榎屋さんにお届けしましょう」

「さすが仕事が早いね」

「他ならぬ悠さんの頼みですから。それに早朝までというのも気になります」

「榎屋さんのおかみさんがもう長くない。あと数日なんでね。おかみさんのたった一つの心残りが、お玉ちゃんの花嫁姿を見られない事だって言うんでさ、噓でもいいから見せてやりたいって三郎太の兄さんがね」

「三郎太さん、人がいいから。だけどおかみさんは見破りますね。見破った上で何も言わないでしょう。みんなの心遣いが嬉しいから黙っていると思いますよ」

「そんなに簡単にバレるならやめといた方がいいかねぇ」

「いいえ、むしろやった方がいいですよ。思い出になりますから。それに嘘からまことがでることだってありますし」

「それが絶対にないのさ」

「あら、どうしてそんなことがわかるんですか」

「その相手ってのが男色の気があって、大本命があたしなもんでね」

 蜜柑太夫は声に出して笑った。こんなに大笑いしたのは子どもの時以来ではないだろうか。

「子供にしか興味のない悠さんと、男にしか興味のない人が、ニセの祝言のために頑張ってるなんて可笑しくて」

「仲人は栄吉さんだそうだよ」

「栄吉さん、独身じゃありませんでした?」

「そうなんだけどねぇ。まあ三郎太がそれでいいってんだからいいんでしょうよ」

「では栄吉さんに似合いそうなものを見繕っておきます。栄吉さんならびしっと決まるでしょうねぇ。で、花嫁さんは?」

「かなり太目で味噌樽みたいな可愛い子だよ。男の方はあたしよりちょいと丈は低いけど肩幅も胸板もしっかりした筋肉質の男さ。任せていいね?」

「お安い御用です」

「じゃ、頼んだよ。あたしはこれで」

 悠が立ち上がると、「あ、そうそう、一つ悠さんにいいお話を」と言って太夫が止めた。

「なんだい? 本当にいい話なんだろうねえ」

「お清が言ってたんですよ。凍夜と松太郎兄ちゃんと一緒に逃げる時、素敵な耳飾りの綺麗なお兄さんが抱っこしてくれたって」

 悠は嬉しそうに笑った。

「そりゃあ、あたしが初めて抱いた女だからねぇ」

「言い方! もう教えてあげません。とっとと帰ってください」

「おっと、女の悋気は怖いねぇ」

「悋気なんかじゃありませんからっ! 出口はこちらです!」

 蜜柑太夫が障子をスパーンと開けると、お清が静かに座って控えていた。

「この人をお送りしてさしあげなさい」

「あい」

 なんのかんのと言いながらもお清にお見送りをさせるとはお奈津もなかなか可愛いところがある、などと口を滑らせたら殴り殺されそうだなと考えつつ、悠はニヤニヤしながらもお清と手を繋いで廊下を渡るのだった。

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