第四話
三郎太が団子を持っていくと、お恵は喜んで出て来た。
「お恵ちゃん、悠さんに話してくれたんだって?」
枝鳴長屋の連中が布団を干すのによく使う縁台を持って来てお恵に座らせると、お恵はさっそく団子の包みを開いた。
「うん。なんだか三郎太さんが心配で。これ以上おでこが広がったら大変だし」
「しづ心無く髪の散るらむって言うからな」
そんなことを言って説得力があるのは三郎太だけである。
「それで悠さんがお団子買ってきて話を聞いてくれたのね」
「
「悠さんて気配り屋さんだよね」
「それ、本人に言ってやれよ。喜ぶぞ」
「喜ぶから本人に言えないのよ」
「あ、そっか。十歳は射程範囲だったな。あぶねえ、蜂ねえ、蟻もねえ」
お恵は頷きながら団子を頬張った。
「うん、おいひい! それで、解決したの?」
「いや、しなかった。暗黒斎先生が治せる患者しか手を出さないってことがわかっただけだった」
「なあんだ、本当に病の人の話だったのね。まあそうよねぇ。治療の意味のない患者はそもそも患者って呼ばないし、手遅れの人には何やっても無駄だから」
「おいら病気しねえし、今までそんなこと考えたことも無かったぜ」
「でも、去年凍夜を追っかけてきたゴロツキにボコボコにされたとき暗黒斎先生すごい頑張ってくれたじゃないの」
「ああ、麻酔無しでいろいろやられて死ぬかと思ったけどな。お陰でだいぶ髪が抜けたよ」
「それっきり生えてこないのは大問題ね」
いや、ちゃんと生えている。しかしそこは今は重要ではない。
「そもそもその患者、もう手遅れだったんだよ。だから暗黒斎先生じゃどうしようもねえ」
「手遅れの患者さんを診てくれる先生、いるじゃない」
三郎太はあんぐりと口を開けた。
「へ? ほんとかい?」
「楢岡にいらっしゃるって」
「うへえ。びっくり下谷の広徳寺ってなもんだ。なんでお恵ちゃんが知ってるんだい」
急にお恵がモジモジし始めた。
「それは、その、徳屋さんで小耳に挟んだのよ」
徳屋さん! 三郎太はポンと膝を打った。
「松太郎に会いに行ったら、徳屋さんに来ていた客が話してたんだな?」
「会いに行っただなんて、用事があったのよ!」
慌てるあたりが図星を物語っている。
「どんな治療をするのか聞いてるかい?」
「治療なんかしないわよ、手遅れなんだから。痛みを和らげてくれる麻酔みたいなお薬をたくさん出してくれるんだって。だから痛みを感じないまま死ねるって。ただ、その麻酔みたいなお薬が高くて、それをたくさん使うからお代もかなりかかるみたい。あたしたちのような庶民は苦しんで死ぬしかないわね」
死ぬ間際まで貧富の差は出るのだ。
「おいらは金もなければ髪もねえからなぁ」
どれくらいの金がかかるのかわからないが榎屋ならそこそこの大店で金はありそうだ、一度行ってみるのもいいかもしれない。
「場所はわかるかい?」
「よく知らないけど、楢岡の外れだって。それもこっちに近い方だから、そんなに遠くないよ。一本松あるじゃない。あそこよりもちょっと楢岡寄りだって聞いたよ」
「そうかそうか、草加、越谷、千住の先よ。行くかどうかはわかんねえけど試しに話してみるよ。ありがとよ」
お恵はみたらしダレのついた唇をぺろりと舐めた。
「どういたしまして。あたし、これから徳屋さんに行かなくちゃ」
「おう、気をつけてな」
そう言いつつも、三郎太は首を傾げた。茶問屋はそんなに毎日行く用事があるのだろうか? あ、松太郎に会いに行くんだな……。
一人で納得すると、彼はニヤニヤしながら自分の家へと引き上げた。
それから何度か三郎太は榎屋に行ってみた。だが店頭にお玉やおかみさんの姿はなく、かと言って呼び出して貰うほどでもないので、そのまま榎屋を後にする事が多かった。
その日はたまたまあの日のように、椎ノ木川沿いの道を鼻歌交じりに歩いていた。そして、またお玉を見つけた。どうやら最初からここに来ていれば会えていたような感じがする。
「よう、お玉ちゃん」
お玉はびくっとしたように振り返ったが、三郎太の顔を見るとホッと肩の力が抜けた。
「三郎太さん」
「お玉ちゃんも蝋梅を見に来たのかい?」
「ああ……蝋梅。咲いてたんですね」
こんなにいい香りをさせて咲いているのにも気付かないとは、かなりの重症である。この前会った時よりも深刻そうに見える。
「何度か榎屋さんに行ったんだけどさ、お玉ちゃん見当たらなくて」
「ここまで探しに来てくれたんですか」
「会いに北野の天満宮よ」
「三郎太さん、いい人ですね」
「おう、よく言われるぜ、どうでもいい人ってな!」
三郎太がカラカラと笑うと、お玉も少し笑顔を見せる。いつもなら三郎太よりも豪快に笑うのだが。
「わたし、
「え? 初耳だぜ。おいらという者がありながら」
次第にお玉に笑顔が増えてきた。これはいい兆候だ。
「柿ノ木川の川上の方に
「ほう、入り婿かい。こいつぁ春から縁起がいいな」
「でも母があんなだから、祝言も挙げられなくて。母の目の黒いうちに花嫁姿を見せてあげたい気もするんですけど、祝言の日と葬式がぶつかることも考えられるって暗黒斎先生が」
「おかみさん、そんなに悪いのかい」
「私たち家族にも具合が悪いことを秘密にしていたから、倒れるまで気づかなかったんですよ。その時はもう手遅れで。おっ母さんが生きているうちに花嫁姿を見せようと思えば、秀次さんが婿入りして最初にする仕事はおっ母さんの葬式になってしまうかもしれません、それじゃあんまりにも申し訳ない」
どうやらその児玉屋の秀次という男のことは憎からず思っているらしい。そうなると、なんとかくっつけてあげたくなるのが人情というものである。とはいっても三郎太はただの何でも屋だ。何かができるわけでもない。
「あれからちょいと小耳に挟んだんだけどさ、病を治してはくれねえが痛みは取ってくれるっていう医者がいるらしいぜ」
「えっ! 本当ですか!」
お玉の顔にパッと赤みがさした。
「嘘と髪はゆうたことがないぜ。なにしろ病は治らねえからそんなに期待されても困るんだけどよ。ただ、苦しまずに死ねるとは聞いてる」
「いいです、とにかく教えてください」
「おいらもよく知らねえんだが、楢岡にいるらしいんだ、名前は知らねえんだが」
お玉は「楢岡に」と復唱した。
「おいらもおかみさんにはお世話になったし、できることなら長生きしてほしいんだが、もうどうにもならないならせめて苦しまないでほしいってのはあるんだよな」
お玉は自分もそうだとばかりに力強く頷いた。
「ありがとうございます。楢岡に行ってみます」
三郎太は言わない方が良かったかと、少し心配になった。
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