出資者へのインタビュー

 私は良秀の出資者パトロンでありました。良秀がよわい十八の頃、まだ学徒の時分にその作品を買いとった事が始まりでした。

 つぼみはす

 固く閉じ、開く予兆も無い、ただ上を向いてるだけの花。

 けれどその内より、光が透ける様な品でした。

 花開いたら、どんな姿になるのだろう。

 まだかまだかと、開くはずもないその作品を前にして、幾人いくにんも、頭を揺らして咲き時の話をしていたのを覚えております。

 作品の買い取りには、少々狡い手を使いました。

 アレは元々学祭の展示物でありました。ので勿論、値が着いている訳でもなく、展示が終われば何処ぞにでも仕舞しまわれるか、あるいは壊されしまいになるか。

 考えるだけでも腹の立つ。

 アレほどの物に価値が付かないなど、あって良いはずも無し。

 私は教師に、良秀の親に、そして良秀に交渉しました。

「これだけの額で申し訳ない。」

 当初の値はさして高くは出せませんでした。そうですね。自分がこれほど、と思った額の三分の一程度の額でした。

 下手に出しては、訝しまれてしまうと思った故での事でしたが、あの大人らは何と言ったと思います?

「この程度のモノに、そんな額、受け取れません。」

 これだから、価値の分からぬボンクラは。

 ただ一人、良秀だけがすんなり此方に応じてくれました。

「貴方が本当に、その程度と私を見たならば、この品は売れません。」

 えぇ、えぇ。随分と大人らに雷を落とされておりました。けれど頑と譲らず良秀は私に言ったのです。

「貴方がこの子に感じた値段は幾らでありましたか。」

「三倍だ。だが今はそれ以上だ。」

 これにはさしもの良秀も驚いた様でした。

 けれどあの時私は感動していたのです。

 良秀は既に、作家であった。自ら生み出したモノに責任があった。矜恃があった。そしてそれを解する耳目と頭ができあがっていた。

「言い値を出そう。私は君の、出資者になりたい。」

 良秀とはそれ以来の縁となります。

 半年後、彼が親に縁を切られて上京してより、私にとっては我が子の様になりました。

 故にこそ、あぁ、あの子は全く不孝者だと思います。

 八寒はちかん地獄じごく変相図へんそうず

 地獄が遺作いさくになるなんて。極楽ごくらくでも描いてくれていたらば、こうもかなしくならなかったのに。

 けれどそう、そうですね。えぇ、既にご覧になりましたでしょう。

 ようやく開いた蓮の花へ、何と言葉を紡ぐ事すら不相応。

 地獄でしょう。アレは正しく、地獄の姿でありましたでしょう。

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