北鎌fantasia

真夜

一章 五条家のお嬢さま

第1話 五条家のお嬢さま

 茅ヶ崎人情伝説(引用)

 遠い昔、いつの世か、鎌倉の長者に一人娘がおりました。とある日、大きな鷹にさらわれてしまいました。

 娘にはうばがいて、慌てて鷹を追いかけていきましたが、鷹は海に出てさらに沖に出て岩の上に娘を置いてしまいました。姥は娘を大変かわいがっていたので、とても悲しみ、なんとか助けようとしました。ところが、姥は船を持っていなかったので、漁師たちに助けを求めたのですが、海は荒れ、風は吹き、あられが降っていて、とても船を出せるどころではありませんでした。

 誰も助ける手立てがありません。

 沖合のちいさな岩島いわしまに残された娘が、いつ、波にのまれるかわかりません。姥は一人で娘を助けることを決意し、荒れ狂う海に飛び込みました。

 姥は一心不乱に泳ぎました。

 しかし、波はひどく、なかなか思うようにすすみません。

 ついに力つき、波にのまれ、その姿を消してしまいました。その姥をとむらうため、姥岩うばいわと呼ばれるようになりました。

 行方不明になっていた娘は、命からがら鷹から逃れた先で、姥が助けにいって波ののまれてしまったと知り、嘆き悲しみ、茅ヶ崎の海へ飛び込んでしまいました。娘は人魚となり今も姥を探している、という悲しい伝説です。


 お出迎え

 北鎌倉の西口ロータリー側で電車を降りて、豊島屋に入ると真面目そうな店員が静かにいらっしゃいませという。鈴蘭すずらんはガラスケースを指差して、

「その四十四枚入りサブレひと缶ください」

と弾む声で言った。アルバイトで稼いだお金で姉たちへお土産だ。

 店員は、かしこまりました、サブレ四十四枚缶入りひとつですね、と復唱すると奥から黄色く大きな缶を持ってきてお馴染み鳩のマークの紙袋に入れてくれた。

 丁寧な手順でお会計を済ませて、ありがとうございましたと、これまた丁寧な物腰で、店を出る鈴蘭の背中に声を乗せてくれた。


 駅舎と和菓子屋のあいだにある小道に入り線路に沿って歩く。

右手の白鷺池をチラリと見る。今日も風情があって良いと一人呟く。

 子供の頃から、季節を感じるこの池が好きだ。なんとも間合いがいいというか、喫茶店の窓から映える景色は素晴らしいし、線路から見える小さな池の大きさや、道路側から眺める距離感も絶妙にいい。あんまり近づいてジロジロ見ない方がいい。なんにせよ、距離は大事だから。少し、間合いを取って全体的に見るのがいいのだと思っている。

 春風がそよいで空は淡い。円覚寺前の踏切を渡り右手に続く道を歩くと、ああ、いい天気だなあなどとまた、独り言が出てしまう。桜色の寺前の道は気持ちいいのだ。


 観光客と一緒に歩く。少しテンションの高くなったご婦人方のグループと一緒になる。うふふうふふと楽しそうに話している姿はこちらもうふふうふふと楽しくなる。

、中年おばがさんはうるさいなんていう人もいるけれど余程気持ちの捻くれている者なのだろうと思う。かの国民的バンドのボーカルが通っていたことで有名な私立男子校の真っ黒な群れ、一人二人うっかりと迷い込んでしまったかのような外国人観光客もいる。

 鈴蘭は大きな紙袋を右に左にと持ち替えながらキャリーケースをガタガタ鳴らし歩いた。


 明月院通りに入る三叉路に黒塗りの車が一台止まっている。五十代後半ほどに見える中年男性がにこやかに立っている。姿勢は良く黒のVネックセーターに白いワイシャツ、スラックスもきちっとアイロンがかかっているのがよくわかる。白髪混じりの髪とよく笑う目尻のシワで推測するが、スラリとした長身や品のある雰囲気は清潔感が表れて感じの良いことこの上ない。

 「たいおーん」

鈴蘭が大きく手を振ると、愛おしくてたまらないといった笑顔で小さく会釈し、黒塗りの車センチュリーの後部座席のドアを開けた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る