第29話 ゾディアック団
四月二十七日、日曜日。友枝殺しの捜査を始めて十四日目の朝、時也のスマートフォンに一本の電話が入った。
『
前日の酒が睡眠導入剤になり深い眠りに陥っていた時也は、木内冬実の伝言を留守番電話で聞いた。すぐにかけなおし、前回食事をした店で会う約束を取りつける。スクランブルエッグとトーストで簡単な朝食を済ませてから出かける支度をしていると、再びスマホに着信が入った。
「おはようございます、田端係長。一昨日はご迷惑をおかけしました」
『新宮部長、声を聞く限りはお元気そうですが』
「お陰さまで、もう仕事に支障はありません」
『それはよかった……実は昨日の夜、十時頃だったでしょうか。真澄湊と名乗る青年が本部を訪ねましてね。公安課の新宮さんに用があると。そのときは落合さんもボスも出払っていて、私が話を聞いたのですが』
「真澄湊が本部に?」
『ええ。新宮部長を呼び出そうかとよほど迷ったのですが、私でよければ話を聞くと言ったら、葉桐さんの件で伝えたいことがあるのだと』
「それで彼は」
『葉桐さんを撃ったのは自分だと証言しました。その件については一通り供述してくれたのですが、他に話さなければいけないことがある、だけどそれは新宮さんでないと駄目だと言い張りまして……とりあえず本部で保護という形をとっています』
「判りました、今から向かいます」
『ああ、それからもうひとつだけ。立浜市連続詐欺事件被害者支援団体の山崎昇ですが、おそらく彼は成りすましです』
警部補の口から飛び出した意外な言葉。会話に一瞬の間が空いてから、
『救済金を受け取った被害者たちに再度話を聞いたところ、当時は支援団体の事務所が美土里区に開設されていて、そこで救済金受け取りのための説明会を開いていたそうです。その説明会に参加した被害者数名から、山崎昇の人相を細かく聞き出しました。鑑識課に同行してもらい似顔絵を作成し、山崎昇の故郷で両親が暮らすN県へ飛んで確認すると……ご両親は口を揃えて否定しましたよ。息子はこんな顔ではないと』
「長らく息子の顔を見ていなかったのでは? 人間の顔は年齢やその時の環境によって大きく変化する場合もありますし」
『ですが、父母ともに強く否定していましたよ。どんなに月日が経っても実の親が子どもの顔を見間違えるわけがない、と。家族写真に写っていた山崎も見せてもらいました。たしかに雰囲気は似ていなくもありませんが、同一人物かと問われると微妙なところですね』
「犯人は、山崎昇の戸籍を買ったというわけですか」
『あるいは、山崎を殺害しその戸籍を乗っ取った……いずれにせよ、二年前の詐欺事件の時点で犯人は既に山崎昇に成り代わっていたとなると、その年を軸に本物の山崎の足取りを追う必要がありそうです』
「本人が希望して戸籍を犯人に売った可能性もありますね」
『ええ。今、ご両親から聞き出した山崎昇の過去の就職歴をもとにかつての職場をあたっているところです。本物の山崎昇の足跡が判らないことには、偽者に辿り着けませんから』
よろしくお願いします、と力強く返してから電話を切る。早足で県警本部に出向くと、つい十数時間前に会ったばかりの情報屋と廊下で再会した。アメリカンカジュアルな装いは昨日のままで、癖のない柔らかそうな茶髪が卵型の顔を覆っている。
「新宮さん、昨日はどうもありがとうございました」
行儀よく一礼する真澄湊に、敢えて砕けた口調で応じる。
「驚いたよ、直接ここに来るなんて」
「突然ごめんなさい。でも、電話より面と向かって話をしたくて」
一夜明け、迷いから吹っ切れたようなさっぱりとした顔をしていた。時也は青年を取調室に案内しながら、
「歓迎するよ。味気ない部屋だけれどどうぞ坐って。ああ、昨日みたいに酒は出てこないから。あとかつ丼も」
パイプ椅子に腰かけた真澄湊は、ふっと小さく吹き出した。
「新宮さん、葉桐さんと似てますね」
「そうかな。そんなふうに思ったことはないけれど」
「似てますよ。何というか、クールで素っ気なく見えるけど実は熱いハートの持ち主みたいな」
「そういう陳腐な正義のヒーローは、残念ながら俺の好みじゃない」
「葉桐さんも、同じような話をしていました。俺は正義のヒーローなんかじゃない、どちらかと言えば人に嫌われるダークヒーローに憧れると」
葉桐との思い出を語る青年の表情は、積雪を解かす朝の陽射しのように柔らかい。
「俺、やっぱりこれ以上周りの誰かが死ぬのは耐えられなくて……きっと、あの組織を放っておくとどんどん犠牲者が増え続ける。だから、新宮さんに止めてほしいんです。彼らの暴走を」
青年の許可を得て録音を開始する。すべての発端は、東凰会を離脱した元構成員が刺青の組織に入団した出来事だったという。
「彼に誘われて、一度だけ組織の会合を見学したんです。週に一度、組織のメンバーが集まって活動報告や意見交換をするんです。会合の場所は毎回異なっていて、メンバーにのみ知らされるそうです。彼らは組織のことを……〈ゾディアック団〉と呼んでいました」
ゾディアック――黄道帯。三好友希のノートに何度も現れていたZODIACと同じ言葉だ。やはり、三好も組織の一員なのだろうか。
「彼らは、体の部位に刺青を彫っているね。星座のシンボルマークの」
「そうです。それが組織の一員である証です。組織のメンバーは定期的に入れ替わりますが、十二人という数は変動しません。ゾディアック団には〈団長〉と呼ばれるリーダー役がいて、団長だけ星座が固定されています。その他のメンバーは、その時々で空きがある星座を選ぶシステムのようです」
「ゾディアック団の会合を見学したと言ったね。そのときに参加していたメンバーは判るかい」
「会合のときに俺が見たのは、たしか六人でした」
「その六人のうち、この写真の中に同一人物はいるかな」
時也はスーツの内ポケットから警察手帳を取り出し、そこから五人の顔写真を机上に並べる。刺青を確認できている蟹座の女、射手座の老人、一色音葉、森野一裕。そして組織への関与が疑われる三好友希のものだ。机から浅く身を乗り出した青年は写真を食い入るように見つめ、
「この写真の中で見たのは、二人だけですね」
真澄湊が指さした老人と森野の写真を机上に残し、他は手帳に挟む。
「ゾディアック団に入団した元東凰会の構成員がいると言っていたね。彼について詳しく教えてほしい」
「名前は、西冨士哉。東凰会の中では古株でした。短気で気性が荒いところはあるけど、頼りがいがあって俺もアニキと呼んで慕っていました。けど、ある日を境に姿を見せなくなって……そのうち、冨士哉は除籍したとカシラから話がありました。理由は教えてくれませんでしたが、実はアニキとこっそり連絡を取り続けていたんです。それで、アニキがある組織に入団したこと、それが暴力団ではなくある信念に基づいて活動をする組織であることを知りました」
「それが、ゾディアック団だった」
「はい……しばらくしてから、アニキに誘われて一度だけ会合に参加しました。ゾディアック団は来る者拒まず、去る者追わずの精神だから気軽に見学すればいいと。どんな怪しい宗教団体かと思っていたんですけど、実際はメンバー同士で集まってどんなデモ活動に参加したとか、最近の政治家のあの政策はまるでダメだとか、そんな話をするだけの時間でした。でも、議論はみんなとても熱心にしていて。全然怪しげな組織じゃなかったからホッとしたんです」
「ファーストインプレッションは悪くなかったわけだ」
真澄湊はこくりと首を縦に動かす。
「でも、アニキが入団してから半年くらい経った頃かな……だんだん連絡が取りづらくなって、気付けばすっかり音信不通になっていました。アニキが心配だったけど、ゾディアックは特定の活動場所を持たない組織だからどこを訪ねればいいかも判らなくて。そんなときです、小林誠和不動産の社員が殺されたって話を聞いたのは」
「友枝雅樹さんの件だね。あれは東凰会の仕業じゃなかったのか」
「まさか! たしかに、変なやつが小林誠和を嗅ぎまわっているという噂は流れていましたけど、うちはそんな事件起こしていません。誰かが殺しをすればすぐ広まりますし、カシラや親分の耳にも入るはずです。でも、二人とも事件の話を聞いてとても驚いていました」
「それじゃ、ゾディアック団が」
「はい……事件の直後、アニキから電話があったんです。『俺は、俺の信念に従ってこの国を良くしていく。もうお前と関わることはない。達者で』とだけ言って、電話はすぐ切られました。ああ、アニキはあの殺しに関わっているんだ、と直感しました。アニキに会いたかったけれど、結局今もそれは叶わず仕舞いです」
友枝の遺体遺棄に手慣れたところがあったのは、元暴力団員が事件に関与していたからなのか。時也は頭の中で事件を一から整理しながら、真澄湊の話に耳を傾ける。
「その事件の後、小林誠和の社員がまた殺されたという話が流れましたけど、それも俺たちじゃありません。アニキとはさっきの電話以来、一度も連絡がつかないし……もう、何がなんだか判らなくて。さすがのカシラも動揺していました。MERCURYの一件もサツが勘付いているらしいって噂があって、追い詰められているのを肌で感じていました。カシラが葉桐さんの始末を決断したのも、そういう危機感があったからだと思います。警察とはギブ・アンド・テイクの関係を続けたかったけど、もう限界まで来ているのだなと」
「ありがとう、よく話してくれた。最後に、西冨士哉についてもう少しだけ教えてほしい。彼はゾディアック団に入団したと言っていたね。ならば、体のどこかに星座の刺青を入れているはずだ」
「ええ。こめかみに、牡羊座のシンボルマークの刺青を」
「牡羊座……なるほど。それからもうひとつ、西冨士哉が愛用していた靴は憶えているかい」
「靴、ですか」
「ああ。拘って履いていたものとか、お気に入りの靴があったとか」
腕組みをしてしばらく唸っていた青年は、やがて面を上げてぽつりと呟く。
「そういえば、軍事用のブーツを履いていたと思います。動きやすくて頑丈で、俺には合っていると話していた記憶があります。詳しいメーカーとか具体的な見た目は憶えていないですが、黒っぽいブーツだったような」
暴力団構成員にして情報屋の男は、深く頭を垂れる。
「俺が知っていることは、すべて話しました。もう、全部終わらせたいんです。そして、きちんと罪を償いたい……いつか天国に行ったとき、葉桐さんに謝りたいんです。だから」
真澄湊の肩を軽く叩いて取調室を出る。背中を預けた扉の向こうで、嗚咽を懸命に堪える音が響いていた。
録音した真澄湊の供述データは、取り急ぎ公安一課の管理職らに報告が挙げられた。同時に組対部にも回され、供述内容をもとに青龍会の活動や株式会社賢者の石との背後関係を徹底的に洗い出すのだ。さらにMERCURYでの人身売買については生活安全部の管轄になるため、複数の部を巻きこんだ合同捜査が大々的に始動した。
真澄湊の取り調べを公安一課の捜査員に引き継ぎ、時也は方蔵町へ車を飛ばす。方蔵いこいカフェの扉を押し開けると、上品なワンピースに身を包んだ二人のマダムと小洒落たハットを被った老紳士がランチタイムの真っ最中だ。待ち人は、観葉植物の鉢植えの影から時也に向かって小さく手を振っていた。
「お待たせしました。申し訳ありません、会議の時間が押してしまって」
「とんでもありません。私こそ、無理にお誘いしてごめんなさい」
事務員用の服装に淡いラベンダー色のカーディガンを合わせた木内は、顔の前でひらひらと手を振る。手作り感あふれるエプロン姿の女性スタッフにナポリタンを二つ注文してから、時也はジャケットを脱いで背筋を正した。
「お話があるということですが」
「ええ……あの、こんな話を宮野さんに漏らしたらうちの会社との取引を考えなおすんじゃないかと、随分悩みました。そうなればお互いの会社に迷惑がかかりますし、私が黙っていれば円満に収まると思ったんです。でも」
ハンカチを握りしめる指に力がこもり、皺が寄った。木内嬢は顔を上げると、決意の眼差しで時也を正面から見据える。
「やっぱりこのままじゃいけないと思うんです。それに、私もこんな関係懲り懲りだわ」
「僕なんかでよければ、どうぞ話してください」
木内冬実が赤裸々に語った内容。それは、時也が大方想定していた通りの内容だった。途中で感情を抑えきれなくなったのか、木内嬢はハンカチを口元に当てて嗚咽を漏らす。別れ話が拗れているとでも勘違いしたのか、二人組のマダムの客がちらちらと怪訝な視線を向けていた。
「ごめんなさい、感情がコントロールできなくなって……誰にも相談できなかったんです。どうすればいいか、ずっと一人で抱えているのも辛くて」
「木内さん、よくお話してくれましたね。さぞお辛かったでしょう」
月並みの慰み言葉をかけながら、時也の頭の中でバラバラになっていたパズルのピースが一つずつはまり事件の全容が鮮明に浮かび上がる。すべてに決着をつけるまで、あと一歩のところに立ったのだ。
衝撃的な木内冬実の告白で、ランチタイムどころではなくなった。中年夫婦スタッフに詫びを入れ、「次回必ず」と約束を交わし店を出る。覆面パトカーに木内嬢を乗せたところで素性を明かすと、
「ビックリ……でも、何となくそうなんじゃないかなと予感していました」
湾岸通りの庁舎に戻り、木内冬実の身柄を生安部へ引き渡す。そのまま公安課室へ向かおうと廊下に出たところで内海巡査長と遭遇した。
「新宮部長、調子はいかがですか」
遠慮がちな声で訊ねる内海に、ひらりと手を振りながら「問題ない」と短く答える。
「美濃病院の調査はどうだ」
「あっ、そうなんです! 実は、とんでもない事実が判明したのでお伝えしようと思っていたところでした」
小会議室に入るなり、胸に抱えていたクリアファイルを押し付けるように渡す。
「院長の美濃佐吉を含む院の関係者を洗い出し素性を調べていたのですが……美濃佐吉の血縁者リストを見てください」
クリアファイルから資料を取り出し、リストの上から下まで素早く目を通す。美濃病院の院長として、また心臓外科医としてその手腕を振るっていた美濃佐吉だが、その半生は決して順風満帆でもなかったようだ。
小学生の頃に両親が離婚し、佐吉は父方の親戚に引き取られた。だが実の父親やその家族とは折り合いが悪く、中学校から高校までは全寮制の男子校に進学している。高校を卒業後は一浪したのち都内の大学で医学部を専攻。本格的に医者の道を歩み始めた。
佐吉は三十代から四十代の間に、三度の結婚歴がある。最初の妻である奈緒美は重い心臓病を患っていて、結婚生活は三年きりだった。二番目の妻となった鈴子との間に一男をもうけ、現在は独立して開業医となっている。ところが四十三歳で離婚し、その翌年には三人目の妻である春恵を迎えた。彼女との間には一男一女が生まれ、以後は家族四人で寄り添って暮らしていたようだ。
ただ、公安課が目をつけたのはそんな誰にでも調べられるような表面的な情報ではない。美濃佐吉には戸籍上に現れていない血縁者が存在していたのである。
「美濃佐吉は研修医だった二十代に、ある女性との間に未婚で子どもをもうけていました。ただ佐吉はその子どもを認知せず、母親である女性に手切れ金だけ渡し関係を断ったようです。彼女は生まれ故郷である九州で男の子を出産。まもなくして病死しました。子どもは九州の高校を卒業後に上京し、都内の大学の薬学部に進学しています」
時也の脳内で、疑念が確信へと変わった。資料を内海に返すと、
「内海、美濃病院跡地はもう調べたのか」
「あらかた捜索したのですが、一連の事件や組織につながる遺留品は現段階では見つかっていません。ゴミや瓦礫などで雑然としていますし、昼間でもあの暗さなので見落としがあるかもしれませんが……今日も数名ほどが跡地に向かったはずです」
「その捜査員に至急連絡を取ってくれ。捜索してほしい部屋がある」
驚いた表情の内海に、時也はきっぱりと告げた。
「俺の推測が間違っていなければ、何かしらの
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