第30話 集結
内海巡査長とともに訪れた公安課室は、管理職のデスク以外無人で部屋全体が閑散としていた。友枝殺しの
「MERCURYの件について、組対部と生安部が本格的に動き出したようです。新宮部長が上に挙げたと聞き及びましたが」
「葉桐が東凰会のスジを使ってMERCURYに探りを入れようとしたんだ。だから彼は殺された……これ以上は単独で関わると危険だから、組対部と生安部に預けたのさ」
「組対部は葉桐部長の件も抱えていますから、大わらわみたいですよ」
「葉桐の件は、たしか水前署が帳場だったな。水前署といえば、友枝殺しのとき例のDVDが置かれた所轄か」
「結局、DVDを置き去った人物の正体は判らず仕舞いになりそうですね」
「田端係長が詐欺事件に回ったからな……」
廊下の真ん中で立ち尽くす時也に、内海が怪訝な視線を投げる。
「新宮部長、どうかしましたか」
「DVDが水前署に置かれたのは単なる偶然なのか、あるいは必然だったのか」
「たまたま通りかかった警察署に置いただけではないでしょうか。友枝殺しの帳場は美鶴署ですし、犯人が警察関係者でなければどこの区域をどこの警察署が担当しているかなんて把握しようがありません」
「それだよ、内海」
顔を上げた時也に、後輩が「は?」と訊き返す。
「DVDを置いた人物は防犯カメラの死角を把握していた可能性がある。偶然通りすがった警察署のカメラの位置なんて、事前に知りようがないだろ」
「新宮部長は、DVDを置いたのは警察関係者かもしれないと話していましたね」
「だとすると、余計厄介な事態になる」
「余計、といいますと」
「これは俺個人の推測だが、たとえばDVDを置いたのが水前署の職員だったとしよう。警察官でもいい。そして、もしこの人物が刺青の組織――ゾディアック団のメンバーだとすれば」
「刺青組織の一員が警察官に? まさか」
顔を顰める内海に、だが時也は真剣そのものの声で返す。
「だが、そう仮定するとあるストーリーが浮かび上がるんだ。いいか、DVDを置いたのがゾディアック団なのであれば、犯人が堂珍仁を嵌めようとしたのも納得がいく。奴らはおそらく堂珍側についていない。むしろ堂珍に罪を被せることで、彼を破滅させたかったのかもしれない」
「その目的は?」
「まだこれといった確証はないが、ゾディアック団のメンバーは何らかの理由で堂珍仁に恨みを持っていた。だから彼を陥れるためDVDという小細工を施した」
「森野一裕が入団したのは、弟である森野浩二の復讐でしょうか」
「一番の動機はそうだろうな。森野浩二の事故死には株式会社賢者の石が関与していた可能性が高い。そして、株式会社賢者の石は東凰会や青龍会と繋がっている節があり、東凰会は堂珍仁と昵懇の間柄だ」
「堂珍仁か東凰会、いずれか片方に弾が当たればよかったわけですね。射手座の老人の自爆事件はどうでしょう」
「森野は、俺が一色乙葉を監視していることに気付いていた。おそらくその件をゾディアック団のリーダーに報告したはずだ。仮にそのリーダーをXとしよう。Xは俺たちの捜査を攪乱させようと一策を講じた」
「その一策があの自爆だった……じゃあ、射手座の老人は」
「捨て駒として選ばれたんだろうな。組織の中じゃ一兵卒だったんだろう。あるいは、老人自ら役目を引き受けたのか。まあ、今となっては死人に口無しだ」
「友枝雅樹殺害はどうでしょう。彼は小林誠和の内情を探るためにスジとして潜り込んでいましたが、そこでゾディアック団と何か繋がりが?」
「葉桐部長によれば、友枝はMERCURYの秘密に気付き内々で調査をしていたらしい」
「パチンコ業を隠れ蓑に、青龍会が売春斡旋をしているという話でしたね。友枝はそれを知ったから口封じされた……でも、それなら友枝を手にかけたのは青龍会という筋書きになるのでは」
「内海。最初に小林誠和不動産に行った日、車内で俺と話した会話の内容を憶えているか」
数秒ほど考え込んでから、おもむろに口を開く。
「たしか……元東凰会構成員の花巻が脱退した話と、その後に花巻が仲村組を結成した。そして、仲村組のフロント企業を新宮部長が捜査していたんですよね」
二週間近く前に交わした会話の中身を、後輩は正確に諳んじる。時也は「その通り」と満足気に頷くと、
「当時、仲村組とある新組織が水面下で繋がっていることを俺たちは突き止めていた。結局、こちらの動きが組織に漏れていて捕らえ損ねてしまったが」
「では今回も、青龍会とゾディアック団が裏で繋がっているとお考えなんですね。友枝の存在を目障りに思った青龍会が、ゾディアック団を差し向けたと」
「ゾディアック団が新組織とまだ決まったわけではないが、可能性としては充分に考えられるだろうな。構図としては、堂珍仁と東凰会が蜜月の関係にあり、他方で青龍会はゾディアック団と協定を結んでいるといった感じか。青龍会と東凰会は不仲らしく、青龍会は売春斡旋の件を東凰会には内密にしている。ま、幹部連中にはとっくに知られているようだが」
「ゾディアック団は青龍会に命じられて友枝を殺害した。そして、その罪を堂珍に擦り付けようとした、というわけですね」
「おそらく。葉桐部長を手にかけたのは東凰会の構成員だが、彼は中陣豊に下命されたと証言している」
「東凰会の幹部クラスは、青龍会の売春斡旋を知っていた。下部組織である青龍会が警察から目を付けられたら、いずれは自分たちにも捜査の手が伸びるかもしれない。だから、仲違いしているとしても青龍会の尻拭いをしようとした」
「東凰会は、かつて堂珍仁の議員選挙に一枚噛んだとして刑事二課や地検からマークされている。その上青龍会がヘマをして、東凰会にまでとばっちりが来るのは避けたいだろうからな」
内海は腕を組み、難しい顔で時也の話に耳を傾けている――と、彼女の背後から急いた足音が近づいてきた。一人ではない、複数の靴音がリズミカルに床を叩く。後輩の肩越しに、乱れたパーマ頭が見えた。
「落合部長、それに田端係長も」
振り返った内海の横をすり抜け、パーマ男は時也の正面で立ち止まる。唇を真一文字に結んだ、今までにない恐ろしく真剣な表情だ。
「落合部長――」
「お前、昨日鑑識課に行っただろ」
これが漫画のワンシーンなら時也の頭上に「ギクリ」という効果音が現れるだろうが、あくまで平静を装って「行ったかもしれません」と空とぼける。落合は盛大なため息を吐きながらも、
「ったく、お前なあ……で、何か収穫はあったのかよ」
「ええ。鑑識課の迅速かつ正確な仕事ぶりのおかげで、捜査が大きく進展しました」
葉桐の遺留品に残っていた煙草のメッセージ、そこから真澄湊へ行き着いたあらましを簡潔に説明する。真澄湊が昨夜出頭したことは落合も把握済みだった。
「春の夜に死に花を咲かせる、か。自作の煙草に手がかりを残すなんて粋な仕掛けだな……お前らが刺青の組織を追っている間に、こっちの作業も捗ったぜ」
「捗ったというよりも、あと一歩で危うく醜態を晒すところでしたが」
眼鏡の警部補が、隣で含み笑いをしている。落合は「うるせえや」と眉根を寄せながら、
「つい数時間前、古川夏生と三輪佑美子の身柄を羽多空港で確保した」
「古川って……自公党の末永保彦の議員秘書ですよね。三輪というのは」
事情が呑み込めない様子の内海に、田端が簡潔に説明する。
「三輪佑美子は、堂珍仁の事務所の受付嬢です。三輪と古川は婚姻関係にあり、落合さんは今朝から二人を行確していたんですよ。ところが、尾行に気付いた古川に途中でまかれてしまったんです」
「まかれ
落合がきっぱりと訂正してから、
「二日前、三輪佑美子が市内のデパートで旅行用のスーツケースを購入していたんだ。それでピンときたのさ――近いうちに、二人で高跳びするんじゃないかとな。三輪も古川も、向こう三か月は旅行の暇もないほど仕事の予定がびっしり詰まっている。にもかかわらず、三輪佑美子はスーツケースを買っていた」
「出張で使うわけではないのですか」
内海の質問に「それはない」と即答するパーマ頭。
「三輪佑美子に出張の予定はない、それは確認済みだ――で、新幹線か飛行機の予約を取っているんじゃないかと問い合わせをしてみたら、見事ビンゴだ。今日の
「週末の休みでロスへ弾丸旅行……も、できなくはなさそうですが」
「んなもん、本人に問い詰めりゃいいだけだ。で、昨日から今朝方にかけて二人を張っていたってわけよ」
「ところが、途中で古川が運転する車を見失ってしまったんですよね。議員秘書の華麗なドライビングテクニックにまかれてしまったと」
田端の突っ込みに、内海が「あら」と合の手を入れる。落合は唇を尖らせて、
「んなこと最初から想定済みだ。俺が機転を働かせて、別の捜査員を空港へ先回りさせていたから無事確保できたんだろうが」
落合の話を聞きながら、時也は頭の中で要点を整理する。
「気になるのは、古川夏生と三輪佑美子、どちらが逃亡計画を企てたのかですね。互いに現在の環境を捨ててまで逃避したい理由があったのか」
「理由があるなら、おそらく古川だと思いますよ」
意外にも、答えたのは眼鏡の警部補だった。
「実は、古川夏生について意外な事実を突き止めましてね。彼には、議員秘書以外にもう一つの顔が存在していたのです」
手にしていた捜査資料を時也と内海に渡す。数分ほどの沈黙が続いた後、
「これが事実なら、とんでもない掘り出し物ですね」
嘆声をもらす内海の横で、時也も小さく唸る。
「この件は、捜二に預けるのですか」
「どうでしょう。
「となると、ハムのほかに捜一と捜二、それに組対と生安の合同になるわけですね」
「生安も絡んでくるのかよ」
素っ頓狂な声を上げる落合に、MERCURYの売春疑惑をかいつまんで説明する。売春斡旋に青龍会が関与している場合、組織犯罪対策部と生活安全部、双方のテリトリーが重なるのだ。
「生安は株式会社賢者の石にも踏み込むと思われます。実は、鶴谷町のビルで雀荘を新規開店する話が挙がっているのですが、それがどうも臭うんです」
「そりゃまた、前代未聞の大規模合同捜査だな」
「大捕り物の日も近いでしょうね――あ」
時也の視線の先に、三人が一斉に顔を向ける。チームのボスが颯爽とした足取りで四人のもとへ近づいてきた。
「見計らったように四人とも揃っているな。今から二時間後に臨時の捜査会議を開く――どうした落合。何か報告がありそうだな」
パーマ頭のそわそわとした様子を瞬時に察したボス。古川夏生と三輪佑美子の身柄を捕らえた一件について簡略的に説明すると、
「なるほど、遂に尻尾を出したのか。至急、二人への聴取が必要だな。その件も含めて、会議で詳細を詰めなければならない。それから田端は、これまでの捜査状況を会議で挙げるように。先ほど話した古川の件も含めてだ」
眼鏡の警部補は、ボスへの報告を終えたばかりらしかった。
「内海と新宮も、新たな収穫がありそうだな。新宮は、先ほど生安から知らせがあったぞ」
「はい。ほかにも数点お話したいことが」
「よし。会議が始まる前に散らかった情報を整理しておこう……ひとつ伝えておくが、今日の会議は各方面における犯人逮捕に向けての最終調整のようなものだと思ってくれ。会議が終わり次第、各部とも順次令状請求に移る。無論、俺たち公安もだ」
ネクタイのズレを几帳面な手つきで戻し、東海林警部は鋭い眼差しを部下に向ける。
「四人には、それぞれ別のマル被のもとへ向かってもらう。どのマル被であっても、全員が俺らにとってのホンボシだ。一人残らずワッパをかけてやろう――葉桐部長のためにもな」
共通の決意を確かめ合うように、五人は揃って頷いた。
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