第16話 火のない所に
立浜女子短大を訪れた三日後。時也はK区内の喫茶店で杉山慧佑と接触していた。二人の前にはモーニングセットのコーヒーとイングリッシュマフィンが置かれている。時也はベーコンとスクランブルエッグを挟んだマフィン、杉山はトマトとチーズたっぷりのピザ風マフィンだ。
「いやあ、昨日は凄かったな。久しぶりにあんな量の玉見たよ、俺。二人で二十万近くはいったんじゃないか」
ピザ風マフィンにかぶりつきながら、杉山は昨夜の興奮を思い出すかのように頬を紅潮させる。時也も上機嫌に鼻歌を鳴らしながら、
「杉山さんの台、最後は立ち見客もいましたからね。打ち終わった瞬間に拍手喝采なんて、初めて見ましたよあんな光景」
「あの台を選んだのはあんただろ。台の見極めが良かったんだよ、あとはちょっとした運だな」
「またまたご謙遜を。あの後『俺の腕もまだ捨てたもんじゃないな』って自慢気だったじゃないですか」
杉山はにやけ顔を隠そうと必死だが、唇の端が明らかに吊り上がっている。両目も三日月形に盛り上がり、判りやすいことこの上ない。
「杉山さん、その顔のまま仕事しないように気を付けてくださいね。パチンコ勝ったんだって一発で見抜かれますよ」
「おっと、いけねえ」
眉根を寄せわざとらしいしかめ面をつくる。時也はホットコーヒーを啜りながら、
「この強運が続くなら、MERCURYでも打ってみたいですね。ほんとにいないんですか、杉山さんの会社で打った人」
「いないって。試した奴がいたら噂で回ってくるよ。ギャンブル好きの社員で結成したサークルが社内にあって、そこで必ず話題になるはずだ」
「そんな集まりがあるんですか」
驚きの声を上げる時也に、パーマ頭は「そういえば」と言葉を被せる。
「友枝さん……前うちにいた社員で、この前亡くなった人がいるんだけどな。その人もたしか加入してたな」
「数日前の新聞に載っていましたね。友枝雅樹さん、でしたっけ」
「よく見てるな。俺が新入社員だった頃の教育係でな、いろいろ世話になったんだ」
「事件に巻き込まれた可能性がある、と報道されていましたが」
「どうなんだろうな。真面目で寡黙な雰囲気でさ、トラブルに遭うような人じゃないと思うんだけど」
「真面目で寡黙な人でもギャンブルするんですね」
「だろ? 俺も意外だったんだ。まあ、サークルに入っていたのは一か月くらいだったけど。亡くなる少し前に加入申請していたらしいんだ」
友枝雅樹は殺される一か月前からMERCURYの調査を進めていた、という葉桐の話を思い出す。ここに情報源があると見ていいだろう。
「ギャンブルサークルには、多くの社員が加入しているのですか」
「まあ、社内の五分の一くらいかな。総社員数が三百人ちょっとだから、六十人くらいか」
「大所帯ですね」
「そうだな。課長とか部長クラスの人も結構いるし、中には女性社員も入ってるかな。普段は堅物な上司も、酒の席でギャンブルの話題が出たら人が変わったように喋るんだよ。先輩後輩関係なし、まさに無礼講だ」
「ある種の絆が生まれるわけですね」
「ま、それが原因でトラブルになることもないわけじゃないんだが」
含みを持たせる杉山。時也は微かに身を乗り出すと、
「金銭問題ですか」
「まあな……上司と部下で仕事帰りにパチンコ行って、そこで部下がめちゃくちゃ勝ったから上司に奢ったんだよ。すると上司が調子に乗って、その後も度々部下に奢らせるようになっちゃって。部下が断っても『お前は稼いでるんだからいいだろ』ってな具合で。見かねた同僚が間に入って事なきを得たんだけど、あれがエスカレートしていたら一発殴られてたかもな。結局二人は別々の部署に異動になって、上司はしばらくして会社を辞めたんだけど」
「金の切れ目は縁の切れ目、ってやつですね」
「まさにそれだよ。理性と常識をなくしたギャンブラーは終わりだな」
「辞めた上司はそれからどうなったんでしょう」
「さあ。風の噂では風俗通いしているとかヤバい筋の連中に追われているとか。単なる噂だけどな」
「ですが、火のない所に煙は立たぬとも言いますよ」
「その火だって風が吹けば消えちまうだろ……さて、そろそろ行くか」
マフィンの皿を空にした杉山が、やおら立ち上がる。今日は土曜日だが、午後に会社の取引先とアポイントがあるらしい。
「また行きましょうよ。いい店探しておくんで」
「おう。にしても、こんなとこまで割り勘でいいのかよ。パチ屋で稼いだ分、俺が取り分多かったんだからここくらい奢るのに」
「お金で借りを作ったら面倒ですから。さっき話したばかりじゃないですか」
ジャケットに腕を通しながら、杉山は「それもそうだ」と笑った。
杉山との接触を終えた時也は、その足で西港区丘野町へ向かった。バラ公園を挟んで一色乙葉のマンションと反対側の路上に車を停める。行確を始めて今日で四日目だが、対象が組織と接触したり不審な動きを見せたりする気配はない。大学とバイト先以外の場所へ足を運ぶこともなく、監視する限りでは極めて真面目な生活ぶりだ。
バラ公園のカメラにも変化はない。設置した初日こそ多少の異変はあったものの、以降は映像がぶれたり画面が乱れたりすることもなく正常に作動している。風でも吹いたか、たまたま茂みに突っ込んだ者がいて体が触れただけなのか。
一人で首を傾げていると、連絡用のスマホに田端警部補から捜査の続報が届いた。
『二年前の詐欺事件について、興味深い事実が判りました』
「関係者への聞き込みが終わったのですか」
『まさにその通りです。その聞き込みで判明したのですが、自殺した桜井千里を含む詐欺被害者二十名のうち、半数にあたる十名の被害者たちにはある共通点がありました――その十名は、自公党の支持派だったんです。それも、
陣中見舞いとは、出馬する人物に選挙期間中のみ寄附することが許されている制度だ。寄附できるのは、年間上限額を百五十万円とする金銭や有価証券などで、飲食物やアルコールの提供は禁止されている。なお、選挙の当選者に寄附する当選祝いでは現金や有価証券を贈ると公職選挙法に抵触するため注意が必要だ。
「熱狂的な支持者というわけですか。まあ、現政府の政権は自公党が掌握していますし与党第一党ですから、極端におかしいわけでもありませんが……にしても、特定の人物一人に見舞いが集中しているというのは引っかかりますね」
『実は、最も興味深いのはその陣中見舞いの贈り相手なのですが』
田端が告げたその名前に、時也は「え」と発したきり絶句する。だとすると、どういうことになるんだ――頭の中で、相関図の糸が次々と結びつく。
『この十人の被害者には、ほかにも奇妙な共通項があります』
電話口の警部補は珍しく早口で、興奮冷めやらぬといった調子だ。
『その十名の被害者は、事件後しばらく経って〈立浜市連続詐欺事件被害者支援団体〉という慈善団体から救済金を受け取っていました。事件を機に設立された一般社団法人で、現在は解散しています。どうやら期間限定で存在していた団体のようでして……しかも妙なことに、救済金を支給されている被害者とそうでない被害者がいるんです』
「どういうことですか?」
『給付対象者に制限があったんです。被害額が百万円以上でないと受け取りできない、という条件が決められていて、その条件を満たしていたのが先ほどの十人なんです』
「怪しさ満点じゃないですか。二課はその団体を調べなかったのですか」
『当時は詐欺犯の特定でしゃかりきになっていて、被害者側にほとんど意識を向けていなかったようですね。ただ、事件後に被害者の一人を定期訪問していた刑事が『救済金がもらえると思ったのに一銭もなかった』という話に疑問を抱き、簡単な裏取り程度はしていました』
手帳のページを素早く捲る音がして、
『捜査資料によると、立浜市連続詐欺事件被害者支援団体の代表者は山崎昇。救済金用に作った銀行口座を調べたところ、たしかに送金先はすべて詐欺事件の被害者でした。しかし、その送金合計額は千五百万円。被害総額の半分です』
「救済金を受け取った十名の裏は取れているのですか」
『ええ。桜井千里に関しては夫の桜井芳郎が受取人でしたが、彼を含む十名全員の証言は取ってあります。たしかに救済金受給の基準については支援団体から最初に説明を受けたと。先ほどの刑事に愚痴をこぼしたという被害者は、給付対象だった被害者から救済金の話を小耳に挟み支援団体に連絡してみたが、被害額の制限があると突っぱねられ愕然としたとぼやいていたようです。もともと被害額が百万円に満たない被害者は対象外のため救済金の話が伝えられていなかったのでしょうね』
であるならば、支援団体の行為は詐欺には該当しない。「もらえると聞いたのに蓋を開けてみれば一銭もない」というのなら話は別であるが。
『当時の刑事は、念のため口座開設時に提出した身分証をもとに山崎の素性も洗っていましたが、ちゃんと存在する人物だったため支援団体についての捜査に本腰を上げることはなかったんですね』
「二課にしては詰めが甘いですね」
『それだけ、犯人逮捕に血眼だったということでしょう……今回改めて山崎昇の所在を調べてみましたが、ちょうど詐欺事件が発生した二年前に暮らしていたマンションを引っ越して以降、どこにも転入届を出していませんでした。当時山崎が使っていた携帯電話の番号もとっくに解約されていて、彼の現在の居所は全く特定できない状態です』
「その支援団体、もう少し突っ込んで調べる必要がありそうですね。被害者たち、そして自公党との関係についても」
田端との通話を終え、監視カメラの映像に変化がないことを目視してから運転席のシートに体を沈める。複雑に絡み合っている糸を解きほぐすように、自身が立てた仮説を整理する時間がほしかった。
五分ほど経過しただろうか。シートから身を起こし動画に目を向けると、タイミングを見計らったように一色乙葉がマンションの玄関から姿を見せた。マリンボーダーのシャツにジーンズを合わせ、キャスケットを目深に被っている。時也はエンジンをかけると、滑るように車を発進させて立浜みなとフロンティア方面へ走り出した。
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