0日目②

 

「あなたをこの神界に招いた理由。それはですね―――単なる暇つぶしです」

「暇・・・つぶし?」


 暇つぶし。彼女が放ったその言葉を理解するのに、僕は多少の時間を要することとなった。

 まさか、ただの暇つぶしで神と出会う人間がいて、その人間が僕だなんて一体どんな確率なんだろうか。衝撃の理由に頭の理解が全く追いつかない。

 本当に暇つぶしなのだろうか。ただの暇つぶしで神と面会するという偉業を僕は成し遂げた・・・のか?


「どうやら随分と混乱しているようなので、念のためもう一度言いますね。私は単なる暇つぶしであなたをこの神界に招いたのです」

「暇つぶし・・・ですか」

「えぇ。ちょうどいいところにあなたの魂が漂っていたので、ひょいっとその魂を神界に手繰り寄せたんです」

「なるほど・・・ん?ちょ、ちょっと待ってください。あの、僕の魂が漂っていたとは一体どういう意味ですか?」


 女神ミッシェルの発言の中で決して見逃してはいけないだろう言葉。それは『あなたの魂が漂っていた』という言葉だ。

 この発言をそのまま解釈すると、僕の魂は肉体から離れ辺りを漂っていたということになるのだが・・・。


「頭の回転が速いですね。その通りです。あなたの魂は死後肉体から離れ、この神界の近くを漂っていました。通常私に仕える天使達がその魂を回収し輪廻転生の輪に加えるのですが、あなたの魂は私の暇つぶしのために神界へと手繰り寄せられたのです」

「え・・・。つ、つまり・・・僕は、死んでいる・・・ということですか?」

「はい。そうなりますね」


 僕は言葉を失った。

 死。それはいずれ例外なく全ての人間に訪れる『終わり』。人生の『終着点』だ。当然僕もいずれは死を迎えることになるだろう。


 だが、それが『今』なんて・・・。簡単に受け入れられるわけがない。だって、僕はここにいる。生きているのだから。


「死を受け入れろとは言いません。そんなことをできる人間はほとんどいませんからね。ですが、あなたが死んでしまったことは紛れもない事実です。ここにいるあなたは魂を基に形成された精神体で、あなたの肉体は現世で絶命しています」

「そ、そんな・・・そんなことがあるわけ・・・」


 僕の肉体が絶命した?そんなことあり得ない。あり得るわけがない。

 思い出せ。僕がここで目覚める前、どこで何をしていたのかを。僕が死んでいないことを証明するんだ!!


 ―――できない。何も、思い出すことができない。


 正確には『僕に関すること』を何も思い出すことができないのだ。分かることは日本に住んでいたこと、僕の名前が『南』だということ。また、その他世界の一般常識だ。

 僕の苗字や家族構成、年齢や通っていた学校。そのすべてを何故か思い出すことができない。この事実に僕は唖然とした。


「自身に関するあらゆる事柄を思い出せずに困っているようですね。南さん」

「・・・いったい、いったい僕に何をしたんですか」

「私は何もしていませんよ。あなたが生前のことを思い出せない原因は、簡単に言えば『世界の理』です。人は死後、己に関する記憶を失う。それが当然の摂理なのです。逆にあなたが自身の名前を憶えているのは私のおかげですよ。名前がないと色々と面倒なので、私が名前だけ思い出させたのです」

「・・・そうですか。ならばもう一つ、質問してもいいでしょうか」

「えぇ、かまいませんよ」

「ありがとうございます。・・・現世で死んでしまったこと、自身に関する記憶を失っていること。この二つの事実を知った時、僕は深い絶望を覚えました。・・・ですが、その絶望を・・・僕は既に、としている。いや、としているという表現の方が正しいでしょうか。おかしいですよね。人はこんなにも早く、絶望を乗り越えることなんて出来ないのに。こんなにも早く、感情を忘れることなんて出来ないのに・・・この件について、しっかりと説明していただけないでしょうか」


 女神ミッシェルからの返答を待つこの間にも、僕が覚えた深い絶望は薄れていく。まるで朝霧のように次第に消えていく。

 絶望が無くなることはいいことだ。しかし、ここまでの速度で絶望という感情が薄れていくことには恐怖を覚えてしまう。もっとも、その恐怖という感情さえも絶望と同じく段々と薄れてくるのだが。


「素晴らしい観察能力。いや、自己分析能力でしょうか。そこまで細かいところを気にする人は珍しい。いいでしょう。あなたの質問にお答えします。と言っても、あなたの身に起きている負の感情の消失。これに大きな意味はありませんよ。ただの私のお節介です」

「お節介、ですか?」

「えぇ。自身の死を知った人間が抱く絶望、恐怖などといった負の感情は非常に大きなものです。中にはその負の感情に押し潰され、精神的な疾患を抱える人間もいます。話をスムーズに進めるためにも、私が人間の抱く負の感情を消失させているのです」

「・・・『話をスムーズに進める』。それはの意味でしょうか」

「どちらの意味、とは?」


 女神ミッシェルは僕の思考を読むことができる。それはつまり、僕がどういった考えに基づいて質問をしたのかも分かっていることになるはずだ。

 それなのに彼女は。僕に質問をした。―――透けたな、隠されていた悪意が。


「とぼけないでください。あなたは僕の質問の意図を分かっているはずだ。・・・『話をスムーズに進める』。それはどちらの意味か。負の感情を消失することで人間が平静を取り戻した結果、話を進めやすくなるのか。それとも、負の感情を消失することであなたへの懐疑心や警戒心を失い、言葉を全て鵜呑みにしてしまった結果、話を進めやすくなるのか。どちらの意味なのかと聞いているんです」


 この瞬間にも僕は女神ミッシェルに対する懐疑心、警戒心を失い始めている。どうにかこの現象を止めたいのだが、抗う術を全く思いつかない。

 おそらく数分後には、僕は無条件で彼女の言葉を鵜吞みにしていることだろう。


 ―――詰みだ。


 神と人間。その間に存在する大きな大きな力の差を思い知った気分だ。

 そんな僕を横目に、女神ミッシェルは深い笑みを浮かべた。


「―――素晴らしい。本当に素晴らしい観察能力です。偶然手繰り寄せた魂があなたの魂で、本当に私は幸運だった。これならもっと楽しめそうですね・・・。あぁ、申し訳ない。あなたの質問に答えなければなりませんね。『話をスムーズに進める』、それはどちらの意味か。答えは両者です。負の感情を失うことで人は平静を取り戻す。さらには私に対する警戒心や懐疑心を失うことで、私の言葉を簡単に信じる。この二つの側面を持って、『話をスムーズに進める』、というわけです」

「『もっと楽しめそう』。『話をスムーズに進める』。・・・あなたはいったい、僕に何をさせようとしているのですか?」

「ふふ。質問ばかりですね」

「・・・もし気を害してしまったのならば申し訳ありません。細かいところまで気になってしまう性格なんです」

「いえ、とても良いことですよ。小難しい契約ばかりで溢れた地球人類の鑑ですね。・・・さて、質問に答えましょう。私があなたにさせたいこと。あなたをここに呼んだ理由。先ほど単なる暇つぶしと言いましたが、少し特殊な暇つぶしでしてね。―――ずばり、あなたには『異世界』に行ってもらいます」

「い、『異世界』・・・」

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