第3話:打ち合わせは念入りに
緊急事態発生。私の頭の中で緊急警報が鳴り響く。
私は頭を両手で抱え、成す術もなくその場に立ち尽くしていた。
共同生活1日目にして、早速ピンチだ。
「…やってしまった。」
男性とシェアハウスをすることで起こりうる可能性を、ちっとも分かっていなかったのである。
◇◇◇
同居人の3人に挨拶した翌日、私は新しい自室で目を覚ました。
部屋自体は6畳ほどでそこまで広くはないが、キッチンも含めた1ルームで生活していた私にとっては何も不自由はなく、むしろ快適なくらいだ。
家具は備え付けのものが既に設置されているが、衣服や着替えなどはあの家事で燃えてしまったので買いに行く必要がある。
最低限はここに来るまでに揃えたので、落ち着いたら買いに行けばいいだろう。
なんとも驚きなのは、あの氷室さんがお金を出してくれたことだった。
あの冷徹仕事人、お金には困っていないようだ。羨ましい。
私はベッドから体を起こし、軽く伸びをすると、バスルームに向かうことにした。これは一人暮らしを始めてからの習慣にもなっていた。朝にシャワーを浴びると頭が整理されて、原稿が捗るのだ。
頭から熱いシャワーを浴び、目も覚めた。今日は確か氷室さんとの打ち合わせが入っている。今までは私の自室か、カフェで話すことが多かったが、これからこのシェアハウスで行うことになるだろう。気合を入れ直さないと。
ガラッと浴室の扉を開け、タオルを手に取る。そこであることに気づいた。
「…下着持ってくるの忘れた…。」
◇◇◇
少し冷静になろう。
共同生活をしているとはいえ、今日は平日の朝。時刻は10時36分。
この時間なら会社員である氷室さんと葉月さんは出勤しているはずだし、宇佐見くんは自室に引き篭もることが多いと言っていた。
俳優の朝比奈さんのスケジュールは分からないが、リビングからも物音は聞こえてこないし、もしいたとしても自室だろう。
今の時間帯なら、誰にも鉢合わせることなく、自室に戻れるはずだ。少しはしたないが、仕方がない。
問題は1階のバスルームから2階の自室までの距離が意外とあることだが、素早く移動すれば何とかなるだろう。よし。
私はバスタオルを体に巻きつけ、意を決して扉を開ける。いざ!出陣!!
ガチャ。
「あ。」
「………は?」
扉を開けると、目の前に氷室さん。
「お…おはようございます…。」
「…おはようございます。」
「……。」
「……。」
ドタバタと足音を立てながら私は脱兎のごとく自室へダッシュする。
走り去る途中チラリと氷室さんを見ると、氷室さんは何が起こったのかわからないようで、目を見開き、呆然とその場に立ち尽くしていた。
「……勘弁してくれ……。」
◇◇◇
「…この痴女が。」
その後の氷室さんとの打ち合わせは最悪だった。共同スペースのリビングのテーブルに向かい合わせに座り、打ち合わせではなくお説教が行われていた。
「もう何回も謝ってるじゃないですかあ…!!忘れてくださいよ…!!」
氷室さんは完全にお怒りモードだ。私だって見せたくて見せたわけじゃないのにいいいい!!確かに粗末なもの見せたのは申し訳なく思ってるけど、そんなに怒らなくたっていいじゃないか。
「あなたは馬鹿なんですか?シェアハウスなんですから、一人暮らしの時とは違うことをもっと頭に叩き込んで生活してください。」
氷室さんの言うことはごもっともなので、私は反論すらできない。
「これから気をつけます…。ところで、氷室さんはなんであの時間にいたんですか?会社に出勤したんじゃ…。」
「今日は在宅勤務にしたんですよ。あなたとの打ち合わせもありますし、ここに来たばかりで、不便があるかもしれないと思ったので。」
「…ありがとうございます。」
なんだ、仕事のことしか頭にない人かと思ってたけど、意外と優しいところもあるのか…。私は驚いて目を丸くする。
氷室さんは少し居心地悪そうに咳払いをすると、ようやく打ち合わせに入り始めた。
「本題ですが…。実際どうですか?環境が変わって、少しは原稿のアイディアが浮かんで来そうですか?」
「それはもう!!なんたってイケメンだらけのネタの宝庫ですから!!いい作品が書ける予感しかないです!!」
「…ふっ。それはよかったです。先生を拾った私の判断は正しかったということですね。」
「……。」
氷室さんが笑うの久しぶりに見た気がする。最近はスランプ気味でずっと切羽詰まってたし、あまり気にしたことなかったけど…。
「氷室さん、いつもイケメンですけど、笑った顔もとっても素敵ですね!もっとそうやって笑えばいいのに!」
「……いきなり何を言うんですか。」
「本心ですよ!お世辞で言うわけないじゃないですか!」
「…余計なお世話です。」
そう言って目線を逸らした氷室さんの横顔はなんだか照れているように見えて…。あれ、この顔……。
「千秋!!!!!」
「はい??」
そうだ!千秋だ!!私の現在執筆中のストーリーの攻め、千秋はなかなか素直にならない。そう、ツンデレキャラなのだ。
そのツンデレである千秋に、氷室さんのような今の表情をさせればもっといい展開になるかもしれない。氷室さんからインスピレーションをもらうなんて。これは……。
「氷室さん!!」
「はい、なんでしょう。」
「氷室さんは今日から千秋です!!」
「いえ、違います。私は恭弥です。」
これはいける。私は何か確信めいたものを感じた。こうして千秋と氷室さんを勝手に重ねることに決めた私は、打ち合わせも早々に終わらせ、ウキウキで執筆に専念することができた。
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