8灯

 フードを目深に被り霧への抵抗を試みるが、完全に防ぐことは難しい。

 僅かに晒す頬に灼ける痛みを感じ、私は小さく声を漏らす。


「……っ痛」

「伏せていろ」


 すかさず領主さまは風上に立ち、羽織ったローブを広げ私を覆う、が。


「あ、そのローブは――」


 言い切る前に異変が起きた。

 その位置は丁度私が繕った箇所だ。ちりちりと糸が千切れたかと思うとローブの表面が一気に黒く染まり、煤が炎のように立ち昇る。


「っ!」


 とっさにローブを手放すことで領主さま自身が煤に巻かれる事態は回避できたようだ。

 安堵する、が。最悪はに至らなかったものの、己の失態を目の当たりにし背筋が凍る。


「やっぱり……っ、私のせいなんです! そのローブ、ごめんなさい!」

「それを伝えるためにわざわざ?」


 言葉足らずにもかかわらず領主さまは私の言いたいことを正しく理解したようだ。

 その上で。


「己の身を危険に晒してまですることでは――」

「することですよ! 大事な事です」


 相変わらずの物言いをはっきりと否定する。これだけは、譲れないから。


「……そうか」


 それ以上領主さまが責めることはなかった。


 しかしこれで身を護る防具がなくなってしまった。いや既に機能していなかったのなら同じ事か。

 とにもかくにも、いつまでも無防備のまま森に居座るのは危険だ。


「すぐに森の外へ退避しましょう!」

「それは無理なようだ」

「何ですぐそう――」


 領主さまの否定に反射的に噛みつきそうになるが、振り向いた先に見たに言葉を呑み込む。

 黒い……ブラックホール? いや穴じゃない、球だ。直径1メートルはありそうな黒い球体が浮いていた。

 前方、距離にして20メートルといったところか。霧を凝縮して転がしたような黒い球が風を巻き込むようにゆっくりと転がる。見るからに禍々しい。

 さっきのつむじ風もこれが元凶だろう。


「ハルチカ、私の後ろに。あとこれを」


 いつもの落ち着いたその声で我に返る。気付けば心臓が激しく脈打っている。

 恐怖に呑まれていた私をあっさりと引き戻したその人は、そう言ってポケットから取り出した何かを私に手渡す。


「これは……魔法石?」

「少々心許ないが無いよりはましだろう。持っておくといい」


 私の手のひらに小さな灯りが灯る。……あたたかい。

 ただでさえローブがないというのに。危険だと散々ひとを叱りつけたくせに、自分の事は棚に上げて。


「……ほんとにもう、勝手」


 ぽつりと漏らし、抱えていた道具袋を放り投げるとその中身を高らかに掲げる。


「私だって無策で来たわけじゃない! なめるなぁ!」


 ありったけの魔力を、手に持つ灯具へと注ぎ込んだ。


 ◇ ◇ ◇


 もう誰も失いたくない。

 ジョーおじさんが亡くなって、心労によりヘミンおばさんも後を追って。その時強く思った。

 そうは言っても私はしがない灯屋。出来る事は限られている。

 だから出来ることを考えた。

 クリウ夫妻の遺してくれた家の納屋には灯屋の仕事道具があれこれ詰め込まれていた。その中で見つけたのが壊れた灯具だった。

 元は崖上の街灯の頭に載っていた物らしいが籠部分の腐食が進み挿げ替えられ、ここにしまわれていた。

 全体的に煤けていたがよく見れば、魔法石は磨けばまだ使えそうだ。ならばあとは籠を新調すればいい。

 慣れない作業を少しずつ進め、そうしてランタン型の携帯灯具が一つ出来上がった。


 ――――


 崖の上から領主さまと思しき灯りを見つけたあと、私はすぐに家へと戻りこのランタンを待ちだした。

 そして森へと急ぎ向かう。


 自分勝手で人の話を聞かなくて、融通の利かない人。

 そのくせ真面目で、人の心配をするくせに自分を顧みない。

 町の皆から慕われる、この町の領主さま。


(どうか、この人を護って)


 その一心で灯した。


 暗い森にぽかりと穴をあけるように柔らかな光が灯る。

 黒霧のつむじ風は光に触れると溶けるように消え、私と領主さまは凪いだ空間に包まれていた。



(よしっ、うまくいった)


 ちゃんと点くかは何度も試したが、森の中の濃い霧まで防げるかは分からなかった。……これを言うとまた怒られそうだから言わないけど。

 霧の脅威をはねのけ人心地つく。とはいえやはり効果範囲は狭く、霧に阻まれたランタンの光はせいぜい四方3メートル程度にしか届かない。

 その外側では相変わらず、つむじ風を吹き散らす黒い球が悠々と転がっていた。

 あれが最近の濃霧の原因なのは確かだろう。だとしたら放置するわけにはいかない。


「あの黒い球って、霧の塊なんでしょうか? ランタン近付けたら消えるかな……」

「ハルチカの勇敢さには恐れ入るな」

「あれ、馬鹿にされてます?」


 呆れを含んだような領主さまの言葉に思わず「むぅ」と頬を膨らます。

 そんな私を見て領主さまはすっと目を細め……。


「いいや、本当にそう思っているさ」


 そして一歩前へと踏み出すと、右手を高らかに掲げた。


 ◆ ◆ ◆


 ――この辺境の地シース領を治める家に生まれた者は、幼い頃から魔術の習得を課せられる。

 とりわけ浄化の術は重要な役割を持ち、領主となる者は代々紡がれてきた秘術を受け継ぐこととなる。


 シース家の嫡男であるスノーウィン・シースにとってそれは当然のことで。

 傍から見れば過酷だと思われるような修練であっても、何の迷いも疑いもなく受け入れていた。


『領主とは民を照らす灯であれ』


 先代の領主であった父の言葉である。

 その言葉は幼い心に深く響き、今でも彼の標となっている。



 あの日――まだ領主の地位を受け継ぐ前の事。

 町に流れ込む霧を掃うため、住民達が見守る中で浄化の術を行使した時だった。

 次代の領主として領民に受け入れられるよう、細心の注意と少しの虚勢を交え放った。

 幾度となく研鑽を重ねた術は相応の効果をもたらし、住民たちは充足を見せる。

 密かに安堵する中……その人が目に留まった。

 まだ幼さの残る少女はあんぐりと口を開け、次第にその相好を崩す。


 ひと際眩しい笑顔が、それ以来頭から離れることはなかった。



 ――懐かしい出来事を思い出していた。

 思い出しながらも淀みなく、使い慣らした魔術を展開し組み上げていく。

 膨らむ魔力と共に、否が応にも期待が高まる。


(またあの笑顔を見せてくれるだろうか)


 気付けば綻んでいるのは自身の顔だ。……全く、彼女には敵わないな。

 ぽつりと零れた声は彼女には届いていない。

 魔術式を結び終え、練り上げた魔力を解き放った。

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