6灯
「ところで今日は領主さまと一緒じゃないのかい?」
「あー、……そうですね。最近はあまり見かけない、かな」
「まあ今はお忙しいだろうからね。なに、寂しいのも一時さ」
気まずい空気を全力で振りまく私を落ち込んでいると思ったのか、ドリスさんが慰めるような優しい声をかけてくれる。
寂しくなんて全然ないが、それよりも気になったのは。
「今はお忙しいって、どうしてですか?」
「ん? ほら、最近は霧が濃いだろ?」
「確かに。最近空気が重いというか、纏わりつく感じで不快というか」
率直な感想を口にしたらドリスさんが笑い出す。なぜだ。
「あの霧を不快で済ますなんて大物だね。ウチの亭主によると森の方は大分霧が滞留してるみたいでね、領主さまが出張って浄化して回ってるって話さ」
ふむふむと頷きながら聞いていると、両脇に座るちび二人も真似するように上下に頭を振っている。かわいい。
それにしても初めて聞く話だ。田舎町のさらに外れで暮らす私はかなり情報に疎いのだが、そんなことになっていたとは露知らず。
(どうりで領主さまが来ないはず)
ストーカーに飽きたわけではなかった――何をほっとしてるんだ自分は。そうとも限らないだろうに。
それよりも。
「それって大丈夫なんですか? 森に入ってるってことですよね⁉」
「あの方なら大丈夫さ。なんたって歴代の領主さまと比べても魔術の腕はピカイチだからね。ちょいと目つきが悪くて愛想もないけど、頼もしいお方さ」
私にのしかかる不安をチャーミングなウインクで吹き飛ばしてくれる。強い。
それでも楽観はできない。俯く私だったが、続くドリスさんの意外な言葉に顔を上げる。
「それに、頼もしいのは領主さまだけでなくハルチカもだけどね」
「えっ?」
「今日もこれから仕事だろ? 雨だってのにまったく、頭が下がるよ」
何かと思えばそんな事。
「まあ雨で消える類の灯じゃないですし、私の仕事だし」
答えれば、やれやれこれだからと大げさに肩を竦めて見せる。ちびたち、真似しなくていいから。
「町としちゃ助かるけど、本来灯屋なんてのは天気の悪い日には休むもんなのさ。なのにあんたときたら嵐だろうが雪だろうがお構いなしと来たもんだ」
あれあれ? 褒められてたはずがいつの間にかお説教に変わっているぞ?
「あんまり無理するんじゃないよ」
「……はい」
ぐしゃりと頭を乱暴に撫でられ、おとなしく頷く。
ドリスさんは私が一人になってからそれとなく世話を焼いてくれている。私の頭は常に下がりっぱなしだ。
「にしても、ちょっと心配ではあるね」
「ええ⁉ まだ何か……?」
思い当たる節がありすぎて、このままでは下がりに下がった頭が床についてしまう。
ぶるりと震える肩を抱きドリスさんを見上げれば、「違う違う」と笑いながら首を振る。
「いや、領主さまのローブがね」
出てきたのは、思いもよらないアレだった。
◇ ◇ ◇
「ローブって、あのボロ……いや年季の入ったアレですか?」
「はは! 確かにボロだね! あのローブは領主家に代々受け継がれている代物でさ、強力な魔除けの術が施されてるんだ」
まさかの事実である。そんな由緒正しい立派なものだったとは驚きだ。
ドリスさんの説明は続く。
「そんな立派なモンでも手入れしなけりゃただのボロさね。修繕には専門の道具が必要だからウチみたいな魔道具屋が定期的に引き受けてるのさ」
魔道具、専門の道具……もちろん私は持っていない。
「で、そろそろ修繕したいんだけど。あの方そういうところはズボラだからねぇ、仕事は出来るのに。時間を作ってウチに来るよう伝えといてもらえるかい?」
「……わかりました」
初めて聞く情報がぐるぐると頭を駆け巡る中、なんとか返事を絞り出す。
ドリスさんとちびたちに別れを告げ、すっかり長居してしまったその家を後にした。
小雨の降る中をおぼつかない足取りで、街灯を灯して歩く。
まったく仕事に集中できていない。これではいけない、そう思うも。
――あのローブ、勝手に繕ってしまったけど大丈夫だろうか?
――そういえば飛び出してた糸を切り落としたりもしたような
頭に浮かぶのは一週間前のことばかり。
(とりあえず、自分のやるべきことをやらないと)
私は灯屋。灯すことしかできないのだから。
最後の一本、崖上の街灯に辿り着いたころには雨も上がり、分厚い雲にぽかりと空いた穴からは夕陽が一筋差し込んでいる。
まだ日没前。だというのに雲のせいで夜のような暗さだ。
手早く仕事を済ませ点火棒を道具袋にしまい、さて帰ろうかと立ち上がったところで……ふと森を見下ろす。まるで墨汁を零したような、漆黒の闇が眼下に広がっていた。
暗さのせいもあるとはいえ、ここまで霧が濃くなっていたとは――気付かなかった自分の能天気っぷりに呆れる。
(この森の中に、あの人が)
考えただけで肌が粟立つ。
ドリスさん曰く、領主さまはお強いらしい。実際に私もあの人も魔法を見たことあるが、確かに凄まじいものだった。
だから心配いらない。
(けど、もし)
危ない目に遭っていたら? いや危なくないわけがない。この煤の森を見たらわかるだろう。
……だからって私に出来る事なんてない。精々、無事戻られたときにローブについて謝るくらいしか。
(待つだけ、本当に?)
己の無力さに憤る私の目に――ひとつの光が映る。
見下ろす森の中、たしかにぼんやりと。まるで灯のような柔らかな光が見えた。
(領主さまだ)
そう思うといてもたっても居られず、私の足は駆けだしていた。
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