05

「……なんで誰もいないんだ」


「いいじゃねぇか。貸し切りみたいで」


 頭を洗い流して鏡に映る自分を見ながら怪異に話しかける。


「風呂に入れたのは良いが、受付のおばあさん以外誰もいないのは流石に不自然だ。また何か隠しているんじゃないか?」


 最初からヒナさん以外人がいないのは怪しいと思っていた。雨のせいにしては人が少なすぎるし、温泉街に観光客がいないのもおかしい。

 天気なんて完全には予測出来ないんだし、雨が振っただけで観光客がいなくなるってのも変な話だ。


「真夜の気の所為じゃないのか?」


「気の所為で済まないから聞いているんだ」


 今度は見れば見るほど痣と傷が目立つ体を洗う。ボディソープが傷にしみる。


 怪異の方を見ると、爪が伸び切った手で器用に体全体を洗っていた。シャンプーとボディソープを混ぜて使っているようだ。


「気の所為だって言ってんだろ。……今は何も考えんな。体を休めとけ」


「……」


 私は怪異に言われたように体を綺麗に洗い流した後、何も考えないまま湯船に浸かった。体中の傷にしみる。

 木の看板に湯の効能なんかが書かれているが、どれもこれも胡散臭いものばかりで信用できない。


 きっと効果があると思った人にはプラシーボ効果なるものが働いているのだろう。


「せっかく来たのに雨のせいで露天風呂に入れないのは残念だな。怪異、天気を晴れさせることは出来ないのか?」


「それは無茶な話だ。俺達怪異ってのはあくまでも取引をしているだけだ。天候を操るなんて神の所業なんだよ」


 緊張の糸がほどけたのか急に瞼が重くなってくる。

 流石に風呂で寝るなんてことはしないが、何処かで寝ないと倒れてしまいそうだ。この旅館で少しだけ休んでいくか……。


「真夜は外の風呂が好きなのか?」


 怪異は私と同じ湯船に入ってきた。そのせいで一気に風呂の水位が上がって、どんどん外へ湯が流れていく。


「多分好きなんだと思う。……理由はのぼせないからとかじゃないか? 生憎記憶がないもんではっきりした話はできないが」


 怪異と風呂に入るなんてこれまた変な話だな。

 自分で言うのもなんだが、ヒョロガリな男と大型トラック並みの体積を持つ毛むくじゃらの怪異。


 待てよ。それだけ大きかったらなんで風呂に入れているんだ?


「……。怪異。もしかしてお前小さくなってるのか?」


「気づくの遅くないか?」


 縮んでいるらしい。便利な体だな。


 しばらくして、怪異と話すこともなく風呂から上がった。

 一時間近くは入っていたんじゃないかと思う。……のぼせているわけではないが、これ以上入っているとヒナさんを待たせることになる。


 適当言ってヒナさんとは別れよう。怪異の言う通り、何処に行きたいのかもわからないとなると手に負えない。


「……真夜。脱衣所の方で妙な気配がする。……こいつを持っていけ」


「妙な気配?」


 怪異は何処からともなく鉄パイプを出現させて私に投げてきた。……ここで洗ったのか、光沢が出るくらいに綺麗になっている。


「怪異か悪霊ってところだろう。……俺はまだ風呂に入っていたいからそれでなんとかしろ」


 なんとかしろと言われても、殺しはしたくない。この言い方から予想するに、怪異に頼めば勝手に倒してくれそうだし……まだ浸かっておくか。


「──!」


 湯船に戻ろうとした瞬間、外でヒナさんの叫び声が聞こえてきた。叫び声というか、うめき声なのか?


 とりあえず私は、声がする方へと足早に向かうのであった。


「急ぐのは良いが転けんなよ」


        ◯


 脱衣所に出るとそこには首の長い怪異と、舌が網目状に広がっている怪異が部屋中を動き回っていた。

 両方とも影がヘドロと混ざり合って固まったような見た目をしている。


 正直鉄パイプ一つじゃ心もとない気がしてきた……。戻って毛むくじゃらの怪異に伝えるか?


 その時、カゴに入れていた私の服が床に落ちた。……と思ったら、瞬時に怪異が出した触手に絡みついて私の服をもしゃもしゃと食べ始める。

 不味かったのか、奇声をあげながらボロボロになった私の服を吐き出した。


 目は見えていないようで、音に反応するようだ。


「……」


 どうしようか。毛むくじゃらがあがって来るまで待てるか?


「オイ、ニンゲンのニオイがシナイか」


 ……待つのは無理そうだ。


 仕方ない……。元々死んでいたかもしれないこの体だ。鉄パイプで戦うしかない。

 生憎恐怖心は売っているもんでね。


「おい怪異共。私が殺してや──」


 格好つける前に私の足に触手が絡みついて、口の中へ運ばれていく。臼のような歯の隙間にメガネやらマスクやらが挟まっている。


 歯の形からして草食なのではないかと思ったが、怪異に人間の常識は通用しないだろう。


 鉄パイプを怪異の喉奥まで突き刺す。


「オアッ」


 出来るだけ食道に引っ掛けながら突き刺したパイプを引っこ抜いた。

 気持ちが悪かったのか、怪異は私を突き飛ばした。


「お前らはもう死んでるんだ──後で恨んだりするなよ!」


 勢いをつけながら怪異の頭を何度も鉄パイプで殴っていく。

 殴っていてぶよぶよとした感触が伝わってくるが不思議と悪い気はしない。


 あの子供のように、人の形を保っていないのだから。

 それに比べればなんてことない。

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