02

「あー。あー。……少しこの声は変じゃないか?」


 昔の声がどんなものだったのかは正確に思い出すことは出来ないが、体の感覚がそう言っている。

 この声は私の物ではないと。


「そう思うのも仕方ない。……その声はお前のじゃないんだからな。なんだ、売り捌いた自分の声が戻ってくるなんて思っていたのか? そんなうまい話、あるわけないだろう」


「違う。そうじゃなく、この声は誰のなんだ」


 悪魔や怪異ってのは対価を払えばそれに見合った物をくれる。だが、魔法のランプのように無から有を生み出せる力を持っているわけじゃない。

 必然的にこの声は、誰かから奪った声──ということになる。


「真夜は察しが良いな」


 嫌な予感が脳裏をよぎる。


「その声の主はもう死んでいる奴の物だ。俺が誰かを殺して奪ったわけじゃないから気に病む必要はねぇ」


 しばらくの間、怪異は何も言わなかった。私も、何も語らない。何も考えない時間を過ごしていた。

 ただただ、雨に濡れるだけの時間が過ぎていった。


 そんな時に何を思ったのか、私はなにかに導かれるように歩き出していた。


 宛があるわけでもなく、目的があるわけでもない。これまでの記憶がないわけだからこの先に何があるのかもわからない。


 ただただ、雨に濡れながら歩いていた。

 そして、私はごく普通の空き地の前に立ち止まる。住宅街の中に溶け込むような、ただの空き地。


「よくたどり着けたな。ここはお前の唯一の友人だった人間の家だ。……と言っても、更地になっているようだが」


「……そうか、ここはあいつの」


 怪異の言葉を聞いて、断片的にだが昔のことを思い出した。


 馬鹿みたいな話をして盛り上がったことや、将来の話。夢なんかを語り合っている。ごく普通の日常。

 そんな記憶が頭の中に流れこんでくる。


「怪異。私は本当に記憶を売ったのか?」


 売ったものは自分の元に帰ってこない。そんなことは知っている。

 では何故私は昔のことを思い出せた?


「昔のお前は売ろうとしていたが記憶や思い出なんかには価値がつかなくてな。自分で捨てていたと思うぞ」


「では何故最初にわざわざ記憶を「売った」と思わせるようなことを言ったんだ」


「昔のお前にそう言われているもんでな」


 私が何度問い詰めようとも怪異は「そう言われている」としか返さなかった。何か裏でもあるのだろうか。

 でも、良い情報は手に入れた。私は記憶を「売った」のではなく「捨てた」と。


 今回のことから考えるに、きっと昔の私は記憶や思い出に関する場所に捨てているのだろう。


 どうせなら記憶を取り戻してから死んだほうが後腐れなく死ねる。


「怪異。お前は私が行きたい場所に連れてってくれると言ったな?」


 何処へでも連れてってくれるのであれば、私の記憶を完全に取り戻せる日も遠くはないだろう。


「あぁそうだ。……だが、普通に連れてってやるのは面白くない。そうだな……腹が減ったから食い物をもってこい。そしたらお前の言うことを聞いてやる」


 生憎、私は色んな物をお金に変えてきたから金には困っていない。

 後はスーパーなんかを見つければ早いが……これは自力で見つけないとだめらしい。


 しかしながら肝心なお金は何処にあるのだろう。ポケットに財布が入っているわけでもない。


「困っているようだな。安心しろ。俺にとっての食い物はだ」


 あいつ──と怪異が指さした方向を見ると、雨なのにも関わらず元気にはしゃいでいる子供が歩いていた。

 カッパと長靴を履いて、水たまりの上を歩いている。


「私にあの子供を食い物としてもってこいというのか? そんなの人殺しと同じだ。断固拒否する」


「はっ──良心は残っているみたいだな。安心しろ。あのガキは死んでいる。しかも悪霊になりかけの奴ときた。……ガキのことを思うんなら殺してあげたほうが良いだろ?」


 殺して──あげる?

 ……この毛むくじゃらの怪異に心がないことは初めからわかっている。それでも、その言い方はないんじゃないか。


「ガキの周りに黒いモヤが見えるだろ? あれを吸い込むと体が黒ずんでいって最終的には悪霊になる。いわゆる怪異のなり損ないってやつだ」


 よくよく見れば子供の手足が黒くなっている。楽しそうな表情も貼り付けたような笑顔に見える。


「おっと、こんなところに鉄パイプが」


 誰かに被害を与えるような悪霊になるのなら、ここで殺したほうがあの子のためになるのか?

 やらない善よりやる偽善とも誰かが言っていた気がするが、本当にそうなのか?


「初めてのお使いってわけだ。ほら、行ってこい」

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