カルト ~幸せとは~
桃李 蹊 (とうりこみち)
1章
「もし。」1
「やはり具体的な病名は分かりませんね。今回は痛み止めの量を増やして様子を見ましょう」
医者は申し訳なさそうに私たちに告げる。
「分かりました。ありがとうございました」
「お大事にしてください」
私は唯人の背を押して診察室を出る。何も前進しない状況がこのまま続くのかと思うと診察室の扉が閉まるのと同時にため息が出た。
唯人は全身に赤いアザができ、そこを針が差すような痛みが、酷い時には抉り取るような痛みが現れるという原因不明の病に侵されている。二年前、妻の愛美と死別した時から症状が起こり始めたのでこの病がストレスに起因するものであろうと多くの医者は話した。
私は唯人と精神科に通うことで病を解決しようと試みた。しかし唯人の病状は一向に良くなる気配はないどころか徐々にアザは広がり痛みは増していく。
根本的な病の解決には至らない中で精神安定剤と痛み止めを機械的に処方されるだけの週末に、私は鬱々とした不安とストレスを感じずにはいられなかった。
病院を出ると強い日差しが昨日降った雨を大気に戻そうとアスファルトを照らし、行き場のない湿気が熱を蓄えながらその場に留まっていた。駅まで数百メートルと決して遠くはない道のりではあるが、鬱々とした気分を更に低下させるには十分すぎる悪条件である。
「父さん。とんぷく薬を飲みたい」
私の手を握り並走する唯人が俯きながら呟く。
「今朝、飲んだから夕方まで我慢しないと。お医者さんも飲み過ぎないようにって言っていただろ」
最近新しくした薬にも唯人の身体が慣れてしまったようで、この頃は痛みを訴えることが多くなった。しかし痛み止めを処方する量にも限りがあるので、我慢できる時には我慢してほしいと医者から頼まれている。
「少し座りたい」
まだ病院を出て100メートルも歩いていないが唯人は辛そうな表情を浮かべて息を切らしながら訴えた。燦燦と照り付ける日差しが酷であるが、唯人をこれ以上動かすのはかわいそうだ。
「分かった」
木陰のベンチを見つけた私は唯人を座らせ近くの自販機でスポーツ飲料を買い唯人に手渡す。私は冷たい缶コーヒーを買い、俯く唯人を見下ろしながらそれを一気に飲み干した。
じめっと全身を包んでまとわりつく熱気はその場に留まっているだけで汗を湧き上がらせ、その汗は逃げ場もなくワイシャツにびっちょりと染み込みシャツの色を変えていく。不快な気持ちになりながらもその場を動くことができない私は仕方なく唯人の横に腰を下ろし、膝に肘をついて唯人の痛みが引くまで汗を拭い耐え忍ぶ。
正直言って、どん詰まりだ。あの事故が起きる前までは幸せの絶頂にいた。
私は大手企業に就職して美しい妻を持ち、唯人ともう一人の子も授かろうとしていた。幸せというものは努力で得ることができると実感していた。しかし突然の事故が一瞬で私の幸せを奪ってしまった。
二年前の春、仕事中に突然電話が鳴りその事実を告げられた。現場に駆け付けると煙がくすぶる車内から全身が焼け爛れた人間
の死体が運び出されているところだった。顔の輪郭もはっきりしない妊婦の姿に愛美ではないと思い込みたかったが、車種とナンバーを告げられると現実を認めざるを得なかった。
「ハンドル操作を誤って反対車線にまで飛び出してしまったのでしょう。ご冥福をお祈りいたします」
警察がそう言って淡々と事故処理を進める様子から葬儀が終わるまでは殆ど記憶にない。幸せの象徴であった愛美が突然いなくなったショックに私は絶望の淵に立たされた。
私は少しでも間が開くとあの事故を思い出して落胆する。立ち止まった時間だけ頭の中に過去が蘇る。あれから二年たった今も何か行動し続けないと私の頭には悲しい過去が蘇ってしまうのだ。
平日は一生懸命に働き、家に帰れば家事をこなす。そして疲れ切って頭が回らなくなった頃に一瞬で深い眠りにつく。それが私が悲しみを感じないための唯一無二の方法だ。しかし休日の私に悲しさを紛らわせる方法は少ない。
家にいても唯人とふたりきりの何かが欠けたような空気が虚しいので私は毎週のルーティーンのように病院へ行き、不安や辛さを抱えた人たちに囲まれて少しでも気を紛らわすしかないのだ。
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