第30話 火の海地獄

 火というのは、人間が最初に見つけた原初の文明と言えるものだろう。他の生物たちは火を起こすことはできない。故に、火を恐れる。火、それは人間の唯一無二の武器であるからだ。

 けれど、火は人間に富や優越を与えるだけのものではなかった。火の脅威というのは例外なく、人間にも振るわれた。

 人間も生き物。焼ければ死ぬ。まあ、火事に遭った際などの詳細な死因は焼死よりも一酸化炭素中毒の方が遥かに多いらしいが、何にせよ、火が万国共通で脅威であることに変わりはなかった。

 そんな下らないことを呆然と考える私の目の前には、釜茹で地獄の釜の熱さが気にならないほどの光景が広がっていた。

 釜茹で地獄を成すためには、釜を炊かなければならない。それは至極当然のことだ。では、その釜を炊くためには何が必要か。考えるまでもない。──火だ。

 人間が何百、何千と放り込まれても尚余裕のある釜だ。相当な大きさだろう。ということは自然、その釜を温めるための火の量も、尋常でなく必要になることは、想像に難くない。

 つまりは、釜茹で地獄の釜から脱した私の目に飛び込んできたのは、大量の火の海だったというわけで。

 火傷で足裏を始め、皮膚をびりびりと引き裂いたことですらどうでもよくなるほどに、私は目の前に広がる光景に唖然としていた。

 それもそうだろう。釜茹で地獄とい地獄の一つから脱出したと思ったら、すぐさま眼下に広がっていたのは、また別の地獄だったのだから。

 さすがは地獄道、抜かりがない。

 思わず感心してしまった。

 そう、目の前に広がっていたのは紛うことなき火の海地獄。炎は青い方が熱いというが、眼前の火の海は赤々と燃え立っていた。おそらく、地獄道の決まり事である、「罪人が己の罪を認めるまでは生かしても殺してもやらない」というのを忠実に施行しているのだろう。故に、この火の海の中に入っても痛苦はあれど、死にはしない。

 そう思うと少しは気が楽になるが、やはり後退るのをやめられない。けれど背水の陣。釜茹で地獄に逆戻り、というのと天秤にかけると……私は進む方に傾いた。

 一足、燃え盛る炎の中に踏み入れる。肉の焼ける臭いがつんと鼻をつく。釜茹で脱出の時点で、痛覚がいかれてしまったのが、不幸中の幸いだろう。私は焦げていく臭いに苛まれながらも、その地獄をずんずん進んでいく。

 死ぬことはないとはいえ、火の中を進むのにはどうしても息苦しさが伴った。喉があっという間にからからになり、嗄れ声すら出ないほどに枯れていた。

 苦しいことも声に出せない。何か声を出せれば発散できるのかもしれないけど、それすら許されない豪炎。果たしてこの道に踏み入れたのは正しかったのだろうかとすら思えてくる。

 けれど、導のない道の中、いつあるとも知れぬ出口を求めてさ迷い歩くしか道はなかった。


 炎が手を焼き、足を焼く。おそらく全身が順繰りと焼きただれたことだろう。それでも死なないのはやはり、私が罪を悔いていないからだろう。生前のことも、シェンを殺したことも含め。

 確かに、私が理不尽に殺した人数は多かったかもしれない。けれど、そこには私なりの正義があり、始まりには自衛という大義名分があった。

 シェンとて、本来リウが受けるはずだった傷を勝手に引き受けて、勝手に死んだのだ。私に関係があるものか。

 そう考えると、私の今の状況の方が理不尽にすら思えた。

 そこに一人の少年の姿が思い浮かぶ。私のドッペルゲンガー、富井永良だ。そう、全てはあいつが元凶だ。私を殺人犯に仕立て上げて、私を狂わせて、終いにはよくわからない理由で私を殺した。




 きっとナガラだって、私と同じくらいの罰を受けるべきはずなのに。

 それともどこかで地獄を味わっているのだろうか。だとしたら清々するが、見ていないのでなんとも言えない。

 そんなことを考えていると、いつの間にやら、辺りから炎が消えていた。


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