第7話 原書の扉
私の一番最初の記憶は、白い天井とたくさんの機械に囲まれて、狭い部屋で寝ていたこと。なんだか息苦しかった。そのためか、酸素マスクをつけられていたっけ。
小さな体にたくさんのチューブをつけられて、大人が私と繋いだ機械を見て、色々ぼやいていた。
時々、よくわからない注射や、皮膚の表面を抉り取られたこともあった。私は麻酔が効かない体質で、ずっと痛い思いをしてきた。それでも、自分の病気の解明のためだろうと解釈して、我慢してきたんだ。結局、原因不明の不治の病ってことで片付けられてしまったのだけれど。
そうして、検査を繰り返すうちに、いつの間にか親は姿を表さなくなったんだよな。
「長門未来さん。貴女は児童養護施設で預かることになりました。今日から貴女のおうちはここですよ」
痛い思い出しかない病院の隣で、そう言われた。あのとき、六歳だったかな。まだ学校に入っていなかった。
「おとうさんは? おかあさんは?」
そう問いかけても、誰も答えてはくれなかった。ただただ笑顔でごまかされてしまう。私はだんだん問うのが辛くなってきたのでいつからかそれをやめた。だって、答えないのが答えだ。
それで、もうなんだかどうでもいいや、なんて割り切り始めた十歳の頃、病院の先生が教えてくれた。私は病気のせいで、お父さんにもお母さんにも似ていない容姿で生まれたから、そのことで二人は揉めた挙げ句、私を捨てたのだ、と。まだ名前もない病気だから、二人とも理解してくれなくて、施設が引き取ることになったらしい。
病院の先生は両親は別れたと言っていたけれど、それが嘘なのは知っていた。私は知らない女の子と楽しそうに散歩している"長門さん"夫婦を見たことがあったから。
顔はよく覚えている。体の弱い私をよくよく病院に預け、見舞いに来ては他愛のない話をした。「動物は好き? お父さんもお母さんも、わんちゃん飼いたいんだけど」「わたし、いぬ、にがて」「そう……」──そんな会話。
他にも色々あったな。「どうしてわたしの手とおとうさんの手は色がちがうの? 目も、髪も、そう」「さあ……」──「また、おかぜ、ひいちゃった。おかあさん、いつもごめんなさい」「風邪は、仕方ないわよ」──
「ねぇ、未来。貴女、その名前は好き?」
そうお母さんに訊かれたのは、いつのことだったかな。
「うん、きっと、すき、かな……」
"好き"という感覚がよくわかっていなかった私はそのとき、そんな風に曖昧に答えた。
するとお母さんは、ぼろぼろと泣いて言った。
「なら、それでもう勘弁して」
意味がわからなかった。
「それだけあげるから、勘弁して。ね? もう……」
お母さんはそこから口だけ動かした。
「さようなら」
──ああ、そうだ。これを境に、あの人たちは来なくなったんだ。
「名前をあげるから勘弁して」
そう残して消えた親。そんな別れ方をした親を、誰が忘れられるだろうか。
何が「勘弁して」だよ。私が一体、貴方たちに何をしたっていうの? そもそも私はほとんど病院のベッドに固定されて身動きの自由なんて一つもなかった。貴方たちとはこうして数えられる程度の思い出しか紡いでいない。他では、貴方たちは検査に苦しむ私をただ眺めていただけじゃない。
似てないってだけでしょう?
けれど別段、幸せそうに暮らす"長門さん"に特別な感情を抱くことはなかった。親に捨てられようが捨てられまいが、私の人生に大して大きな変化はなかっただろうから。
"シロ"。それが学校でつけられた渾名。
血の気のない白い肌と中途半端に白っぽい髪や目のことを示したものだ。身体的特徴を渾名にするとは、非常にデリカシーがないが子どもらしいし、第一、私にそれ以外の特徴がなかった。
目立ちたくなかったんだ。病院での検査も大人の嘘も、全部飲み込んで生きてきたから、人混みの中で空気でいることになんて、なんとも思わなかった。むしろ、放っといてほしかったんだ。だから友だちも作らなかったし、どんな輪にも入らなかった。
面倒だったんだよ、あんな世界。
でも一度だけ、それを後悔したことがあったんだよね。
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