第3話 回り始める歯車

 その夜、通された牢獄で、向かいの囚人が朗らかに私に問う。

「キミ、いつ死ぬの?」

「は?」

 初対面で普通そんなこと訊きますかね、と思いながら疑問符を浮かべると、やたらと明るい声でそいつは言った。

「いやいや。ここに入れられるの、死刑囚の凶悪犯ばっかりだから」

 死刑──?

「まじですか」

「うん、大まじ。キミくらい若い子は珍しいけど。オレも死刑囚だよ。来週の月曜死ぬの。ま、明後日なんだけど」

「は? 明後日?」

「しかし、本当に若いねぇ。年いくつ?」

「十四です」

「あ、もしかして巷で話題の殺人鬼くん?」

「違います。でもそういうことになってます」

 半ば自棄気味に答えると、男はそうかと快活に笑った。

「そうかそうか。若いのに、きっつい人生だねぇ」

 他人事のように言う。実際他人事であるのは確かだが、自分だって明後日死ぬくせに、と腹が立った。

「貴方は何をしたんです?」

「宗教団体の自爆テロに失敗した。大規模テロが二、三ヶ月前にあっただろう? あれの死に損ないさ」

「明後日死ぬ割には元気そうですね」

「当たり前だ。オレは死ぬことによって信ずる神の御元へ行ける。そして先に逝った同志たちと再びまみえることが叶う。それから神の恩寵の下、再びこの世に転生するのさ」

 おお、本格的にカルト集団だな。目の前で聞くとどん引くわ。神とか、転生とか、恩寵とか。宗教家の頭の中って、本当おめでたいんだな。

 二、三ヶ月前の宗教団体テロっていうと、ラグランドシェとか言ったっけ。

「生きとし生けるものは必ず死を迎える運命の下にある。死とは我らが命を生み出した神の御元へ還るということであり、死を与えることは神との逢瀬を叶えることであり、この世で最も清く正しきことである……でしたっけ? 貴方たちの謳い文句」

「そうだ。一言一句違えぬとは、キミももしや同志」

「違いますから」

 食い気味に否定する。こんな胡散臭いカルト宗教なぞ私は信じない。そもそも胡散臭くなくても宗教は嫌いなのだ。神も仏もへったくれもあるものか。そんな脳内お花畑な思考回路になれるほど、幸せな人生送ってない。

「しかし、キミは正しいはずだ。人を殺し、神の御元へ送ったのだから」

「違いますって。私は誰も殺していない」

「別に人殺しは恥ずべき行為じゃないんだよ?」

 なんだこの男。新手の嫌がらせか。それとも警察の差し金だろうか。どちらにしろ陰湿だな。

「だとしたら、明後日死刑になる貴方は、なんで死ぬんですか?」

 苛立ち紛れに疑問をぶつけてみる。すると男は言葉を失った。この疑問に答えられない程度には、この男もパーではないらしい。

「貴方は人を殺そうとした。人殺しに加担したから、罰せられるんです。罰を与えられるのはそれが罪だからでしょう? 貴方が死ぬのは人を殺したからですよ。それに」

 私は憂鬱になって俯く。

「人を罰するのは、人だ。神なんて、言い訳の中にしか存在しない」

 自分で放った言葉が自分に返ってくる。"人を罰するのは人"。そう、私は何もしていなくても、こうして人に罰せられる。仕組まれたようにさえ思える罪を被ってしまって。

「だから、神を信じるなんてあほらしすぎる」

「だが、ラグランドシェの神っ……!?」

「え」

 不自然に男の声が途切れ、私は顔を上げる。その先にあったものに驚きを禁じ得なかった。

 男の首に突き立てられたカッターナイフ。それを握る白い手が赤に染まりながら目一杯引かれる。切り裂かれた喉から真っ赤な血が噴き出す様は、噴水花火のように鮮やかだった。

 それよりも私の胸をとらえたのは。

「二日早い死刑執行〜。でもいいよね、おじさんどーせ死ぬはずだったんだからさ」

 その処刑を行った人物の姿。

 色素の薄い灰色の髪、灰色の瞳。血が通っているのか怪しく思えるほど白すぎる肌、男とも女ともつかぬ中性的な面差し。

 気持ち悪い。鏡を見ているみたいだ。

 ある意味、正しいのだろうか。

「や、改まって会うのは初めてかな。ミライ姉」

「貴方、誰?」

 血みどろの白いワイシャツ姿から察するに少年らしいもう一人の自分は、男から抜いたカッターの刃をぺろりと舐めて近づいてくる。どくどくと激しく鼓動が脈打つのがわかった。

 私をミライ「姉」と呼んだ。しかし、私はこんな悪寒がするほど自分にそっくりな弟など、いた覚えはない。

 けれど、体のどこかが知っている。いや、どこか、じゃない。全身が知っているんだ。多分、同じ、だから……

「僕は富井永良。もうわかってると思うけど、本物の通り魔ねー。残念だけど、ミライ姉とは血の繋がりはないよ」

「ええ。なんとなく察してた。こんな殺人鬼と血が繋がってるなんて、ぞっとしないわ」

「それは光栄だ。でもね、僕はミライ姉のこと大好きだから」

 他人の血を美味しそうに味わいながら近づいてくる"弟"は無邪気な笑顔で言った。

「だから、助けに来てあげたんだよ」

 場と状況にそぐわない満面の笑み。

 さっきから脈が激しくて、頭が痛い。自分がどんな表情をしているのかわからない。一歩、一歩、ナガラが近づいてくるごとに痛みは増していく。苦しいのに、なぜか拒絶の言葉は出て来ない。

「人のこと嵌めておいて、よく言う」

 憎まれ口は叩けたのでよしとしよう。

「ははは、やっぱミライ姉にはバレてたか。でも、助けに来たっていうのは本当だよ? じゃなきゃこんなとこ、来ないもん」

 それはそうだろう。凶悪な連続殺人犯が囚監施設のような場所に来るなんて、自殺行為だ。この少年がそんな愚を犯すようには思えなかった。なにせここまで完璧に私を殺人犯に仕立て上げたのだから。

「ねぇ、ミライ姉。月出新聞の夕刊、今日の最新号だよ。見てごらん」

 そう言ってナガラは背中に挟んでいた新聞を私に寄越す。受け取って、その一面に釘付けになった。

「連続通り魔逮捕。即死刑の世論高し」

 そんな見出し。

「通り魔の正体は女子中学生!? 動機は不明だが、これまでの傾向から見て快楽殺人かと思われる。世論では圧倒的にこの通り魔を即刻死刑にすべきとの声が多い。いつぞやの歩行者天国連続殺傷事件からこちら、特に理由のない突発的犯行への危機意識は高まっている。今回の通り魔の残虐性を見るに、法廷を通さずに死刑が決まるという異例の事態が起こる可能性も大いにありうる」

 事前に暗記していたのか、ナガラが記事を空で読み上げた。私はただただ衝撃を受けるばかりだ。

 近頃のこの国は犯罪、特に殺人事件の裁判になると、マスメディアによる世論の影響により、法廷の存在がガタガタなのである。世論に流され、法律はもう被疑者にとってはないも同然なのだ。

 考えてみれば、かつてこの国は「犯罪者にとても優しい国」と揶揄されていた。その返りが今のこの現状だ。

 冤罪というものに対する恐怖よりも、犯罪者を罰したいという自己満足の正義感に囚われた人の義憤の方が勝っているのだ。

「皆無ではない、ではなく、大いにありうるとか書くあたり、この新聞社も大きく出たもんだよねー。ここまで書かれたらさぁ、僕だって見過ごすわけにはいかないんだよ。だって、僕はミライ姉を死なすために、ここまで手の込んだことやったわけじゃないんだ。……と、僕の目的を言う前に一つはっきり言っておくけど、この分じゃミライ姉、明日にでも殺されちゃうよ? 無実なのに主張は聞き届けられず、死刑」

「明日……」


"続きは明日にでも聞こう"


 ふと、気のない調子の刑事の言葉が蘇る。沸々と煮えたぎるものが私の中に生まれた。

 話なんて、聞く気もなかったくせにっ!!

「ワオ! ミライ姉、すごいよ。無意識かもしんないけど今の殺気。モノホンの殺人鬼の僕も、久々に本気で驚いちゃった。やっぱり、なんとかは争えないってやつかねぇ」

「血は繋がってないんじゃなかったの?」

「わかってるだろ? 僕らは血縁じゃなくても"同じ"だ」

 本当は認めたくなどなかった。けれど、人間に裏切られた今、ナガラの存在が唯一のよすがだった。

 絶望の中に伸びる蜘蛛の糸。

「だからさ、ミライ姉。もう"普通"の中で無理して生きることないよ。いっそ、"本物"になっちゃえばいいじゃん」

 そう言ってナガラが差し出したのはカッターナイフ。私が護身用に持ち歩いていた市販のと同じタイプの。

 それを受け取る。


 そのときは気づいていなかった。

 これは私に伸びてきた蜘蛛の糸などではなく、その糸を断つ刃だったのだ。


 その日、私は場にいた死刑囚や見張り、刑事等々、数知れぬ者の血で手を染め、本物の殺人鬼になった。



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