第7話(グレン視点)

「ダニー、どうしたんだい」


 院長は優しく声をかける。

 しかし、ダニーと呼ばれた子供は泣きじゃぐっていて言葉が上手く出ないようだ。あの女も周りの視線に怯えたように俯いて何も言わない。使用人を叩いたって平気な顔をしているのに、子供を叩いてどうしてそんな反応をするんだ。


「フォルセット様。何があったかご覧になったのでしたら教えていただけないでしょうか」

「……婚約者がその子を叩いてしまった」


 あの女の肩がビクリと震える。

 それが肯定のように見えて、他の子供たちに動揺が走る。


「そうですか」


 院長は怒るわけではなく、穏やかな口調で二人にさらに近付いて何かに気付いたように足を止めた。そしてあの女に何か話しかけている。


「ここに誰も近付かせないように。あと剪定のハサミを持ってきてくれ」


 職員にきびきびと指示を出した院長はなぜかあの女を丁重に扱い、背中に手を当ててさするとこちらまで連れて来た。


「イラクサがいつの間にか生えていたので切らないといけません」

「イラクサ?」

「はい。触ると痛みや発疹が出るのですよ。うっかり子供たちが触ったら危ないですからね。こちらのお嬢様はダニーが触らないようにしてくださったんでしょう」


 は? そうなのか?

 叩いたことを院長までグルになって誤魔化しているのか? いや、院長とこの女は初対面だ。


「もしかして触ってしまいましたか? 手を見せてください」


 あの女がゆっくり手を見せてくる。手の甲がやけに赤く腫れていた。


「院長室で処置をしましょう。みんなここには近付かないように。誰かダニーを落ち着かせて腫れが出ていないか見てくれ。もし赤くなっていたらそこは強く擦らないように」


 院長は指示をさっさと出してあの女を院長室に連れて行く。

 あの女が子供を庇った? あり得ない。職員を捕まえて聞く。


「院長の言ったことは本当なんだろうか」

「はい。私たちの点検ミスです。お嬢様にお怪我をさせてしまって……本当に申し訳ございません」

「イラクサとはどれのことだ?」

「あの葉っぱがギザギザしている植物です。茎や葉にトゲがあって刺さるとかなり痛いんです。子供なら泣いてしまうでしょう」

「フォルセット様。ここは大丈夫ですのでお嬢様のところへ行ってさしあげてください」


 絶句していると、何を勘違いしたのか職員たちがそんなことを言ってくる。


「おねーちゃん、だいじょうぶ?」

「いたいのいたいのとんでけする?」

「おにーちゃん、はやくいきなよ」


 職員と子供たちになぜか急かされてあの女のところに行くことになった。


 まだ混乱している。「行ったらだめ!」と叫んでいたが……なんであの女はイラクサが危ないなんて知っていたのか。屋敷に生えてなどいないだろうにどうしてだ? 子供が勝手に怪我をして自分の責任にされるのが嫌だったのか? 子供を庇って自分が怪我するなんてあの女の今までの行動としてあり得ないじゃないか。



「あぁ、フォルセット様。お嬢様の処置は終えました。大変申し訳ございません。トゲは刺さっていないと思いますが、痛みが長引くこともありますので念のためお医者様に。診察代や薬代はもちろん私が」

「大丈夫だ。今から帰ればおばあ様の診察時間にちょうど間に合うから診てもらおう」

「今後このようなことがないようにします。大変申し訳ございません」


 痛みが長引いたらあの侯爵夫人に何と言われるか。面倒なことになった。子供を叩く場面を見て、やっとやらかしたと思ったのに。


 それにしても子供を庇ったのなら自慢しまくっていてもおかしくないこの女は、なぜこんなに青白い表情で怯えているのだろうか。イライラしながらあの女を連れて孤児院を後にする。子供たちがあの女を心配しているのもなんだか腹立たしかった。


「イラクサを知っていたのか」


 馬車の中で一言も発しないあの女についキツイ口調で聞いてしまう。


「常識でしょ」


 さらに腹立たしい答えが返って来た。お前が常識を語るな。


「フォルセット公爵家にちょうど医者が来ているからみせる」

「大して痛くないわ」


 こちらのせいで怪我をしたら盛大に被害者ぶると思っていたのに。「医者にみせるくらい当たり前でしょ。さっさとしてよ」と不機嫌に低い声で言うのだとばかり。

あぁ、だんだんこの女の以前の行動を思い出してきた。思い出すのも嫌すぎて自分の記憶に蓋をしていたようだ。

 やっぱりこいつ、悪魔に憑かれてるんじゃないか。行動が予想と違いすぎる。でも見た目はあの女そのままだ、まさか双子か?


 いや待てよ。

 この前のパーティーの時、エルンスト侯爵夫人にダンスのことで怒られていなかったか? あの夫人の行動もこれまでではあり得なかった。溺愛して甘やかして叱らない。

 ダンスの件は俺が悪いのだが、娘が階段から落ちてようやくあの親は過剰な甘やかしをやめて再教育を施したのだろうか。


 しかし、うちへの金の無心は変わらないからな。常識を身に着けたのならうちから援助した金でなんとか侯爵家を立て直すだろう。それなのにおかしな新規事業にまた侯爵は投資をしようとしているとか。レイナードがもっと頑張ってくれたらいいのだが。


 しぶるあの女の手を無理矢理取って馬車から下りる。手を取った瞬間、盛大にビクつかれた。怪我をしていない方の手を取ったはずだが。

 振り返ると青白い表情で……またあの目だ。諦めと怯えが走るあの目。なんで俺がこんな目で見られなくちゃいけないんだ。


「坊ちゃま? 先生がお待ちです」


 しばらくあの女を見つめていて、使用人に促されてハッとする。

 そういえばレイフが言っていた。「プリシラ嬢って黙ってまともなドレス着てれば見た目はものすごくいいのにね」と。


 珍しいグリーンの目を見ていただけだ。この女を気にかけているわけじゃない。

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